第15話 月島邸

 約束の土曜日がやって来た。

朝から鏡に向かって、俺は身嗜みだしなみをチェックする。

髪よし、ひげ良し、鼻毛良し――


スマホを開いて、約束の時間を確認する。


『土曜日、午前十時に迎えを遣ります。昼食は当家でご用意します』


それが月島さんからのメッセージだ。

時計を見れば、少し時間がある。

支度を終えて、一階のリビングへ行くと誰もいない。


代わりにテーブル上には置手紙があった。


「今日からお父さんと出かけてきます。明日帰ります」


とあった。


テーブルに置いてある食パンを食べ、冷蔵庫の牛乳を飲んだ。


ピンポーン!


一瞬、身体が硬直した。

まさか――

インターフォンのモニターを見ると初老の男性が立っている。


「迎えが来たのかな?」


取り合えず用件を聞こう。


「はい」

「三島優斗さま、お嬢様の使いの早坂です。お迎えに参りました」

「お待ちください。すぐに行きます」


荷物を持って外へ出る。

戸締りを確認して門を出たら、ガラスにスモークを張ったピカピカの黒いセダンが停車していた。

早坂さんは、深くお辞儀をすると後席のドアを開けてくれた。


「こちらへ」

「す、すみません。よろしくお願いします」


車に乗り込もうとして気が付いた。

中に知った顔が座っていたのだ。


「おはよう!」

「おふぅ! つ、月島さん?! お、お早うございます。びっくりしたなぁ」

「驚かせてすみません。早く会いたくて」


車の中で待っていたのは、月島萌亜つきしまもあその人だった。

薄い茶系のワンピースに、白いカーディガンの組み合わせは、一見地味だが落ち着いた大人の雰囲気をかもし出している。


「な、なんか学校とは違うね?」

「えっ?」


過剰に反応する月島さん。


パタン


静かにドアが締められ、車が静かに走り出した。

それらの音が、ぜんぜん会話の邪魔にならないのが凄い。


「いやさ、今日の月島さんって大人っぽいなって」

「変ですか?」


そう聞く彼女の頬は、心なしかピンク色に染まっている。


「いやいや、そうじゃなくて――」

「じゃあどうですか? はっきり言ってくれなきゃ伝わりません」

「――学校にいる時より、綺麗だなって」


途端に、つぼみが花開くように、ぱぁっと表情を変えて俺の手に自らの手を添えた。


「つ、月島さん?」

「嬉しいです」

「そ、そうなんだ」


前部座席では早坂さんが運転している。

人目もあるし勘弁して欲しい、なんて思っていると――


「運転席と後部座席はマジックミラーで仕切られているので見えないそうですよ?」

「そ、そうなんだ……」

「だから、こんな事をしたって――」


いきなり手を引っ張られ、頭を膝へ誘導される。

相変わらず凄い力だ。


トスッ


だが、それより顔に伝わる月島さんの太ももの感触――まるで低反発枕ていはんぱつまくらの様である。


「だ、駄目だって」

「良いじゃないですか。ふふ…… ほら、あんまり暴れないで?」


片手で肩口を抑え、もう一方の手で俺の髪の毛を撫でる。

その心地よさに、抵抗するのが馬鹿らしくなってきた。


「――そうそう。大人しく私に身体を預けて…… 良い子、良い子ね……」


さながら、馬を宥める乙女――


(や、やばい。駄目になる。俺、駄目になっちゃう)


「よし、よし……」


だんだん気持ち良くなって来て、自然と瞼が閉じていく。

も、もう眠っ……

……


カチャ


「三島様、到着しました」

「うえっ、お? す、すみません!」


飛び起きると、早坂さんは俺を白い目で見ている。

一方、月島さんは上機嫌で――


「子供みたいだったよ?」


糞恥ずかしい!

