第250話 家族との再会
ヴェネア湖の上を抜ける冷たい風に上着の襟元を合わせる。湖上を薄く覆っていた霧が強く吹いた風に流れて、間近に迫った懐かしいトーチ・タウンの景色が露わになった。
「あれが、トーチ・タウンね」
「そう。中間の入り江にある塔を中心として、東西に分かれているんだ。僕たちの家がある東側は、今頃は黒竜教の竜堂広場市で賑わっているはずだよ」
新年には黒竜教の参拝で多くの人が訪れる竜堂は、新年に向かうまでの間も竜堂広場市が日に日に増えていき、年が明けた頃に大きな賑わいの時期を迎える。甘い物が好きという黒竜神にちなんで、黒竜神に捧げる菓子を売る屋台が所狭しと建ち並ぶのだ。
「それは楽しいお祭りのようなものなんでしょうね」
「そうだね。僕もアルフェと何度かお参りに行ったけれど、子どもたちは大喜びだったよ」
少し離れていただけなのに、こうして外から故郷を眺めていると、子どもの頃、トーチ・タウンで過ごした日々のことを思い出す。
屋台の菓子の色とりどりの包み紙、甘い砂糖の香り、アルフェの嬉しそうな笑顔――。顔よりも大きい綿飴なる綿状の飴菓子を成り行きで作ることになったけれど、あれも美味しかったな。
「……リーフは、嬉しくなかったの?」
「え?」
懐かしく昔を振り返っていた僕は、不意に向けられたエステアの問いに思わず目を瞬いた。
「いえ、『子どもたちは大喜びだった』と言ったでしょう?」
「……あ、ああ。小さい子たちは、ここぞとばかりにお菓子を食べられるからね。それで――」
自分の発言を繰り返され、間違いに気づく。苦し紛れに言い添えながら、表情を変えないように努めた。よく考えて見れば自分も子どもだったのだから、ここは「楽しかった」と無難に表現すべきだったのだ。人に説明しようとすると、変なところで自分の客観的な視点が露呈してしまいそうだ。エステアと話すときは気をつけないといけないな。
「確かに、私も甘い物は虫歯になるからと律されたものだわ」
「そうだね。そう考えると黒竜神は神様だから、虫歯の心配をしなくてもよさそうだ」
「ふふっ、そうね」
僕の発言がおかしかったのか、エステアが少し噴き出しながら同意を示す。
やれやれ。客観的な視点を持っているからとはいえ、前世の記憶を持ったまま転生しているなんて荒唐無稽な話を思いつくはずもないだろうけれど、念には念を入れて気をつけておくに越したことはないな。
* * *
トーチタウンの港湾区に入る頃には、太陽も高く昇り、冬とはいえあたたかな日差しが僕たちを迎えてくれた。
「おかえり、リーフ! ホム!」
「父上!」
下船した僕たちを真っ先に迎えたのは、意外にも父の声だった。
「お帰りなさい、リーフ、ホムちゃん。アルフェちゃんも、お疲れさま」
「それと、いつも娘がお世話になっているそうで……ようこそエステア」
僕たちの旅の疲れを労う母の言葉に頷きながら、父が僕たちの後ろに続くエステアを穏やかに迎える。
「急なことで申し訳ありません。本日からお世話になります、エステア・シドラと申します」
エステアは
「ファリオン公爵家に仕えるシドラ子爵家のご令嬢をお預かりするとは、光栄の極み。どうぞ我が家と思って寛いでほしい」
「ありがとうございます。どうぞお嬢様の友人として気軽に接してください」
「もちろんそのつもりだよ」
堅苦しい挨拶はここまでだとばかりに、父が白い歯を見せてにっと笑う。その表情に安堵したのか、エステアも肩の緊張を解いた。
「さあ、まずは我が家に行くとしよう。みんな、荷物は任せなさい」
「いえ、ここはわたくしが――」
「ホム、お前も従者じゃなく娘のように思っているんだ。お前の親はリーフかもしれないが、たまには年長者にも甘えてくれ」
その言葉にホムは呆けたような表情を一瞬だけ見せたが、すぐに父の言わんとしていることに気がつき、嬉しそうに頬を染めた。
「父上の言うとおりにしていいよ、ホム」
僕が優しく諭すと、ホムは頷いて父に荷物を預けた。エステアはこれから厄介になるのでと固辞し、父も無理強いはしなかったが、アルフェは素直に甘えてくれた。
「ありがとう。重くないの?」
「はははっ、これでも軍人だぞ?」
この程度の荷物は重いうちに入らないとばかりに、父が三人分の荷物を軽々と頭上に掲げる。
「すごーい!」
アルフェが思わず歓声を上げると、父はますます嬉しそうに快活に笑った。
「素敵なご家族ですね」
歩き始めた父と母に続きながら、エステアがホムに囁く声が聞こえてくる。
「わたくしには勿体ないほどの素晴らしい家族です」
ホムの口から『家族』という言葉が出たことを噛みしめるように頭の中で反芻しながら、僕は改めて大切な家族と並んだ。
さて、久しぶりの会話はなにがいいだろうな。母の病状が気になるが、エステアに変に気を遣わせてしまうのは避けたい。そう考えると、父が迎えに来てくれた話題から入るのが無難でよさそうだ。
「……父上、仕事は大丈夫なのですか?」
父を見上げながら訊ねてみる。例年、年末年始は要人警護もあって忙しく、ほとんど家にいた記憶がない。
「年に数えるほどしかない娘との時間だ。部下たちが気を利かせて休みを取らせてくれた」
「じゃあ、みんな一緒に過ごせるね」
アルフェの弾んだ声に、父と母が揃って頷く。どうやら僕の家で過ごすことが両家の家族間でも公認されているらしい。
さすがクリフォートさんは、母親というだけあってアルフェのことがよくわかっているな。思えば昔から、アルフェはうちに毎日のように出入りしていたのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
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