第81話 標的にされたホムンクルス

 花の季節を過ぎた龍樹の枝葉が、ますます青く染まり、澄んだ空へと伸びている。


 セント・サライアス中学校二年に進級した僕とアルフェは二度目の春を迎え、ホムも生徒たちから好奇の目で見られる期間を過ぎた。


 四月に入学した新入生たちに、僕が伴うホムのことが早々と周知されたこともあり、ホムの扱いは、他の生徒が伴っている従者の扱いとそう変わらなくなっている。


 先生方の教育の賜物でもあるが、やはりこの時代のホムンクルスはしっかりとした人権を与えられているのだと改めて実感する。だが、その陰で犯罪組織によるホムンクルス誘拐事件は密かに増加を続けているらしい。


 ホムはすでに父から教わった護身術を身につけてはいたが、それはあくまで自分の身を護ることに特化している。僕とアルフェを守れるだけの戦闘技術を身につけたいというホムの希望で、五月の連休は街の西側にあるカナド通りへと赴くことになった。


 カナド通りというのは、西側の商業区の繁華街の名だ。僕たちの生活圏である街の東側とは湖を挟んだ対岸に位置し、古今東西の様々な文化の影響を色濃く受け継いだ建築や、屋台や露店をはじめとした商店が多く連なっている。


 黒竜教で定められた連休ということもあり、カナド通りは多くの人で賑わっている。同行したアルフェの提案で、湯気の立つ甘い蒸し饅頭を分け合って食べながらそれらしい道場に目星をつけていると、ホムが警戒した様子で周囲に目を配っていることに気がついた。


「……どうした、ホム?」

「よからぬ輩が近づいているようです」


 口早に応えたホムは、警戒心を強めて拳を握る。


「あ……」


 アルフェの浄眼もなにかを見つけたのか、その表情に怯えが混じった。


 ――やはり、目立つか……。


 学校で周知されている以上、僕たちのことを知ることとなる人間は多い。生活圏ではそれが安心に繋がっているのだが、同じ街とはいえ、生活圏から離れた場所では状況が変わってしまう。


 まあ、ホムは僕が念入りに造形を考えただけあって、かなり見た目も良いからな。闇取引で高い値がつくだろうし、狙うなら大人の錬金術師よりも、子供に限る。


 これだけの人出と賑わいなら大丈夫かと思っていたが、どうも考えが甘かったようだ。


「……いかがいたしますか、マスター?」


 声を潜めてホムに聞かれたところで、僕たちをニヤニヤと見つめながら近づいてくる大男の姿に気がついた。


「アルフェ様、お下がりください」


 ホムが僕たちの前に進み出て、父に習った基本姿勢を取る。見るからに厳つい大男が近づいてきているせいか、僕たちの周りを人々が自然と避け始めた。


「……おやおや、こんなところにいたとはな。ずいぶんと探したぜ。こっちへ来な」


 大男は下卑た笑みを浮かべながらホムの腕を取ろうとする。ホムは無言でそれを振り払うと、僕たちにさらに下がるように促した。


 少女型のホムンクルスが珍しいとはいえ、こんなに白昼堂々と接触してくるとは……。


「リーフ……」


 背後にいるアルフェの声が震えている。この男ひとりぐらいなら、ホムひとりで倒せるだろう。僕たちがすべきは、ホムが安心して戦えるように身の安全を確保することだ。


「アルフェ、逃げ――」


 逃げると決めてからの僕の行動は早かった。アルフェの腕を取り、大男に背を向けてかけ出す。だが、僕たちの行く先は、既に別の太鼓腹の男によって塞がれていた。


「一体どこへ行くんだい? おじさんとお家に帰るんだよ」

「……あ……あ……」


 怯えきったアルフェが青い顔をしている。アルフェの手を強く握り、なにをすべきか思考を巡らせたその時。


「あんたたち人さらいかい!?」


 恰幅の良い女主人が勇ましく声を上げてくれた。見れば、先ほど甘い蒸し饅頭を買った店の女主人だ。彼女の問いかけに、遠巻きに僕たちの様子を見ていた人々がざわめき出した。きっと誰もが、誘拐なんて犯罪がこんなに多くの人がいる場所で起こるとは思っていなかったのだろう。僕だってそうだった。