だが、そんな恥ずかしさも車を降りて吹っ飛んだ。

目の前の家? は、俺の目から見ても普通じゃなかった。


家と言うにはあまりに大きい建物、そして学校の校庭より広い敷地。

とても、我が家とは比較にならない。


「つ、月島さん。これが?」

「はい。私の家です」

「そ、そうなんだ……」


広い階段を数段上った所が玄関あり、先行した早坂さんが入り口を開けて待っている。

もちろん、ドアは両開きだ。


「こんなのアニメや、漫画でしか見たこと無いぞ……」


心の声が、口から零れる。


「もう、家を見せに来たんじゃないですよ? さあ、行きましょう?」


月島さんは俺の腕に、自らの腕を絡めるとグイグイ家の中へ引っ張った。

入口を進むとそこは広い空間になっていた。

しかも、一段上がった所には虎の毛皮が敷いてあり、その頭が入って来た者に睨みを利かせていた。


要はそこへ上がる手前で靴を脱げということらしい。


「まるで、旅館だな」

「この建物は自宅ですからね。日本人なら靴を脱がないと落ち着きません」


余りの格差に、ちょっと引く。

だいたい俺の家なんて、三十五年払いの二世代ローンなのに月島邸の十分の一もないんだよ?


「その口ぶりじゃ、自宅以外もありそうだね?」

「同じ敷地内に迎賓館があります。そこは靴のまま入れますよ?」

「そ、そうなんだ」


一段高い玄関ホールへ上がり、スリッパを履く。

その後は、早坂さんの案内で広い廊下を進んで行った。


困ったことに家へ入っても、月島さんは腕を組むのをやめようとはしない。


「落ち着かないから、腕組むの止めないか?」

「三島君はお客様ですから……」

「でも、ただのクラスメイトだよ? 正直場違いすぎて不安なんですが?」

「ふふふ…… 平気ですよ。すぐに慣れますから」

「そ、そうなんだ……」


もう考えるのをやめた。

そうこうしているうちに、天井まである両開きのドアの前までやってきた。


「こちらで奥様がお待ちです」


押し広げるように扉が開けられる。

中には長い机と、その奥に座る女性――


(あれが、月島さんのお母さんか……)


