第52話 決死の救出活動

 朝だというのに、空は夜のように暗く、容赦なく叩き付ける風雨で視界がきかない。雲間を走る稲妻によって雨で白くけぶる街が時折浮かび上がる他に手掛かりはなく、アーケシウスに取り付けた魔石灯ませきとうもほとんど役に立たなかった。


「父上……」


 街中を移動するのを諦め、軍港区画を突っ切り、まっすぐに湖を目指すことにした。この嵐の中では軍も機兵を帰還させざるを得なかったことから、アーケシウスが呼び止められることはないだろう。万が一、誰何すいかされるようなことがあれば、父の名前を出せばなんとかなるはずだ。今の僕は子供だし、ともかく人命がかかっていて、軍が諦めた救出に向かっているのだから。


 懸念していたようなことは起こらず、ただひたすら激しい嵐の中を湖に向かってアーケシウスを歩ませる。


 ようやく辿り着いた湖岸は、僕の知る景色とは全く異なっていた。


 湖の水は生き物のように蠢き、濁った白波を立ててアーケシウスに襲いかかる。水中でも動けるようにしているものの、湖の中に飛び込むのは躊躇された。


「落ち着け、考えろ……」


 一度目を閉じ、深呼吸しながら自分に言い聞かせた。僕にはグラスとして生きてきた人生と、リーフとして生きてきたこの九年間、二つの人生がある。その経験を活かせば、父を救助することは可能なはずだ。そう信じてアーケシウスを出したのだ。


 再び目を開くと、稲妻の光とは異なる光が映像盤をゆっくりと過っていった。視界がほとんどない中でも、灯台の光は届く。光を辿れば灯台の位置を割り出すことが可能だ。アルフェが見たという船の航路を考えれば、街に入る直前で難破し、父はその救助に当たっただろう。ならば、まずは灯台を目指し、風下に向かうのが発見の確率が高そうだ。あくまで風向きが変わっていないことが前提だが――。


 意を決して荒れ狂う湖の中に飛び込む。


アーケシウスの機体の重さで、柱のような白波が立ち、映像盤の映像が暗転する。だが、それもすぐに水面の光景に切り替わった。湖岸は波立って荒れてはいるものの、水深はアーケシウスの胸ほどの位置で落ち着いており、ほとんど想定通りの深さだ。


「上手く動いてくれよ……」


 水中での活動を可能にした際に思いついた簡易術式を、アーケシウスの噴射式推進装置バーニアに組み込んでおいて本当に良かった。この装置は、本来ならば風魔法を使って圧縮した空気を送り出すことで高速機動を可能にしているのだが、水中では水魔法と風魔法を組み合わせて、圧縮した水を噴射するように改良したのだ。


 切り替えボタンにエーテルを流すと、アーケシウスの噴射式推進装置バーニアが反応し、強い水圧を噴出し始めた。


「目標、南。灯台を越えて風下に向かう」


 自分に言い聞かせながら噴射式推進装置バーニアから水圧を噴出させ続け、光を頼りに灯台へと向かう。灯台を少し過ぎたところで、嵐で難破したと思われる客船の残骸が、その灯りに照らし出された。


 客船は見えない巨大な赤子の手で遊ばれているかのごとく、あり得ない動きをして上下左右に揺さぶられており、波飛沫を受けて横倒しになっている。


 ――父の機体は、この近くのはずだ。


 ここから先は、噴射式推進装置バーニアでの高速機動は必要ない。足踏版そくとうばんを一定のリズムで踏みながらアーケシウスを泳がせ、暗く荒れる湖をくまなく探した。


「父上、どこですか!? 父上ーーーー!!」


 拡声器を使って呼びかけるが、魔獣の咆吼のような風の音に掻き消される。だが、その嵐を起こしている雲は、いつしか僕を取り囲むように上空に集約しつつあった。


 暗雲が渦を巻き、竜巻のような旋風を幾つも起こしながら湖を波立て、機体を横殴りにしていく。安定を優先し、ゆっくりとアーケシウスを泳がせながら、僕は父の乗っているはずのカルキノスを見つけようと映像盤に目を凝らした。


 視界があまりきかないが、風は西岸に向かって吹いている。難破したあの客船も西岸に向かって行きつ戻りつするように揺れているので、それは確かだ。おそらくこの船もここまで流されてきたのだろう。


「あっちか……」


 雷鳴が轟き、稲妻が走ったその一瞬、西岸の雲間から光が差しているのが見えたような気がした。西岸とこの湖上では天候が分かれつつある。それが単なる自然現象とは思えなかった。


 なぜなら渦を巻くように吹き付ける暴力的な風の向きに雲は影響されず、横殴りの雨は独立して機体に降り注いでいる。轟く雷鳴は僕の無謀な行為を嘲笑うかのように、稲妻は僕に目の前の光景を見せつけようとしているかのような閃光をほとばしらせている。


 こんな嵐を起こせるのは『神人カムト』か『女神』しかあり得ない。


 真なる叡智の書アルス・マグナを取り出すことが禁忌に触れるとでもいうのだろうか。真理の追究関連は今の錬金術では廃れてしまっているが、別段禁止されているわけではなかったはずだ。


