29.1話

 映し出されている記憶に変化が起きて、ひとりの男性が部屋へと入ってくる。


「お、デブのおっさんが来たぞ。偉そうな服を着てるなー」

「この方は……」


 マイの忌憚ない感想に続き、その顔を見たクリストハルトが驚いたように口元に手を当てた。

 共に記憶を見ているカナも、その人物を知っている。

 さほど話したこともないのだが、宰相に招かれて参加したあのパーティーで見た顔だ。




「……待たせたな、ガリウス」

「公務がお忙しいようですな、ミッシェル枢機卿」


 立ち上がってうやうやしく礼をしたあと、ガリウスがそう言った。


 ミッシェル枢機卿。

 神聖帝国ゼナードの神帝クルセイド3世を補佐する枢機卿のひとりであり、ガルフリート王国におけるゼナー教全体の統括者。

 枢機卿は聖都において神帝を直接補佐する者と、各地にいる聖職者が任じられその区域を一任される者とがいるのだが、ミッシェル枢機卿はその後者。

 いわばゼナー教の中の領主、あるいは地方の王とも言える存在だ。


「教会の行事に加えて、兄の手伝いで貴族どもの相手をせねばならんからな。それに加えて、お前のような者に密命を下すのだ。忙しくてかなわんよ」


 そしてミッシェル枢機卿のもうひとつの顔。

 その名はミッシェル・ド・ギール、宰相ピエール・ド・ギールの実の弟なのである。


「……あの宰相閣下の助けとなれるのも、枢機卿のお力あってのこと」

「わかっておるではないか。兄は能力主義だからな。私でなくてはついていけんのだ」


 誉め言葉に機嫌を良くしたのだろう、ミッシェル枢機卿が満足げに口元を歪めた。

 そこで視界が下に動き、狭まった。

 ガリウスが目を細めたのだろう。


「……して枢機卿、いかなるご用件でしょうか」


 目を開けて視界が再びミッシェル枢機卿を捕らえる。

 ガリウスが話を催促すると、ミッシェル枢機卿は右を向いて語りだした。


「まったく、神の教えに背く輩が多くて困る。そうは思わんか」

「例の聖女とやらですか」


 その言葉を聞いて、ミッシェル枢機卿は顔をしかめる。


「ああ。アリエーナ伯めは非礼を働いたので領地から追放したなどと抜かしておったが、それで済ませられる問題ではない。本当に縁を切ったのかも疑わしいが、王を脅した上に我が兄に恥をかかせたのだから許すわけにはいかん」


 右を向いていたミッシェル枢機卿が逆側を向き、ゆっくりと前に動いて言葉を続ける。


「それに、カライス伯などもソレの信奉者でな。不心得者めが。今でこそ領土欲で味方面をしておるが、奴は利で動く俗物よ。……もし、聖女の小娘がアリエーナ伯の指示で動いているとして、接触に向かったのだとしたら、カライス伯は敵に回ることもありうる」


「まだはじまってもいない時期、早々に裏切りを出しては相互不信が芽生えかねませんな」


 ガリウスがそう言うと、ミッシェル枢機卿は正面を向き、不気味に口元を歪めた。


「心配せずとも良いわ、すでに手は打った。あの悪名高き聖都異端審問会が信仰の敵を排除するであろう」


(……っ、聖都ティカヌスの異端審問会を呼び寄せたのか? “本国”からの干渉は避けると思っていたが)


 これにはガリウスも驚かざるを得なかった。

 各地を統括する枢機卿はその領主のような立場から、基本的に“本国”、つまり神聖帝国ゼナードの干渉を好まない。

 権力志向が強い者ほどその傾向が顕著で、ミッシェル枢機卿もその例にもれないはずであった。


「無論、ガルフリート異端審問会のボダン司祭にも準備させておる。私の力を見せつけるまたとない機会、万全の態勢を整えるのだ」


(兄への意識からか。枢機卿といえどコンプレックスは拭えないものらしい)


 つまりは微笑ましい兄弟愛などではなく、宗教の力を選んだ自身の権威を見せつけ、上に立とうとしているわけだ。

 そうガリウスは理解し、その感情を好ましく思った。

 これこそあるべき人の姿であると。


「ガリアス、お前はカライス伯の下に行け。警告と情報収集だ。異変があればすぐに知らせろ。グイエン侯の領土を手に入れるまでは心配ないと思うが……、あまり早期にしかけられても足並みが乱れる」


「は、お任せ下さい。御懸念なきように図らって参りましょう」


 右手をかざしたミッシェル枢機卿の命を、ガリウスは片膝をついて受諾した。


 部屋の外から、ドアを叩く音がする。

 ミッシェル枢機卿がそちらを向き、疲れたような表情をこぼす。


「もう時間か。……仔細は任す、頼りにしておるぞ」


 そう言い残し、ミッシェル枢機卿は部屋の外へと去っていく。

 片膝をついたままひとり残されたガリウスは、そのままの態勢で口を開いた。


「……確かに、拝命いたしました。ミスティア主教座下。聖女を名乗る者に死の許しを。……すべては、光と闇の下に」


 相手のいなくなった部屋で、ひとり何者かに語りかけるように。

 熟年の聖騎士ガリウスのそんな姿を最後にして、彼の記憶の投影は終わりとなった。

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