第4話 性悪男

明けない夜はないとはこのことだ。


気付いたら朝になっていた。


初日の機能は色々あり過ぎて、今日も頭の整理が出来ていない。


おまけに体も疲れていているのか、ひどく重い。


しかし、会社に行かなければならないのが会社員。


そう自分に言いきかせ、もそもそと買ってあったクロワッサンをかじりながら準備を始める。


無情にも家を出る時間となり、電車に乗って会社に向かう。


電車を降りてから、会社に向かう途中で花と会った。


「葵おはよう。ちゃんと今日も来てくれてよかった。2日目から来なくなった人もいたから、来なかったらどうしようと思ってたんだよね。」


「おはよう。会社員は会社に来ることが勤めだからね。さすがに昨日は色々あり過ぎて疲れたよ。」


「そうよね。何かあったら、私に言ってね。」


「おー心強い友よ~~」


なんて花とふざけながら歩いているとあっという間に秘書室に着いていた。


前室に向かうとまだ、社長は出社していないようだった。


社長室に入ると机と電話、目につくところは綺麗に拭き上げた。


ゴミ箱を空にして、残り少ないメモ用紙を補充した。


ゴミ箱の中には昨日お昼に買ったサンドイッチの紙が捨ててあったので、ちゃんと食べてくれたんだと安心した。


掃除の間、窓を開けて換気をしていた。


気持ちの良い風が頬にあたり、今日はなんだか上手く行きそうだと思いながら始業の準備を進める。


社長室の準備が整ったので、前室に戻り今日のスケジュールをざっと確認する。


その後は給湯室へ向かい、コーヒーを淹れた。


アイスが好みのようだが、朝はホットの方がいいと判断してホットコーヒーを準備する。


そうこうしているうちに社長が出社してきた。


昨日の会食の疲れが残っているのか、心なしか疲れているように見えた。


「社長、おはようございます。後程、本日のスケジュールの確認のため、伺わせて頂きます。」


社長はこちらをちらっと見ただけで、何も言わず社長室に入っていった。


相変わらず不愛想な態度に昨日の藤井専務が思い出された。


藤井専務の紳士的な対応を少しでもすれば、社内でも人気が出るんだろうに惜しいな、なんて思いながら先程淹れたコーヒーとタブレットを手に社長室に向かった。


ドアをノックして社長室に入る。


「社長本日のスケジュールの確認です。」


と言って、スケジュールの確認をする。


「本日も約束の時間前にはご連絡致します。」


そう言って、届いていた郵便物と新聞とコーヒーを渡した。


それまで黙って聞いていた社長が顔を上げた。


アイスコーヒーが良かったと文句を言ってくると思って、先手を打った。


「社長がアイスコーヒーがお好きなのは昨日知りましたが、朝は暖かいものの方が良いので我慢してホットコーヒーを飲んで下さい。」


社長は驚いた顔をしたものの、コーヒーについては何も言わず


「今朝部屋に入ったか?」


と聞いてきた。


「入りました。掃除等をさせて頂きました。本日の業務が円滑に進むように準備させて頂きました。今までもそのようにしておりましたが、お気に障りましたでしょうか。」


確認せず部屋に入ったのはまずかったかもしれないと思い、頭を下げながら話をする。


「いや、確認しただけだ。分かったから下がれ。」


と社長は言いながら、コーヒーを手に取り、新聞に目を落とした。


ホットコーヒーでも飲んでくれた姿を見て安心しながら、部屋を出た。


前室に戻ると室長がいた。


「ちゃんと来てくれたから安心したよ。一応来てくれてるかどうか確認しただけだから。今日もよろしく。何かあったら聞いて。」


とだけ言うと、部屋から出て行った。


ちゃんと来ているか心配するほど、今までの秘書達はあっという間に辞めていたのかと改めて感じる。


こうなったら、意地でも辞めるわけにはいかないと妙な闘争心が沸いてきた。


闘志に燃えながら業務をこなしていると、社長からおよびがかかった。


何事かと慌てて社長室に向かう。


「失礼します。何か御用でしょうか。」


悪いことをしたわけではないが、妙な緊張感があり怒られるのではないかとびくびくしてしまう。


「海外のお客が来るからアテンドできるか。日本語はしゃべれないから英語でのアテンドが必要になる。優秀な秘書と聞いているから、それぐらい対応できるよな。」


と社長は無表情でしゃべりながらこちらを見上げた。


いきなりのことに戸惑って答えに詰まっていると


「英語もできないのか。」


と鼻で笑われ馬鹿にされた。


既に社長はデスクの書類を見ている。


このままここに突っ立ていると、早く下がれと言われそうだった。


その態度にも頭にきたので、流ちょうな英語で反撃してやった。


『英語は得意中の得意ですので、是非アテンドさせて下さい。日時を教えて頂ければ予定を空けておきます。手土産も準備しておきますので、お客様の詳細を教えて下さい。』


