君と三分

江乃

第1話


雪がひらひらと舞う様子を眺めながら、期末テストの範囲表をシャープペンシルでカツカツと叩く。

 向かいには付き合って一ヶ月になる中野美里なかのみさとが座っている。彼女を自宅に招き、放課後にテスト勉強をするという実に高校生らしいデートの真っ最中というわけだ。


「あっ、あのさ」


シャープペンシルを握る手が汗ばむ。

何度も頭の中で復唱した台詞をのどの奥のスタートラインに立たせ、息を吸いこんだ。


美里はゆっくり顔を上げると、首をこてっとかしげる。


「なに? 清水しみずくん」

「今日うちの親、仕事でいないんだけど」


すると美里の肩がぴくっと小さく跳ねた。次の言葉を待つ顔は緊張で少し強ばっている。


「夕飯食べて行かない?」


「夕飯……?」

「うん。もう五時だし。中野さえよければ」


すると中野はホッとしたような……でも少しだけ残念そうに眉を下げながら首をたてに振った。自分たちは受験を控えた健全な高校生だ。親が不在だからお泊まりに誘うなんて、そんな下劣なことはしない。というかそもそもそんな勇気はまだ、無い。


「何食べるの?」


中野にそう言われて、朝冷蔵庫が空っぽだったことに気が付いた。自分一人なら卵かけご飯やレトルト食品など簡易的なもので済ませるのだが、彼女と初めて食べる夕飯だ。どうせならちゃんとしたものを食べたい。


だとしたら外食か。財布の中には今朝母からもらった千円札が一枚、のみ。美里がおいしいパスタが食べたい!食後のデザートにケーキも!などと言い出せば自分は水しか飲めないだろう。


真顔で考えを巡らせていると、中野がひらめいたように口を開いた。


「あ、じゃあ近くのスーパー行こうよ。買ってお家で食べよ」




---



家から徒歩十分の場所にある小さなスーパーに着くと中野はカゴを取り、売り場を見渡しながら前を歩いて行く。制服姿の男女が来るスーパーは少しだけ場違いで、なんだかドキドキした。


「何にしようか」


空っぽのカゴを持ちながら中野と狭い店内を歩き回る。

 店内はあらゆる売り場で正月の商品を売り出していた。なかでも年越し用のそばやうどんは出入り口付近に山積みされており、どこにいても目に入るほどだった。


今日は寒いし温かいものが食べたい気分だ。

自分はカップ麺でも構わないが……というかむしろ今日は温かいそばが食べたい気分なのだが、中野はどうだろう。


「中野は何の気分?」

「うーんと…… あっ」


中野が飛びついたのはパスタでもオムライスでもなく、赤いきつねだった。


「これ! 久々に食べたいかも!」


分かりやすくテンションが上がる中野に、思わず口元がゆるんだ。


「赤いきつね?」

「うん。安くておいしいからよくお母さんが買いだめしててさ。学校が休みの日のお昼ご飯は赤いきつね率高かったな」

「あ、分かる! 俺緑のたぬき派なんだけど母さんが夜ご飯作るのめんどくさい時とかによく出てて、でも俺これ好きだから内心よっしゃー!とか思ったりして……」


そこでハッと我に返る。

同じ売り場にいた老夫婦が自分たちを見て微笑ましそうな顔を浮かべていた。募る気恥ずかしさと申し訳なさに、急いで通路の端に体を避けた。


「す、すみません」

「ふふ。いえいえ」


カートを押す夫婦に道を譲る。優しそうな老夫婦はこちらを見て目尻を細めると、カゴの中に赤いきつねと緑のたぬきを入れた。


中野としばらく顔を見合わせた後、二人で小さく笑う。


「私たちもこれにしよっか」

「うん。俺もちょうどそばが食べたい気分だったんだよね」




---


 

二人分の会計を男らしくスマートに済ませ、店を後にする。雪はやんでいたが店に着いた時よりも辺りは暗くなっていた。

 

「スーパーで買い物するのも結構楽しいな」


「新婚みたいで」という言葉を出すのはさすがに恥ずかしいので飲みこんだが、隣で嬉しそうに頷く中野の横顔を見るとやっぱり言えば良かったな、なんて思ったりもした。

 

 

家に着いた頃には日は完全に落ち、空はすでに夜のような静けさをまとっていた。まだ六時だというのに、一日の終わりを急かすような暗さだ。


自宅に戻るとすぐにケトルでお湯を沸かし、カップに注ぐ。六時とはいえ外はもう暗い。食べ上げたらすぐに中野を家に送ろう。


「はい。中野の分」

「ありがとう」


食卓に並ぶ赤と緑。

向かい合いながら、出来上がるまでの三分間を椅子に座ってじっと待つ。


「……」

「……」

「清水くん」

「あぇ?」


突然話しかけられ、うわずった声が出てしまう。中野はふふっと小さく笑うと、恥ずかしそうに視線を落としながら話し始めた。


「付き合ってもう一ヶ月だね」

「あ、うん。だね」

「私二年の秋頃から清水くんのこと気になってたから……告白された時嬉しかった」

「えっ。二年の秋って……文化祭の時くらい?」

「うん。あの頃かな。意識し始めたの。大変だったけど楽しかったよね実行委員」

「クラスの奴らから反感買わないように毎晩電話で作戦練ったよな」

「うんうん。清水くんの作戦ほとんど空回りしてたけど」

「なに!」

「あはは。でも清水くんといると、なんでも楽しいんだよね」

「え……あ、そう?」

「さっきスーパーで買い物したのも、すごく楽しかった……」


「「新婚みたいで」」


きれいに重なった声に、中野は目を丸くした。


「俺も同じこと思ってたから」


二人して顔を赤くし、気まずさに似た思春期の男女特有の独特な空気が流れる。


「……さ、食べよ食べよ! ちょっと早いかもだけど!」

「だな!」


照れ隠しか、中野はわざとらしく明るく振る舞った。そして赤くなった顔を片手でぱたぱたと仰ぎ、長い髪を耳に掛ける。


「いただきます」

「いただきます」


ふたの隙間から漂う出汁だしのいい香り。

ぺりっと蓋を剥がすと、昔から変わらない天ぷらそばがそこにあった。


ごくりとのどを鳴らし、まずはそばを一口すする。冷えた体にじゅわっと染み渡る優しい温かさに、ほうっと吐息がもれた。

そしてお次は小えびの天ぷら。つゆに一度沈ませた後、ザクッと豪快にかじりつく。


「うま!」

「うん。おいしいね!」


ふうふうと息を吹きかけながら熱々のそばとうどんをすする。目の前のそれに引き寄せられるように、お互い黙々と箸を動かした。


口いっぱいに広がるのは、身近でどこかなつかしい味。祖母の家で従兄弟たちと年越しをした思い出、休日に家族みんなで食べた思い出……そして今、目の前でおいしそうに食べるこの愛しい笑顔もひとつの思い出として刻まれていくのだろう。


「く〜っ、幸せしみる!」

「あはは! なにそれ!」


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