「こちらへどうぞ」


早坂さんのスマートな誘導で、俺は月島さんのお母さんの向かいの席に誘導された。

月島さんは、俺と別れて月島さんのお母さんの隣に陣取った。


「はじめまして、萌亜の母、月島由香里つきしまゆかりです。先日は娘を危ない所から救ってくれたようで有難うございます」

「こちらこそ、はじめまして。三島優斗と申します。学校では萌亜さんの隣の席のクラスメイトです」

「まあ、隣の席でしたのね。あ、どうぞ座ってください。気が利きませんですみません」

「それでは失礼します」


いつの間にか、背後に早坂さんが立っていて、俺が座りやすいように椅子を引いてくれた。


「最近、萌亜さんは貴方の話ばかりするのよ」

「お母さま!」


月島さんのお母さんが話すや否や、月島さんが声を上げる。


「それで、私も会いたくなったの。お忙しい所、お呼び立てしてすみませんでした。代わりに、お礼方々、昼食を用意させて貰いました」

「そ、それはまた…… 気を使って頂きまして恐縮です」


壁に掛かった時計に目をやると、まだ昼食には早い。

とはいえ、せっかく供される料理に手を付けないのも失礼にあたる。


「早坂、始めてください」

かしこまりました。奥様……」


しかし、この屋敷の使用人は早坂さんだけなのだろうか。

ちょと不思議に思う。


「ところで、三島さん、貴方のお父様はどんなお仕事をされているのですか?」

「父はデザイン関係の仕事をしています。最近は忙しくてなかなか家へ帰れないようです」

「優秀なお父様と聞き及んでいますが?」


たぶん、お世辞だろう。

まさか、知っている訳ないよな、ねえ。


「さあ、どうでしょう? 家族三人不自由なく暮らしていますので、良い父だとは思っていますが」

「ふふ、そうですね。しっかりしたご子息をお持ちで羨ましいこと……」


話がひと段落ところで、早坂さんがやって来た。

彼が持ってきたのは、新鮮な野菜が盛り付けられたシーザーサラダだ。


「失礼します。サラダをお持ちしました」

「あ、ありがとう」


客だからだろう。

真っ先に俺へ料理が供される。

全員に皿が行き渡ると、


「さあ、料理が来ました。まずは頂きましょう」


月島さんのお母さんが号令をかけた。


「はい、「頂きます」」


それを掛け声に、俺は配膳されたサラダに手を付けた。

舌鼓をうっていると、月島さんのお母さんが再び口を開いた。


「ところで、単刀直入に伺います」

「はい」

「うちの娘は如何いかがですか?」


何を聞かれているのか、意図するところが分からない。

取り合えず学校の様子でも――


「そうですね。最近、話すようになったばかりですが、学校では中心的な存在だと認識しています」

「いえいえ。そうではなくて三島さん自身の娘の評価が知りたいのです」

「えっ? そう言われましても……」


そんなもの聞かれても、こっちが困ってしまう。

しかも、月島さんのお母さんの目は、俺から言葉を聞き逃すまいと真っ直ぐ凝視している。

が、わからないものは分からない。


テーブルの上の食事はスープになっている。

冷めないうちに食べなければならないのに何を聞いてくるのだか……


「これでも娘には自信がありましてよ? 器量も良いし、世間知らずではありますが、正義感が強い子です」

「そ、そうですね」

「たとえば、娘の騎士ゆうじんになって欲しいと言ったらどうでしょう?」


月島さんの友人たちが選ばれた存在だということは、俺じゃなくても知っている。

いつだって彼女の周りを固めるボディガードのような存在だ。

ていうか、友人になるのに親が出てくるとか、やはり上級国民は俺ら庶民と感覚が違うようだ。


「えっ? そんな事なら歓迎しますが…… もう月島さんとはお互いに友達だと思っていたのですが、違ったのでしょうか」


そもそも、月島さんの言葉を借りるなら、すでに俺たちは友人のはずなのだ。

ちらっと月島さんを見ると満足そうに何度も頷いている。


「いえいえ、それなら良かったわ。是非とも今後は、より一層仲良くして頂きたいものですわ」

「ははは…… 良く分かりませんが、こちらこそ宜しくです」


ふう、やっと話がまとまった。

俺は冷めかけたスープを口へ運んだ。


「萌亜さん、良かったわね。ともだちから一歩前進ね?」

「はい、お母さま」


友達から一歩進んだ関係ってなんだ。

いわゆる友達以上、恋人未満って奴?

突っ込みたくなる気持ちを抑えつつ親子の会話に割り込んだ。


「もしもし?」

「何かしら?」

「いや、今、お友達って話でしたよね?」

「ええ、そしてより仲良くして欲しいとも言いました」


うん、確かに違いない。


「そ、そうですね…… ですが、月島さん?」


助けを求めるように月島さんを見た。


「「はい」」


俺に呼びかけに答えたのは、月島親子だった。

慌てて俺は訂正する。


「い、いや、お母さんの方ではなくて……」

「あら、ややこしい。では娘のことは今後は萌亜と、私のことはお母さまと呼んでくださらない?」


(おいおいおいおい。これは一体どうなっている?)


「い、良いんですか?」

「構いませんわ。むしろ、その方が嬉しく思います、優斗さん♡」

「ですって!」


なぜか、黙っていた萌亜が得意気に胸を張った。

――何が『ですって!』だ。


足が震えて来た。

全身の汗腺が開き、そこから冷たい水が流れ出す。


「ですが、み、身分がっ!」

「平気よぉ。そのあたりはちゃんと手を打ってあるわ」

「はい?」


胸の奥がざわざわする。

萌亜は幸福そうな笑みを湛えて俺の顔を凝視している。


これまで感じたことのない何かが迫っている。

そんな気がしてならなかった。


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