第254話 カナド通りの賑わい
黒竜灯火診療院での定期検診を終えて、竜堂の市場を見て回っていたアルフェとホム、エステアと早めの昼食を摂って帰宅すると、家の様子が少し変わっていた。
違和感の正体は、常に真っ先に僕たちを迎えてくれる母の笑顔がないことだ。出かける話はなかったはずだが、なにかあったのだろうか。
「……母上は?」
「軽い咳が出ていてね。念のため休んでもらってるよ。夜には、クリフォートさんの大ご馳走を食べてもらわなければならないからね」
父は明るくそう応えたが、恐らくあまり芳しい状態ではないのだろう。ともすれば無理をしかねない母の性格を良く知っている父が休みで助かった。
「お疲れが出たのかもしれませんね。もし宜しければ、お礼に私の故郷の味を紹介させていただけませんか? この街にはカナド人街があると聞きましたし」
エステアが話しているのは、街の西側にあるカナド通りのことだ。僕を待っている間にアルフェとホムから聞いたのだろう。
商業区の繁華街ということもあり、こちらも新年に向けてたくさんの屋台や露店で今頃はかなりの賑わいのはずだ。
「カナド地方の新年の料理、食べてみたい! 確かすっごく縁起がいいんだよね」
クリフォートさんかタオ・ラン老師に聞いたことがあるのだろう、アルフェが嬉しそうに賛意を示す。エステアは頷いて続けた。
「お雑煮と呼ばれるカナド料理は、新年最初に灯した火で具材を煮込んで作ることから、その年の実りと幸せをもたらすものとされています。地域によって特色があるのですが、私の地域は鶏出汁に丸い餅、香りづけの柚子ですから、シンプルで食べやすいと思います」
「餅は栄養もつくし、ナタルも喜びそうだ」
説明に父が同意を示すと、エステアはほっとしたように表情を緩めた。
「決まりだね。じゃあ、カナド人街へ買い出しに行こうか」
「今からか?」
僕の提案に父は驚き、僕とホムを見比べるように見つめた。
「はい、父上。新年最初に灯した火で具材を煮込むことが大切なようです。母上の息災を願うためにも、そこはきちんとしなければ」
僕が言い切る隣で、ホムも深く頷く。
「しかし、かなりの混雑だが――」
「マスターはわたくしがお守り致します。それにせっかくですから、タオ・ラン老師に一目元気な姿をお見せしたいのです」
珍しくホムが自分の意思を示したのには、父だけでなく僕も驚いた。きっとカナド人街の話が出たときに、ホムは老師のことを思い出していたのだろうな。
そうでなくても、
「善は急げといいますしね。では、丸餅と出汁用の昆布と鶏、醤油、柚子を買い求めに、そしてホムのお師匠様を訪ねることにしましょう。私も是非お会いしたいです」
エステアが今日のこれからの予定をざっくりととりまとめる。
「よし、じゃあパーティの準備はパパとクリフォートさんに任せてくれ。夕食の時間までには戻ってくるんだぞ」
「もちろんです、父上」
時刻は昼過ぎ、混雑しているとはいえ、タオ・ラン老師の元を訪ねてもまだ時間にたっぷりと余裕がある。カナド人街の屋台の料理も、エステアの説明があれば、理解が深まるだろうな。これを機に色々と聞いてみるのも良いかもしれない。
* * *
五月の連休程度の混雑を予想していたが、年の瀬のカナド通りの混雑は想像以上だった。
「いらっしゃい、いらっしゃい! お値打ちだよ~!」
「さあさあ、寄ってらっしゃい、みてらっしゃい~! 新年のご馳走はこれがないと始まらない、今日から塩抜きすれば明日に間に合う数の子だよ~!」
大通りの左右にほとんど隙間なく並んだ屋台と露店からは、絶え間なく威勢の良い商売人たちの声が飛び交い、買い出しに訪れた人々がかけ声が上がるたびに動くものだから、僕は右へ左へと常に人波に揺られて歩かなければならなかった。
ここまでの混雑となると、目当てのものを見つけられるか心許なく思っていたのだが、エステアは慣れた様子で店先から品物をいつの間にか選んで戻ってくるので、どうやら大丈夫そうだ。
「エステア様はすごいですね。観察眼が鋭いと買い物にも活かせるのでしょうか……」
ホムがエステアの行方を注意深く追いながら、驚いた様子で呟いている。
「そうかもしれないね。あと、出身地にはこういう市場が多いと聞いたから、単純に慣れているのかも」
「そうだよね。あ……」
会話の途中で急に立ち止まったアルフェが、不思議そうに宙を仰ぐ。
「どうしたんだい、アル――」
問いかけると同時に、前から来た人に気づかず、勢いで後ろに転んでしまった。
「マスター!」
「大丈夫?」
ホムの声よりも早く、ひんやりとした手が僕の方に差し伸べられる。
「あ……」
カナド風と言ったらいいのだろうか。手を差し伸べたのは袖部分がゆったりと下に長く伸びた不思議な構造の服を着た薄水色の長い髪の女性だった。
「ありがとうございます」
彼女の手を取り、慌てて起き上がる。不思議なことに、混雑していると思った市場に、ぽっかりと僕たちのための空間が空いた。
「ちゃんと前を見て歩かないと危ないわよ」
「親切にありがとうございます」
応えながら、不思議な服を着ている女性の隣に控えている金色の髪の女性を一瞥する。こちらは、軍服を着ていることから父上と同じ軍人のようだ。
軍人と異国の服を着た女性という組み合わせは珍しいが、ここがカナド通りということを考えると、エステアのように故郷の味を求めて来た人なのかも知れないな。
「今の時期は混んでるからね、迷子にならないように気をつけるんだよ」
「はい」
やれやれ、この格好だから仕方ないとはいえ、また小さな子どもに間違われてしまったな。
「それじゃあ、気をつけて」
そう言うと不思議な服の女性と軍服の女性は連れ立って僕たちから離れていった。それと同時にまた人波が押し寄せたが、ホムに手を引かれて合流することが出来た。
「申し訳ありません、マスター」
「いや、いいよ。それより――」
アルフェの方を見ると、まだ宙を眺めている。しかもその方向は、先ほどの二人の女性が去っていた方だ。
「なにか見えるのかい、アルフェ?」
「あの人のエーテル、おっきくて、見たことのないかたちだなって」
色ではなく、形に触れたアルフェは不思議そうに目を瞬いている。煌めく浄眼が見ているものを共有できればいいのにと、二人連れの背を追っていると、酒屋の前で立ち止まった二人の声が聞こえて来た。
「
「まあ、新年だしいいんじゃないですか?」
どう見ても二人連れなのだが、明らかに第三者を交えて会話しているようだ。
「あのエーテル、なんだか生きてるみたい」
アルフェの浄眼に映っているのは、本当にエーテルなのかな。僕たちがまだ知らない何かが彼女たちには見えているような気がしてならなかった。
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