第90話 遊泳区でのひととき
「あんたたち、今日の修行は休みなんだって!?」
朝食の後片付けをしていると、だしぬけに宿屋の女主人に声を掛けられた。
「はい。少し修行を急ぎすぎたとのことで……」
本当は五日間でホムに奥義を修得させたかったが、この状況では難しい。そのことを僕自身もかなり残念に感じているのか、自分で思っていた以上に残念そうな声が出た。
「そりゃそうだよ! 遊び盛りのお嬢ちゃんたちが、こんなところで老師と修行だなんて……! 夏休みなんだから、ぱーっと遊びな!」
女主人が背中を叩きながら僕を励ましてくる。老師もそうだが、カナド人はかなり面倒見の良い性格のようだ。トーチ・タウンの人々も親切で面倒見がいいが、それとはまた少し毛色が違うな。
「そうですね……」
適当に相槌を打ったが、遊ぶと言ってもあまり思いつかない。アルフェと過ごすときも、アルフェがやりたいことに合わせるか、錬金術や魔法を披露し合うぐらいで、いわゆる『遊び』とはなにかが違う気がする。乳幼児の頃は子供らしい遊びをしていたが、さすがにそれはもうこの年ではやらないだろうし……。
そこまで考えてから、先ほどの女主人の『遊び盛り』という言葉が気にかかった。そう言えば、僕の見た目は九歳頃のまま成長が止まっているんだった。ホムも僕とそこまで大きく変わらないし、アルフェは可愛らしいものが好きだから、年齢よりは幼く見られるだろう。
……ということは、僕たちはもしかしてかなり幼く見られているのではないだろうか。
「……おや? さてはその顔、修行ってんで、遊び道具を忘れて来たね?」
「あ、いえ……」
案の定、女主人に勘違いされていたらしい。楽しげな笑顔は、僕たちに『年相応』の遊びをさせたそうにしている。もうそんな年齢ではないのだけれど、今さら否定したところで余計にややこしくなるだろうから黙っておくことにした。
「おばさんが、いいものを貸してあげるから待ってな!」
そう言って倉庫らしい扉の向こうへと消えていった女主人は、娘のお下がりだという水着を手にして戻り、満面の笑みで僕に三人分の水着を渡してきた。
* * *
トーチ・タウンは、ヴェネア湖を挟んで東西に分かれている。今、僕たちがいるカナド人街――つまり西側の商業区は、その南に位置する西港区との間にある緩やかな入江を夏季に遊泳区として開放している。
宿屋の女主人に紹介された遊泳区の一角は、観光客向けの露店などからかなり離れていることもあって、かなりの穴場になっていた。
「どうかな、リーフ? 似合う?」
アルフェが着ているのは、上下セパレートタイプの大人っぽい水着だ。明るい水色と紫色が混じった水着は、アルフェの薄紫色の髪とも良く似合っている。アルフェ自身も気がつかないうちに成長していたようで、最初に借りた水着では少し小さく、女主人はまだ新しい水着を「いいから、いいから!」と押しつけてきたのだった。
「似合うよ、アルフェ。学校ではこういうのを着ないから、なんだか珍しいね」
学校でも水泳の時間はあるが、より実用的な着衣水泳だったので、水着を着るのは実は初めてだ。
「リーフも可愛いよ。ワタシ、これからは、リーフとホムちゃんと一緒に泳ぎにも行きたいな」
アルフェが僕の水着姿を眺めながら満足げに何度も頷いている。遊泳区の様子を見る限り、夏にこういう場所で泳ぐというのは、かなり一般的な娯楽のようだ。
「じゃあ、水着を買わないとね」
もし買うとすれば、今着ているような上下一体型のものがいいだろうな。ホムには、アルフェが着ているようなものも似合うかもしれないけれど、僕が着るとかなり背伸びをしたように見えるんだろうな。まあ、着るものにそんなにこだわりはないし、いざとなれば母がなにか似合うものを選んでくれそうだけれど。
せっかく水着を着たので、浅瀬に入り、アルフェの提案で水かけっこや、追いかけっこでひとしきり遊んだ。追いかけっこはなぜか僕が追いかけられる役で、アルフェに毎回後ろから抱きつかれて捕まっていたのだけれど。
ホムはというと、アルフェの提案した遊びにどの程度の力を発揮すれば良いのかわからなかったらしく、やや遠巻きに僕たちの様子を見ているだけだった。まあ、これは僕の経験値が圧倒的に足りていないせいだろうな。アルフェに提案されなければ、湖に脚を浸すくらいしか思いつかなかっただろうし。
とはいえ、それなりに水遊びを楽しんだところで、女主人が持たせてくれたサンドイッチを食べると、僕は本題を切り出すことにした。
「……さて、ホム。もう気がついているとは思うが、お前は雷魔法を扱うことができない」
「承知しております、マスター……」
自身の欠陥を指摘されたと思っているのか、ホムの声は幾分か弱々しい。
「だが、これは僕の責任だ。僕との感情同調中に起きたトラブルが原因だからね。その件については済まなかったと思っている」
ホムはどう答えたものかわからないのか、黙ったまま首を横に振った。
「だが、このままでは――」
「……理解しております。マスター。つまり、わたくしには老師様の奥義は継承できない――」
「出来るよ!」
僕たちの会話を真剣な面持ちで聞いていたアルフェが、ここで突然割って入った。
「アルフェ……」
「ありがとうございます、アルフェ様。ですが、雷属性の魔法を使うことができないことには……」
アルフェの発言にホムが戸惑った様子で口を開く。これに関してはホムの言うとおりで、他の火とか水属性の魔法で、この奥義を代替することはできないのだ。火属性の魔法と風属性の魔法を応用して爆風を起こしたり、水属性の魔法で水圧をかけて
「大丈夫だよ、ホムちゃん。ちゃんと使えるよ」
俯くホムの手を取り、アルフェが励ますようにその目を真っ直ぐに見つめる。僕にもよくやってくれる仕草だが、こうして客観的に見るのは初めてだな。アルフェがこういうとき、すぐには自分の考えを口にしたりはしないで、しばらく間を置く癖があるんだけれど、その間にホムの心も落ち着きそうだ。
「なにか考えがあるんだね、アルフェ?」
ホムが落ち着くのを待つよりも先に答えを知りたくて、アルフェに問う。アルフェは微笑んで頷くと、ホムの手をゆっくりと放した。
「
ああ、なるほど。ホムが自分で雷魔法を使えないならアルフェが使えばいいということか。
「見ててね。……
アルフェはゆっくりとした詠唱で、指先に雷属性を付与する。指先で弾ける小さな稲妻を目の当たりにしたホムは、怯えもせずに、アルフェの指先を注視している。
どうやら、この程度ならホムに植え付けられてしまった恐怖の感情を呼び起こさずに済むようだ。いや、待てよ。タオ・ランと初めて出逢った時も、雷鳴瞬動を目の当たりにしてもホムに怯えの反応はなかったような気がする。
もしかすると、ホムは自分自身が雷の属性魔法を使うことができないだけで、それを見たり、相手から行使される分には順応できるのかもしれない。
感情抑制が僕自身の死への恐怖によって一部意味を成さなくなっていたのは想定外だったが、絶対服従の術式で補い得る可能性があるということか。
だとすれば、ホムの奥義修得はアルフェの協力があれば可能になるんだろうな。いざという時のために、僕もアルフェに匹敵するくらいの雷魔法を制御できるようにならなければ。
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