 けれど、助かったと思ったのもほんの束の間のことだった。


「……ははは、またまた、人聞きの悪い」


 太鼓腹の男は大声でその問いかけを笑い飛ばし、僕たちとの距離をさらに詰めてきたのだ。


「なーに、親戚の子を預かってるんだが、臍を曲げられちまってなぁ」

「そうだろ、弟?」


 太鼓腹の男が聞くと、ホムと対峙していた大男が頷く。すると、近くの露店から別の声が上がった。


「あー、わかるぜ。俺も女房に代わって子守りをしてただけだっていうのに、人さらいに間違われたもんだぜ」

「悲しいことに、ガキもママー、ママーなんて叫びやがるから誤解を解くのに苦労したってもんじゃない」


 太鼓腹の男が芝居がかった仕草で周囲の同情を集める。


「お前らのその顔じゃあ、しょうがねぇよ」

「見た目で判断するなよぉ」


 露店の主人がそれを笑い飛ばすと、強面の大男が急に眉を下げ、情けない声を出した。どっと笑いが起こり、僕たちに向けて野次のような声が飛ぶ。


「なぁんだ。紛らわしいったらありゃしないよ」


 その場の雰囲気に呑まれたのか、恰幅の良い女主人も引き下がってしまった。


 どうやら、僕が考えていた以上に相手の方が何倍も上手だったようだ。こうなってしまっては、この場に僕たちの味方はいない。逃げる以外の選択肢がないことに気がついた僕は、ホムに鋭く命じた。


「ホム――」

「かしこまりました」


 僕の言わんとすることを瞬時に理解したホムが、大男に足払いをして転倒させる。


「おい! 待て!」


 太鼓腹の男の手を近くにあった看板を盾にして避け、僕はアルフェの手を引いたまま全力で走る。体格差のこともあり、アルフェが僕を抜いてぐんぐんと速度を上げた。


「とにかく、走って!」

「うん!」


 こんなとき、幼い身体のままというのは不便だな。アルフェが手を引いてくれていても、僕が逃げ遅れているのがはっきりとわかる。アルフェの足を引っ張っているこの状況を、なんとかしなくては。


「アルフェ、僕を置いて先に行って」

「ヤダ!」


 アルフェは人々の間を擦り抜けるように駆け抜けながら、僕の姿を巧みに隠して逃げ続ける。だが、迫り来る男たちとの距離は見る間に縮まっていく。


「おいおい、そう逃げるなよ。みんな仲良く遊ぼうぜぇ」


 声を張り上げながら、大男が僕たちを追い詰める。ついにその手が伸び、僕の腕を掴んだ。


「リーフ!」

「離せ!」


 振り解こうにも、大男と僕の体格差ではどうすることもできない。


 ――だが、ホムならばどうだ?


「ホム!」


 僕が叫ぶと同時に、人混みの中から突如として現れたホムが、男の鳩尾に痛烈な蹴りを叩き込む。


「あっ、ぐ……」


 不意を突かれた大男は、身体を折り、辺りに吐瀉物を撒き散らす。男の手から逃れた僕は人混みの中に身を隠し、アルフェの姿を探った。


「アルフェ様は安全な場所へ!」


 姿を見失ったのか、ホムもアルフェに向けて叫んでいる。


「ダメ、一緒に逃げるの!」


 アルフェの声が聞こえたが、僕にもその姿は見つけられない。他にも仲間がいて、捕まっているのではと思うと、背を冷たい汗が流れた。


「いやいや。鬼ごっこはもうお終いだ。おじさんたちをあまり困らせないでおくれ」


 追いついてきた太鼓腹の男が、ホムに歩み寄る。大男も気を取り直して立ち上がり、ホムを見下ろしていた。


「ずいぶんとお転婆だな。これは、躾直す必要がありそうだ」


 あくまで『親戚』の振りを続ける男たちに、通りにいる人々が表立って声を上げられずにいる。運悪くこの混雑のせいか、警邏けいら中の警察の姿も見つけることが出来なかった。


 僕もホムもこの人混みのなかに簡単に埋もれてしまう。騒ぎが起きていることに気づいたとしても、男たちの話が聞こえていれば子供が駄々をこねているぐらいにしか思わないかもしれない。


 やはりここは、アルフェだけでも逃げてもらった方がいい。絶対に巻き込みたくないし、僕のせいでアルフェにこれ以上怖い思いはさせたくない。


「アルフェ、僕の言うことを聞いてくれ。今は逃げるんだ」

「――逆巻く風よ。疾風の加護を。ウィンド・フロー!」


 応える声の代わりに聞こえたのは、風魔法の詠唱だった。詠唱と同時に旋風が起こり、僕とホムの姿を包み込む。


「こっち、走って!」


 どこからともなく伸びた手が、僕の手を強く引き寄せる。


「アルフェ!」


 驚きに叫んだ口を舌を噛まないように慌てて閉じ、アルフェの全力疾走に合わせて通りを駆け抜ける。


「こっちだ!」


 まるで風のように大通りをあっという間に抜けた僕たちだったが、男たちの目を逃れて行き着いた先は、不運にも袋小路だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る