36.2話
「昔の偉い人は言いました。――囲んでボコれば相手は泣く」
「ナニソレ、いじめっ子かな?」
カナの謎の格言を拾って、イブが言葉をこぼした。
軍というものは正面以外からの攻撃には弱い。
まして多方面を囲まれてしまったら、軍の士気は著しく低下するものだ。
正面からは凶悪なクロスボウ、側面からは弓に騎兵。
自軍の弓兵は援護もよこさず、自軍の将軍は何ひとつ役に立たない。
これで士気が保てるわけもなく――。
士気が崩れた軍というものは非常にもろい。
たとえ敵が少数であろうとも、恐怖し、混乱し、戦意を失った兵たちはただの獲物に成り下がる。
「閣下、包囲されました」
「なんでなのよ! 包囲しろって言ってんでしょぉ!」
まさに自分がやりたがっていた包囲陣形を敵に敷かれ、焦りに焦るラルジャーレ。
それでもまだ、勝敗が決したわけではないし数の上ではラルジャーレの軍の方が優位なのだ。
兵たちが奮起して死を覚悟で乱戦に持ち込むという可能性が消えたわけでもない。
人は、きっかけを求めている。
「……え、カナちゃん?」
ふわりと宙を舞い、くるりと柔らかに着地する。
突如として、カナが敵兵の前に降り立った。
『――やるよ、クローゲン』
『あまり使いたくない御仁じゃがのう……』
『派手さが必要だから仕方ない』
――混ざる。
これこそは、人の身で神になった者の記憶。
その身を焦がし憤死するほどの破壊衝動――。
いわれなき罪の怨念、復讐の天災。
――混ざる。
大陸において水雷系統と分類されし魔術とは似て非なるもの。
陰と陽の鬼道を用い、はじめて成せる天の怒り。
『――これ以上は危険じゃ。すぐ切り離すぞ』
これこそは、はじまりの伝説がひとつ。
先代継承者クローゲンをもってしても使用をためらう記憶のひとつ。
古の大怨霊、名をテンマン。
その力の、――極小の欠片である。
「――天津の型、テンジン・ライエ」
カナの前に雷が落ちた。
晴天であるはずの空から、ありえないはずの落雷が。
真なる呪いをまき散らすことなく、ただ光まばゆいだけの落雷が。
人は、いつだってきっかけを求めている。
辛いとき。
やめたいとき。
逃げ出したいとき。
そのきっかけを後押しするものは、鮮烈なインパクトがあればあるほど効果的だ。
たとえば――。
雷光を降ろし、神々しい光を放つ者を目にしたとき――。
「せ、聖女、様……」
聖女を見たことがあった兵の口から言葉がもれる。
この世のものとは思えない奇跡の光景は、彼らが望む神聖なる者にふさわしく――。
「……か、神がお怒り、なのか?」
「あ、あれが? 聖女様?」
「せ、聖女様、聖女様だ!」
その声が次なる声を呼び起こし、戦意が消え去った兵たちの大合唱がはじまった。
奇跡の主――カナへと祈りが捧げられる。
「神様、聖女様、どうかお許しを……」
「聖女様に逆らう気なんてなかったんです!」
生死がかかった状態の、戦う意味も意識も希薄な兵たちの前に、神がかった存在が現れたならばどうなるか。
「――さあ、命惜しくば、家にお帰りなさい」
もはや、カナの言葉にあらがうものはいなかった。
慈悲ある優しい言葉をかけられて彼らは高揚する。
死なずに済んだ、生きて帰れる、そのうえ神の奇跡を目の当たりにしたのだと。
すでに矢が放たれることもなくなっている、彼らを阻害するものは何もない。
死の近くで戦っていたことも忘れて、ラルジャーレ軍はピクニックから帰宅するかのように後ろを向いて歩き出した。
聖女様に従っていれば、何も怖いことはないのだから。
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