鬼が啼く刻 解放の条件は悪魔を倒すこと
白鷺雨月
第1話 その男との再会
日本がポツダム宣言を受諾してから約一月がすぎようとしていた。
何度かの転属願いの後、通訳の仕事を得た私はこの国に再び訪れることができた。
私の来日の目的はとある人物の釈放である。
私が入手した情報によるとある地方都市に戦犯としてとらわれているということであった。
彼の名は渡辺学という。
私の記憶が正しければ今年で二十六歳になるかつての日本帝国陸軍の将校であった。階級は中尉。とある特務機関に所属していた。
日本が降伏したため、彼も連合国の捕虜となった。
彼とはヨーロッパ時代に知り合い、懇意といっていい関係になった。
私の来日の目的は捕虜となった渡辺中尉を解放することにある。
彼は国のために戦ったのであって、けっして連合国側がいうような戦争犯罪に荷担したわけではない。
早くしなけらば、彼は連合国、正確にはアメリカの復讐心の生け贄になりかねなかった。
私は渡辺学がとらわれているというビルディングをおとずれた。
そこにはこの地の司令官であるジョン・カール陸軍少将が執務室を置いていた。
ジョン・カールはでっぷりと太った男で年のころは四十代なかばと思われる。葉巻を口にねっとりと私の肢体を見ていた。
「君がアン・モンゴメリーかね」
上から下へと彼はなめるように私を見る。
これは自慢だが私は男どもが好むようなスタイルをしている。
とくにこの日は小さめな服を着て、わざと体の線が見えるようにしていた。
私は赤い髪をかきあげ、カール少将の視線を受け止めた。
にこりと笑顔を浮かべると彼はますますいやらしい視線をおくるようになった。
「はい、閣下。私がアン・モンゴメリーです。お目にかかれて光栄です」
私は右手をカール少将にさしだした。彼はねっとりとした手で握り返す。
その手に左手もそえて私は握り、すこし胸元に近づけた。
「この度は私の申し出を受けてくださり、感謝しています」
これ以上ないぐらい鼻の下をのばし、彼は私の顔を見ている。
どのような想像をしているかは知らないが、それは彼の個人の自由だ。
まあ、その願いを叶えてやる義務は私にはない。
「君も物好きだな。このような場所にジャップの釈放をもとめてくるとはね。聞くところによると語学がかなり堪能らしいではないか。君なら本部で活躍の機会はいくらでもあろうに……」
そう言いながらカール少将はべたべたと私の手をなでる。私はわざとされるがままにしてあげた。
これぐらいは必要経費だろう。
私はわざと名残惜しそうに手を離す。
「それで閣下、彼には会わせていただけるのですよね」
念を押し、私は聞く。
手が離され、彼は不機嫌になったがああっと小さくうなずいた。
「総司令官閣下の手紙もあることだな……」
しぶしぶという表情でカール少将は言った。
ジョン・カール少将の命令を受けた下士官は私をこのビルディングの地下室に案内した。
案内しながらその下士官もちらちらと私の体を見ていた。
女っ気のない軍隊で久しぶりに出会えた女性なのだろう、気になって仕方がないのだ。私はわざとその若い下士官のそばを歩く。
「暗いですね」
たしかにその地下室は暗い。
光は下士官の持つランプだけ。
私は下士官にすりより、手を握る。
「あ、危ないから離さないでくださいね」
やや興奮気味にその下士官は言う。
「ええ、ありがとうございます」
そう言い、私はその下士官の手を強めに握る。
彼は鼻息も荒く、しかしながら紳士的に私をその部屋へと案内してくれた。
こんなことで親切にされるのだから美人の女性は得というものだ。
私は自分の美貌とスタイルの良さを能力のひとつとして使っている。
この激動の時代、これぐらい神経が太くないと自分のやりたいことはできない。
「ここです」
下士官は鍵束の一つでその扉を開けた。
解錠された鉄の扉は重く、下士官は体重をかけ、その扉をおしあけた。
持っているランプで部屋の中を照らす。
そこには一人の人物が寝転がっていた。
その人物の両腕には三つの手錠でいましめられており、足には鎖がどういう巻き方をしたらそこまでふくれるかわからないぐらい太く結ばれていた。
目には目隠しをされており、暗い部屋にも関わらず、何も見えないようにされていた。
しかし、ここまでしなくとも。
どうやらここの人間には人権意識というのはないようだ。
私の心に人知れず怒りが浮かんだが、それは表に出さないようにした。
「学、学、ここから出しにきたのよ」
私は言い、その男の名前を呼び、冷たい頬をなでた。
「ああ、この声は懐かしいな。アイリーンかい。アイリーン・ホームズなのかい」
縛られた男渡辺学は昔の名前で私を読んだ。
「うふふっ。今の私は言語学者のアン・モンゴメリーよ、渡辺学中尉……」
私はそう名乗り、渡辺学の目隠しをとった。
下士官の持つランプに照らされたその瞳は紫色に輝いていた。
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