第17話 僕とアルフェ

 アルフェとともに通うことになった託児所は、劇的に環境が改善されていた。


 大きな変化は、年齢別に部屋が区切られ、それぞれのクラスに分類されるようになったことなのだが、それが想像以上に快適だった。


 アルフェは僕と二人きりになれるのが嬉しいのか、ジュディさんの話だと託児所に行くのをかなり楽しみにしているらしい。


 僕としても、全てが子供向けで統一されている託児所は、家にいるよりも自由に過ごしやすくて気が楽だった。


 子供用の机や椅子をはじめ、子供の身長に合わせた家具が揃えられている。


 時計なども僕たちが良く見えるように、かなり低い位置の壁にかけられていた。特に暦は、家では微妙に遠くてはっきりと見えなかっただけに、数字が読み取れるようになったのは有り難い。


 託児所の壁に掲示されている暦によると、今は聖華暦せいかれき八〇八年――。

 グラス=ディメリアの死から約三百年後の世界だ。それがわかったのが、ひとつの収穫だ。


 もうひとつの収穫は、観察の対象が増えたことだろう。

 クラスにはアルフェしかいないが、託児所内では年齢が上の子供を観察する機会も得られる。ここで、子供らしさを成長段階に分類しながら確認できるのは、僕にとって大きなメリットに違いない。


 そうして、託児所に通う生活が、僕とアルフェの日常になった。


 朝、託児所に預けられて、夕方に母親が迎えにくる生活を繰り返すなかで、アルフェも僕も幼児らしく成長していった。


 『お誕生日会』なるものが催され、僕の二歳の誕生日に遅れること三ヶ月、アルフェも二歳になった。


 僕たちの行動範囲は広げられ、図書室のような役割を果たしている廊下の一角にも出入りができるようになった。


 アルフェは部屋に新しく追加された『おままごと』遊びに夢中だ。木製のキッチンや、食材、食器、鍋やフライパンなどが潤沢に用意されており、実際の食事などに見立てて遊ぶという代物だ。食べ物に不自由していない世界ならではの遊びだなと、無邪気に遊ぶアルフェを見て思う。


「リーフ、あそぼ」


 ままごとの盛り付けを一通り終えたのか、アルフェがこちらにやってくる。託児所に入った頃にはまだ片言だったアルフェも、それなりに話すようになった。


「僕、今、本を読んでるんだけど」


 意思疎通が出来るようになっても、アルフェは僕とばかり遊ぼうとする。年齢によってクラスが分かれているが、一つ上のクラスとは一応行き来ができるようになっている。向こうは年下の僕たちの相手をしようとは思わないらしく、僕たちは相変わらず二人で行動することが多い。


「あとで?」


 僕の言葉を自分なりに咀嚼して、アルフェが聞き返してくる。どうあっても僕と遊びたいという意思は変わらないようだ。


「ままごと以外ならね」


 読み終わった本を閉じ、本棚から新しい本を取り出して広げる。ままごとに誘いに来たアルフェは、諦めずにぼくの隣に座った。


「ごほんよんれ」


 『以外』って言葉がわかるようになったらしい。ままごと以外の選択肢を向けられた僕は、やれやれ、と立ち上がって本棚に向かった。


「リーフ?」


 絵本の棚から、アルフェのお気に入りの『ネコとおひめさま』を手に取り、振り返って示す。


「それ!」


 たちまちアルフェの顔が笑顔で輝いた。こういう顔をされると悪い気がしない。

 僕が絵本を広げると、アルフェが真剣な眼差しを向けて絵本に集中した。


「むかしむかし、あるところにひとりぼっちのおひめさまがいました――」


 そらでも言えるくらい読み飽きた絵本だが、アルフェはいつも真剣そのものだ。この絵本に出てくる大きなネコ、そういえばアルフェの家にあったあの大きなぬいぐるみと似ているな。


 いつもは気にしていなかったが、ふと気になったのでアルフェに聞いてみることにした。


「……アルフェ。この大きなネコと、君の家にあったぬいぐるみは同じ?」


 僕の質問に、アルフェはきょとんとして目をぱちぱちさせたが、そのあとぱっと目を大きく開いた。


「うん!」


 大きく頷くアルフェは、僕の気づきを喜んでいるようだ。


「君の母上もこの絵本を読んでくれていたんだろうね。僕の母上も寝る前にそうしてくれたから」

「おんなじ」


 僕が読んでもらっていた絵本は、この『ネコとおひめさま』ではないけれど、多分どこの家にもありそうなことらしい。にっこりと笑ったアルフェは、大事そうに読み終わった絵本を抱えると、とてとてと歩いて本棚に戻しにいった。


 アルフェの家であの絵本を見た覚えはないが、アルフェもきっと寝るときに読んでもらっていたのだろう。そして、その本のことを覚えていたから、ずっとこの本を読んでとせがむのだ。


 赤ん坊の頃の記憶も、意外と覚えているものなのだな。その余力があれば、の話だが。


 そう考えると、『普通』というものが、少しわかった気もする。愛情を持って子供に接する両親の元に生まれ、生きることに苦労を伴わないのが、この世界では『普通』なのだ。


 女神たちが話していた幸福な生活とは、今の自分たちのような生活のことなのかもしれない。


「リーフ、すき」


 本を片付けて戻って来たアルフェが、僕に抱きつきながら甘えた声を出す。最近はずっとそうだ。本を読み終わった後、アルフェは『ありがとう』ではなく、甘えた声で『すき』と言うのだ。


 けれど僕は、アルフェに返す言葉を、その意味をまだ――知らない。

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