第2話 1-2
〝マザー〟それは世界を裏で操る巨大な力の集合体といえるだろう。
世界中のどこの国でも、この名前はトップシークレットで扱われており、メディアにその名が知れることはない。
例え、それが世間に洩れたとしてもそれはなんらかのかたちで消去される。
完全な武装組織、謎という不気味なオブラートに包まれ、人間社会の地下に潜む悪魔に近い。
正に世界を裏で牛耳る闇の集団である。
その圧倒的な力の最深部、マザー本部に
「一体、どうなっているのかね! 江崎君! PX‐0082が脱走して、もう、一年になろうというのに、未だに、何の報告もないじゃないか!」
呼び出された部屋はかなり広かったが、中には半円形のテーブルとそれを囲むイスがいくつか置いてあるだけでなんの工夫もない、無機質な部屋だった。
江崎桐子の周りには八人の老人がテーブルを前にして、江崎を睨んでいる。
「はい、ですから、今、ご報告致します。PX‐0082の潜伏先が判明しました。どうやら、日本のY市に潜伏している模様です」
「なんだと! それを一年間も黙っていたのかね? 一体、何をしていたんだ。返答次第では君の研究所の資金援助を考えさせてもらうよ!」
坊主頭の老人が血管を浮かび上がらせて、江崎に怒鳴る。
江崎 桐子はマザー研究所の所長を五年前から勤めている。
彼女が大学の助教授をしている時に、この組織にスカウトされ、現在に至る。科学者にとって宝庫ともいえる情報、資料、サンプル、全てが研究所には揃っていた。
ただし、その研究材料は異質なものが混じっていた。
人体実験を繰り返し、人間の力を遥かに超えた超人を創る、もしくはそれを育成するのが研究所の役目であった。
「ええ、承知しておりますわ。私達はPX‐0082を三ヶ月ほど前に確認しました。しかし、そう簡単に追跡者をつけるわけにいきません。仮にも〝冬の蝉〟ですわ」
江崎が反論すると、テーブルの中央に座っている顎から胸まで伸びた長い髭の老人が言った。
「PX‐0082、通称、冬の蝉。マザー本部直属部隊、
この髭の老人こそが闇組織マザーを裏で動かす〝現時会〟を統べる人間、オウラ・ハーンであり、事実上、マザーの全権を握っている。彼の命令次第では一つの国をも消滅できるのだ。
「オウラ会長、正しく、その通りです。冬の蝉の恐るべき力はマザーの人間に知りわたっております。ですから、部隊の者はおろか、皆、恐れて彼の追跡命令にそう容易く頷く者はおりません」
冬の蝉、おそらくマザーの中で最強の人間と言えるだろう。
どんな状況下でも事態をよく把握し、危険を回避して、目標を排除する。その驚異的な適応性から冬でも鳴き続ける蝉と言われている。まさしく、マザーが望んだ最高の逸材であった。
だが、その蝉が籠から逃げたのだ。これはマザーにとって最大の危機である。現時会の老人達も頭を抱えていた。
その解決策を江崎は強いられていた。
「しかし、一人だけ、この指令に志願する者がいます」
江崎の話にオウラ会長の眉がピクリと動く。
「ほう、誰だね?」
「今日、連れてきております。実際にご覧になってはいかがでしょうか?」
「よかろう。連れて来たまえ」
「入りなさい。〝ハイ・エンド〟」
部屋の扉が開き、一人の青年が老人達の前に現れた。同時に老人達のテーブルに江崎が用意したファイルが配られる。
「君がFX‐0987、ハイ・エンドかね?」
「ああ、そうだよ。つーか、俺をコードナンバーで呼ぶのはやめてくれよ」
その青年はマザー最高幹部の老人達を前にしても、うろたえることなく、タメ口で言った。
ここまで愚かな態度をとる人間を現時会の老人達は見たことがないだろう。
民間人が彼らに容易く近づくことなどあれば、秘密保持のために、時には殺されることさえあるのだ。
そのような冷血な人間達を前にこの青年は毅然としている。
「なんだ、その態度は! 会長に対して失礼だろう!」
オウラ会長の隣にいた老人が怒鳴る。
「まあ、いいじゃないか。よかろう、君をコードナンバーで呼ぶのはやめよう。ハイ・エンド君、これで満足か?」
「ああ、上等さ。じゃ、さっそく、話に入るけど、その前に条件がある」
「なんだね?」
「もし、この指令に成功したら、俺をマザーから開放してくれ」
「なぜだね?」
「まあ、俺も元ナンバー1を相手にするのは命懸けなんでね。それぐらいの報酬はあってもいいだろ?」
「確かにそれは言えるな。いいだろう、その条件、呑もう。しかし、君はマザーシステムを一つも確立していない。それで冬の蝉とどう対抗する? 奴は我々が確認しているだけでも、保護システムを20以上、具現化できるという」
ハイ・エンドを含むFXシリーズは冬の蝉がいた馬斬隊、PXシリーズとは違い、マザーの落ちこぼれ的存在であった。
その決定的な違いはマザーシステムなるものにある。マザーシステムは主となる母体を守るためにある特殊能力、即ち、人間が超人になるための武装である。
特にマザーシステムの中で最も重要なのが保護システムである。主が自から創りだしたもので個々に感情を持つ。つまり、心の中で別の人格を創るのだ。
その人格をコントロールし、具現化、それを人の形として現したり、時には武器として強大な力となる。
これがマザーシステム最大の利点である。
彼らFXシリーズは常人と比べると体力、知力、精神力と共に上回っているのだが、マザーの中では凡人に近い。
