前日譚
前日譚1話 聖女のお仕事
――聖女。
近年、ガルフリートの地に現れた神聖にして不可思議な力をもつ少女の呼び名。
神より授かった奇跡の力をふるって、数々の不可能ごとを成し遂げてきたという新世代の御子。
突如として現れた聖女という存在は、長年平和だった国には刺激になったようで、たちまちに吟遊詩人が歌うレパートリーに加わった。
何の根拠もなく、まことしやかにささやかれる噂は枚挙にいとまがない。
例えば、祈祷を捧げて郊外に集まっていた魔物を遠ざけたとか。
例えば、王都付近にて封じられた伝説の魔竜の鎮魂をしているとか。
例えば、呪われた村サンガートの大悪魔を祓ってみせたとか。
例えば、なでようとした猫に逃げられて寂しそうに去っていったとか。
例えば、聖女ラデニアを頂点とするティアラ教が、唯一認めた第二の聖女であるとか。
噂、噂、どれも風聞。
直接それを見た者が果たしているのかどうかもわからぬ不確かな情報。
聖女の名すらも知られていないにもかかわらず、人々は突飛な噂を娯楽のように語り合っている。
そんな当の本人はというと――。
「おにくーおにくー、たのしみおにくー。ふんふんふーん」
噂の聖女、カナ・レギナ・クラブは奇妙な歌を口ずさみながらご機嫌な様子であった。
美しい銀髪に可憐な美しさをそなえた容姿は絶世の美少女と呼ぶにふさわしいものだろう。
カナは奇妙な歌を口ずさみながら、家に用意されているであろう好物のステーキを待ちわびていた。
おこづかいの限りを超えて買い占めたお土産を馬車に載せ、その中で楽しそうに寝ころんでいる。
銀髪の美少女がご機嫌な様子で手に入れた本に頬ずりをしている姿は、とても聖女には見えないだろう。
御者を務める旅装姿のメイドがその様子を後ろ目に微笑ましそうに馬車を繰る。
晴天の中、舗装された道路を楽器にしてリズミカルに蹄鉄の音が鳴り、春のさわやかな風がカナの銀髪をなでる。
馬車に揺られおおよそ7日、平地の王都イルド・ガルから山岳の我が家への旅であった。
王都での祈祷を終えて、予定通りに7日で到着した。
カナを街の入り口で降ろして馬車は城壁沿いの厩舎へ戻された。
ここアリエーナ伯爵領の街リルデは山の中ではあるが道路はしっかりと整備されている。
そのため、馬車でも無理なく移動することができるのだ。
時刻は昼を少し過ぎた頃。
街へと戻ったカナは、自身が住むアリエーナ伯爵邸へと歩いていく。
街並みを、行き交う人々を、ゆっくりと眺めながら。
領地自体が王都から遠く離れた山側の部分なので煌びやかな王都には及ばないが、それでも、田舎としては発展しているほうだろう。
それなりの賑やかさと、のどかさとが同居するかのような空気だ。
道中に出会う人々から会釈を受け、カナも軽く手を振りつつ微笑んでそれに応える。
そんないつも見てきた街中を通り過ぎ、アリエーナ伯爵邸へと戻ったカナは金髪の少女からの出迎えを受けていた。
「お帰りなさいませ、カナ姉様」
「うん、ただいまだよー。ロロ」
金髪の少女の名は、ロロ・レギナ・クラブ。
姉様と言っているとおり、カナの妹だ。
こちらも絶世の、というべき美しい少女である。
あまり表情を動かさない少女なのだが、それでもわずかな表情の動きに機嫌の良さが表れている。
すでに玄関で待っているということは、御者を務めていたメイドが術を使い知らせたのだろう。
ロロはとことこと歩み寄り、カナに抱きついた。
ふわりと、優しく柔らかに包み込むように。
「ロロは、カナ姉様のご帰宅を心待ちにしておりました。御用がお済みになりましたら、あとでロロの相手をお願いします」
「うん。セタ兄様に報告をして、食事を済ませてからね」
そう言って、ロロと別れたあと、カナは二階の執務室へと向かった。
だが、兄の姿はそこにない。
その場にいた執事のジェロに聞いたところ、どうやら急な用事で出立したらしい。
やむを得ず、ジェロに報告をまとめてもらうことになった。
その後、食堂にて楽しみにしていたステーキを堪能したカナは、食事のあとにロロのもとへと足を運んだ。
ロロの部屋はカナの部屋の隣にあるが、普段から互いに出入りしているので、どちらも互いの自室のようなものと化している。
「はい、ロロ。今回のお土産だよ」
「新しいご本ですね。カナ姉様、ありがとうございます」
カナにほんの少しの笑みを送り、ロロは手渡された本を嬉しそうに見つめる。
嬉しそう、といってもほとんど変化はないのだが。
こうして役目で出かけるたびに本を買ってくるのが、カナの定番のお土産であった。
「では、カナ姉様。一緒に読みましょう」
「うん。僕も楽しみにしてたんだ」
「『デナール帝国興亡記』……500年以上前のノルドランド地方の物語ですか。こちらは、『知られざる偉人伝』……歌姫レムア、予言者トーラマーダ、大布教家ネルトリアス、魔導技師レーヴェンサレル、錬金術師ラーズィなど、知られてこなかった偉人たちの紹介、と。確かに知らない名前ばかりです。そして、『交易と船』……こちらはカナ姉様の大好きな船の本ですね」
渡された本の目次を、ロロがパラパラとめくって読み上げていく。
なんとなくワクワクするような雰囲気を感じて、カナは待ちきれなくなっていった。
「ささ、早く読もうよ」
子供のようにはしゃぐカナを見て、ロロはくすりと少しだけ笑う。
「――はい。私も楽しみです」
聖女の役目で出かけたとき以外には、カナの仕事は特にない。
なので日課の鍛錬が終われば、あとはロロの相手をするのが日常であった。
そうした普段通りの休日を楽しんでいたのだが――。
数日後、帰ってきたセタから呼び出され、伯爵の執務室へと入ったカナは、機嫌の悪そうな声で切りだされた。
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