第14話 とまり木

 土曜日に月島家へ行くのかと思うと憂鬱になる。

そんな木曜日――


 一日の授業が終わった俺は、帰路とは正反対の方向へ歩いていた。

しばらく歩くと周辺の地名が変わりだす。

この辺りには学生を対象にしたアパートや、マンションが多い。


そんなアパートの一室に、目的の人は住んでいる。


コンコンコン!


とあるワンルームマンションの一室の前で立ち止まり、俺はやおらドアをノックをした。

すると中からすぐに、応える声がする。


「はーい!」


ガチャ!


ドアを開けたのは恩人――

京都で俺を助けてくれた人、果歩の住まいである。


ここへ来たのは、夕べ電話で話した時――


「「会いたいね(な)」」


って話になったからだ。


お互いの家は、こうして歩いて行ける位しか離れていない。

気軽に行き来できるが、大学二年生の果歩はまだまだ必修科目や教養科目もたくさん残っていて、世間でいう大学生ほど暇な感じではない。


「あがってあがって!」

「うん。それじゃ、お邪魔します」


小さな玄関で靴を脱いで、プライベート空間に入れて貰う。

玄関を入ってすぐ右がキッチン、その向かい側がトイレ付ユニットバス、そしてそのさらに奥に、彼女の寝室兼リビングがある。


いわゆる標準的な学生向けワンルームマンションと言う奴だ。


リビング兼寝室には、シングルベッドが置いてあるが、俺の目を引いたのは、その隣の空いたスペースに鎮座する家具だった。


「マジか! 炬燵じゃん! これ良いよな!」

「これさえあれば冬なんて怖くないよ?」


今日の果歩はキュロットスカートを履いており、そこから伸びた真っ直ぐな足を黒いストッキングで覆っていた。


「うわ~、羨ましいな」

「でしょ! あ、座ってて。お茶淹れてくる」


忙しなく動き回る果歩の背中を眺めながら、俺は炬燵にあたった。


「あったけえ~」


素直な感想を口にする。

果歩は台所から、俺の方を見て嬉しそうに微笑んだ。

しばらく待っていると、お盆にお茶を乗せた果歩がやって来た。


「お待たせ」

「どうぞお構いなく。気にしなくて良いのに」


そんな言葉にも笑顔で返してくれる。


「今日、お婆ちゃんが送ってくれたお茶が届いたから、優くんにも飲んで欲しくて」


目の前のお茶は老夫婦が出しくれた、温かいお茶の記憶を呼び起こす。


「へー、じゃあ、京都の?」

「うん、宇治茶。 それと、はい―― お茶請ちゃうけね」

「お漬物じゃん」

「うん、これも送って貰ったやつね」

「じゃあ、『くだりもの』だ。有難く頂こう」

「なにそれ?」


果歩も炬燵の中へ入る。

正面ではなく、より俺に近い一片を陣取った形だ。


ズッ……


お茶は一口目ひとくちめが特に美味しい。


「ああ~、お婆さんに出して貰ったお茶の味だ……」

「同じ銘柄だからね」

「うーん、そうじゃないんだよね。優しい味がするんだ」

「それにしても、優くん、はじめて家に来たのに馴染んじゃっているね」

「そうかな。果歩といると落ち着くんだよね」


再び湯飲みに手を伸ばし、湯気立つお茶を一口飲んだ。


「ふふ…… お爺ちゃんみたいだよ?」

「そうかな、お婆ちゃん」

「うん!」


そして会話が途切れた。


しばらくして――

身動みじろぎした果歩は、炬燵こたつの中で俺の手を握った。

彼女は幸せそうに俺を見つめている。


俺も手を握り返し、その後、示し合わせたように指を絡め合った。

もう、ずっとこうしていたい。





 外はすっかり暗くなり、帰宅が遅くなったと少し反省。

行きは良いよい帰りは辛い……

坂の多いこの町は、行と帰りで使う体力が違いすぎる。


(今日は早く寝るかな……)