FXシリーズには肝心のマザーシステムを持ち合わせていないのだ。
ハイ・エンド自身、この事に強くコンプレックスを感じている。
いくら、自分達が研究所で開発した特殊武器を使いこなしても、マザーシステムを持つPXシリーズには敵わないのだ。
そこで彼はある決意をしてオウラ会長に申し出た。
「確かに俺はマザーシステムを使えない。でも、武器の扱い方は誰よりも知っているつもりだぜ」
「つまり、なにを言いたいのかね?」
「だから、貸してくれよ。
それまで沈黙していた老人達が急にざわめき始める。
「なんだと! 貴様、調子に乗るな! あれを使うなど」
「そうだ! 我々はあれらにどれだけの金と時間を費やしたことか」
激しく罵倒する老人達とは違い、オウラ会長は冷静にハイ・エンドの目を見つめている。
「
「そ、そんな! オウラ会長、それはなりませんぞ! 五宝剣は我らの切り札に等しいものです」
「だから、その切り札を使う時ではないのかね? それだけ冬の蝉は危険だということだろう」
「で、ですが……」
「迷っていても仕方あるまい。これも〝タイガ神〟の意思によるものかもしれん。君も忘れたわけではあるまい。我ら現時会、いや、マザーの使命を」
「そ、そんな! 私ごときが申し訳ありません」
悪態をついていた老人が急にうろたえた。
「うむ。全てはマザーの流れと共に!」
「はっ! 全てはマザーの流れと共に!」
オウラ会長が席から立ち上がり、腕を上げて敬礼すると周りの老人達もそれと同様の行動をとった。
「けっ、くだらねぇ」
ハイ・エンドは舌打ちをして、部屋を出ると廊下を歩き始めた。
「待ちなさい、
江崎 桐子がハイ・エンドの肩を掴んで彼を止めた。
「なんだよ? 博士。俺の名前はハイ・エンドだってんだろ。あんたらがつけた名前じゃないか」
「ごめんなさい。ついつい、癖でね。だってあなたにはその名前が似合わないんだもの」
「くだらねぇ。それより、あんた、なんで現時会のジジイ達にヘコヘコしてんだよ? 情けないぜ」
「仕方ないじゃない。私達は彼らあっての研究員よ。マザーを動かしているのは彼ら現時会で私達はそれに従うだけ。でも、一応はあがくつもりよ」
ハイ・エンドが鼻で笑う。
「博士らしいや」
「でも、あなた。本当にやるの? まさか、SSSを要求するとは思わなかったわ」
「当たり前だろ。冬の蝉はPXシリーズだぜ。俺達FXシリーズとは訳が違う。あいつら、優等生にはSSSぐらいなきゃ勝てないよ」
「PXシリーズか。マザーシステムを自由に操れる者、正しく、選ばれた者ね」
「惜しいと思っているのか?」
「えっ、どういうこと?」
「とぼけんなよ。あんたら学者は理屈でしか考えないだろ?」
「確かにそうかもね。まあ、本音を言えば、あなたも冬の蝉も返ってきて欲しいわ」
「ふざけろ」
ハイ・エンドは吐き捨てるように言った。
「そうね。じゃあ、行きましょう。勝利への切り札とやらにね」
江崎はハイ・エンドと共にロビーまで来るとエレベーターの中に入った。
何十個もあるボタンの下に鍵穴があり、そこに江崎はポケットから取り出した鍵を差し込んで回した。
すると、ガクンと大きく揺れ、エレベーターが動き出す。
エレベーターは物凄い速さで地下へと降りていく。
「こいつは厳重だね」
ハイ・エンドが嫌みったらしく言う。
「仕方ないわよ。なんせ、本部の宝ですもの」
エレベーターが止まり、自動ドアが開く。
二人がエレベーターを降りると武装した兵士達が現れ、江崎の胸につけていた。
バッジを確認すると部屋の奥へと案内してくれた。
地下は薄暗く、気のせいか空気が薄い感じがする。
これが世界を裏で牛耳るマザーの本部の中心部だと思うとハイ・エンドは背中にゾクゾクするものを感じた。
「へえ、スゲーな。ただのビルだと思ってたのに中はこうなってたのかよ」
部屋の奥に進むと、巨大な空洞があり、その縦穴ホールの中心に柱が立っていて、柱まで橋のような通路が続いている。
「これがマザー本部のコアよ」
「これ、ぶっ壊したら、このビルの人間、全員死ぬんだろ?」
ハイ・エンドが江崎の顔を見てニヤニヤ笑う。
江崎がどういう反応をするか、試しているのだ。
「悪い冗談よ」
江崎はハイ・エンドの言葉を軽くかわした。
「では、博士。私達はここまでです。お帰りの際は声を掛けてください」
「分かったわ。ごくろうさま」
二人が通路に入ると兵士達は戻って行った。
「さあ、入りましょう」
江崎は柱の前まで来ると、柱の中央にある銀色のプレートに手を当てた。
すると、江崎の指紋を認識したコンピュータが電子音を鳴らした。
それまで柱の一部分だったはずの壁が二つに割れ、中へと入れるようになった。
「変わった自動ドアだな」
二人は中へと入って行った。
柱の中は思ったより広く、壁にはそこら中に〝CAUTION〟という文字がある。
そして、壁には五本の剣が厳重に重く硬い鎖で巻かれていた。
「で、どれを使う気?」
「これさ」
ハイ・エンドが選んだのは古びた赤い小さな短剣であった。
「〝赤の剣〟を使うの? それはちょっと、扱いにくいわよ」
「いいんだよ、これが俺には似合っている。オウラのジジイに伝えといてくれ。二週間、待ってくれってな、絶対にこいつを使いこなしてみるぜ」
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