神人カムト! カシウス! そこにいるのか!?」


 西岸に向かって機体を泳がせながら、拡声器を通じて叫ぶが、その声は恐ろしい雷鳴に掻き消される。やはりこの嵐はまるで僕を嘲笑うかのように、湖上に集約しているようだ。足踏板をかなり力を込めて踏まなければ、すぐに波に呑み込まれてしまいそうになる。まるで「お前の命の火など、すぐに消せる」とでも言いたげに思えるのは、単なる僕の被害妄想ではないはずだ。


 そう感じた瞬間、ぞくりと背が震え、肌の表面が粟立った。子供の身体に備わっている本能的な防衛反応が働いている。これ以上は危険だと、僕に知らせようとしているかのように。


「……悪いけど、僕は引き下がるつもりはないよ」


 自分の身体に言い聞かせ、操縦桿を強く握り、足踏板を踏む両脚に力を込める。とにかく落ち着いて、自分のすべきことを成し遂げるだけだ。


 ――僕は、父上を助ける。そのためならば……


神人カムトよ! 僕が狙いだというなら、僕だけを狙え!」


 神人か女神の仕業であるならば、どこかで僕を見ているはずだ。


「僕の大切な人を巻き込むな!」


 喉が破れるほど強く叫ぶと同時に、目の前に閃光が迸った。白く照らされた湖面に、ほんの一瞬、見覚えのある機体が浮かび上がった。


「父上!」


 ほんの一瞬だったが、見間違えるはずはない。あれは整備区画で見せてもらった、父上の機体――カルキノスだ。


「今行きます、父上!」


 不思議なことに風雨が僅かに弱まり、視界が突然開けた。嵐が完全に去ったわけではないが、僕は噴射式推進装置バーニアを利用して水中から浮き上がり、座礁したカルキノスを目指した。


 西岸で座礁したカルキノスが、薄闇で岩と見紛うような機体を横たわらせて活動を停止している。機体の傍には千切れた腕部や脚部と思われる部品が転がっており、自力での帰還が困難であることは明らかだった。


「父上! 父上! 聞こえますか!」


 叫びながら機体の操縦槽の扉を探る。胸部にある操縦槽の扉をアーケシウスの腕でそっと引っ掻いてみたが、中からの応答はなかった。


「……くっ」


 脳裏を過った最悪の予感を頭から追い出し、操縦槽の扉にアーケシウスの指をかける。集音機から僅かに聞こえてくる扉が軋む音に耳を澄ませ、細心の注意を払いながら扉を剥ぎ取ると、中から水が噴き出し、操縦席に身体を預けたままの父の姿が露わになった。


「父上!」


 荒れ狂う風雨が生身の父に降り注ぐ。僕はアーケシウスを慎重に操作して父の身体を操縦槽から救い出すと、反対の手で覆うようにして岸へとアーケシウスを引き上げた。


 怪我をしているのか、あるいは操縦槽で溺れてしまったのか父はぴくりとも動かない。


 岸にアーケシウスの腕を下ろした僕は、居ても立ってもいられずにアーケシウスから飛び降り、機体の手のひらの上の父に駆け寄った。


「父上、父上! リーフです! 助けに来ました!」


 微かに生体反応はあるものの、それは恐ろしいほど微弱だ。僕は気道を確保し、心臓の位置に手のひらを当て、エーテルを送り始めた。だが何度繰り返しても父は目を覚まさない。呼吸もほとんど確認出来ないほど弱く、僕は恐怖のあまり叫んだ。


「父上!!」


 子供の力ではなにも出来ないのだろうか。

 せっかく救い出したというのに、このままでは、父は――


「父上! しっかりしてください、父上!」


 叫びながら拳で強く父の胸を叩く。自分の無力さが歯がゆかった。もし自分が子供でなければ、もっと人命救助に明るければこんなことにはならなかったはずなのに。


「父上! 父上ーーー!」


 胸を叩く手に力がこもる。と、父の表情が僅かに変化したような気がした。


「……ちち、うえ……?」


 眉間に皺が寄り、瞼に力が入る。


「父上、起きてください、父上!」


 必死の呼びかけに反応し、父がゆっくりと瞼を持ち上げた。


「ああ、リーフ……リーフか……」


 目を覚ました父が、腕を伸ばし、僕の背に手を回す。


「会いたかった……」


 その声と共に力強く僕を抱き締める父は、さっきまで死の淵にいた人物のものとは思えないほど力強くて、温かかった。


「ダメですよ、父上。こんなところで一人で眠っては……」


 抱き締められることで、こんなにも安心するなんて僕は知らなかった。父の腕の中がこんなにも心強いと感じるなんて、僕はわかっていなかった。


「ははは、そうだな。ちゃんとお前たちの元へ帰らなくては――」

「父上……、父上……」


 言いようのない愛情を感じ、僕も父を抱き締め返した。ぐちゃぐちゃの感情が胸を打っている。なんでこんなに涙もろくなってしまったんだろう。


 あれほど激しかった嵐はいつの間にか去り、遠くから救助隊の呼び声が聞こえてくる。


「もう大丈夫だぞ、リーフ」

「はい、父上……」


 さっきまで死にかけた人の言葉や腕の力とは思えないな。父親というものは、こんなにも強いものなのか。僕はこんな人に守られてきたのか……。


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