そんなことを考えながら、我が家のドアを開けた。


「ただいま」

「「お帰りなさい!」」


家へ入ると、二つの声が俺を出迎えた。

一人は母さん、もう一人は――


「アイツか……」


リビングのドアの手前で立ち止まる。

すると内側からドアが開いて、部屋の外にいた俺を迎え入れた。

幼馴染の唯奈だ。


「お帰り、優斗」

「ただいま、って何でお前が家にいるんだよ」


以前なら、気のきいたセリフのひとつも言っただろう。

だが、今は違う。

好きだった唯奈の整った顔も、嫌悪の対象でしかない。


「何でって、お母さんに呼ばれたからだよ。それに帰る所だったから――」

「そうか」

「それじゃあね」


唯奈はそのまま俺の脇をすり抜け玄関へ向かった。


「あ、待って!」


母さんが唯奈の後を追いかける。

見送りでもするのだろう。

知らない顔でもないし、俺もその後をついて行く。


「お邪魔しました!」

「それじゃ、宜しくね」

「はーい」


母さんと別れの言葉を交わす唯奈に俺も声をかける。


「ゆ、唯奈、気をつけてな」

「何を変なこと言っているの? 家まで三分もかからないんだよ?」

「あ、ああ……一応な。じゃあな」

「うん」


手を挙げる俺に、唯奈は胸の前で小さく手を振った。

なんとなく元気が無ように見えるのは気のせいか。


「またね、優斗、お母さん」


パタンと玄関が閉まると、母さんが言う。


「良い子ね。本当に家の子にならないかしら」

「何を言っているんだよ!」

「でもね。唯奈ちゃんはは小さい頃から知っているから、優斗が、そういう子とくっついてくれるとお母さんも安心なのよ」


親の心子知らずと言うが、他人の子なら猶更なおさらだと思う。


人の気も知らず、しみじみ語る母さんに、いっそ本当のことを言おうかと思いつつも、我慢する。

詳しく状況を説明して、悪戯に心配させる気もない。


「――か、勝手に決めるなよ」


こう言うのが今の俺には精一杯だ。


「決めてなんか無いわよ。心配しているだけよ。あ、そうそう、この前の子でも良いのよ?」

「えっ?」

「ほら、京都の……」


母さんの口から、意外な人物が出て来た。

正直、もう忘れたかと思っていた。


「ああ、果歩さん?」

「そうそう、果歩ちゃん」

「あの子も、凄く良い子よね。今度、連れて来なさいよ」


確かに果歩は良い人だ。

気が利くし、童顔で可愛いい。

実は母さんも何かに感付いているとか?……


俺はリビングへ向かわず、階段を上がって自分の部屋へ向かった。





 少し走って、我が家へ駆け込んだ。

まさか帰る時に優斗がやってくるなんて――

話が済んでいて良かったけど、もう少し早く帰ってたら優斗に知られていただろう。


でも、結果オーライ!

お母さんに頼まれたなら、優斗だって無碍にはできない。

当日は、お昼ごろに行って寝坊助ねぼすけの優斗を起こそう。


私の馬鹿な行動は、二人の間に小さな溝を作ったけれど、必ず誤解は解けるはずだ。

お母さんから頼まれた土曜日の件は、きっとこの状態を打開する。


なんたって、優斗は私の大切な幼馴染。

誰よりも一緒にいた男子なのだから。

彼氏の将太とは喧嘩してギスギスしてしているけど、優斗は酷いことをした私に基本的に優しいままだ。


ごめんなさい、優斗。

今度は絶対に裏切らないから。

全ては貴方のためだけに。


そうとなれば早く将太に電話しなきゃ。

週末の約束は、用事があるからキャンセルするって――

なんなら別れたって。


さあ、土曜日は何を作ろうかな。

楽しみだな。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る