驚いた顔で社長が顔をあげてこちらを見ているので、心の中でざまぁみろ見くびるなよと言ってやる。


「予定はタブレットに入れておく。顧客データもあとで送っておくから、手土産リストをくれ。俺が最終的には決定する。」


何事もなかったかのように指示してくるところが憎らしい。


過去の秘書もこういう嫌がらせの積み重ねが嫌になって辞めていったのかと想像ができた。


闘志に燃えている私には嫌がらせすら何の意味もないけどね、と扉の向こうにいる社長に向かって鼻で笑ってやった。


午前中は特に呼ばれることもなく、淡々と業務をこなした。


あっという間に午前中が終わり、昼休憩になった。


秘書室に行くと花が待っている。


「花、一緒にお昼行こう。」


「お疲れ、葵にはオムライスに続く名メニューを紹介してあげよう。」


二人でふざけながら食堂に向かう。


「名前を聞くと何か分からないかもしれないけど、これが絶品なのよ。新潟イタリアン!」


「新潟イタリアンって何?新潟なのかイタリアンなのか、ゲテモノじゃないよね?」


「大丈夫、私も頼むからさ。騙されたと思って注文してみて。」


恐る恐る注文してみると、出てきたのはミートスパゲッティのようだった。


ひとまずゲテモノが出てこなかったので安心した。


席に着くと、早く食べろと言わんばかりに葵がこちらを見ている。


「美味しい!」


ミートスパゲッティとは違うけど、とても美味しかった。


「でしょ。これ焼きそばにミートソースがかかってるのよ。このメニューも女子に大人気なのよ。」


「ほんとに美味しい。初めて食べたけど、癖になる味ね。」


美味しい美味しいと食べながらも、今日社長にやられた嫌がらせを花に話してみた。


「社長そういうところがあるとは聞いていたけど、本当なんだね。葵辞めたりしないよね?」


「心配ご無用。私は今辞めてたまるかという闘志に燃えているの。どんな嫌がらせをされようと耐えてみせる。」


「頼もしい。それでこそ私の葵ちゃん。」


花に話すことでスッキリした。


午後からも頑張れる気がした。


部屋に戻る途中でコーヒーショップは目に入る。


今朝掃除した時にゴミ箱の中にサンドイッチの紙があったことが気にかかった。


嫌がらせをされたが、入っていたのがやはり今日も昼休憩をとっていない社長のことが気がかりで今日も帰りに差し入れを持っていくことにした。


「花先に戻ってて。少し寄り道してから戻るね。」


と言って、コーヒーショップに向かった。


昨日と同じサンドイッチでは飽きるかなと思い、昨日はハムサンドだったから今日はタマゴサンドにした。


ついでにアイスコーヒーも買った。


午後の予定確認の前にタブレットを確認していると、午後の始業を告げるチャイムが鳴った。


タブレットと先程買ったものを手に社長室に向かった。


「失礼します。午後の予定確認をさせて頂きます。」


そう言って社長室に入る。


昨日と同じように確認して、特に何も言わないので


「それでは失礼します。前室におりますので、ご用がありましたら、お呼び付け下さい。それから、食事をとらないと血糖値が下がり仕事の効率も下がります。眠くならない程度に軽めのサンドイッチを買ってきましたので、お召し上がりください。」


昨日と全く同じ台詞を言って部屋を後にした。


ありがとうも言わず、嫌な奴だと思いながら午後の業務に入る。


さっきの午後スケジュールの確認の際に今日も藤井専務が来ることに気付いた。


私が予定を入れたわけではないので、昨日打ち合わせ後社長が予定を入れたようだ。


あと30分後にはやってくる。


今日はブラックアイスコーヒーを出そう。


あっという間に約束の10分前になったので、社長に連絡を入れて藤井専務が来るのを待った。


受付から藤井専務が来ると連絡があったので、社長に来社されたことを連絡して部屋の前で待っていると、相変わらず爽やかな風を纏いながらこちらへ向かってくるのが見えた。


「ご足労ありがとうございます。こちらへどうぞ。」


「葵ちゃん、こんにちは。」


いきなり名前を呼ばれて驚いたが、ここで平静を崩すわけにはいかないと軽く会釈して社長室へ案内しようと足を進める。


社長が部屋の前で待っているのが見えた。


「葵ちゃん、これあげる。今日貰ったんだけど、俺甘いものが苦手でさ。」


そういうと可愛い小箱をくれた。


「頂くわけにはいきません。」


と丁重に断るも


「葵ちゃんがいらないって言うならゴミ箱行だよ。そっちの方がよくないんじゃない?」


そう言われると断るわけにもいかず、


「ありがとうございます。ありがたく頂戴致します。」


と言って頭を下げて、社長室へ行くように即した。


ふと社長の方を見ると今にも怒鳴りそうな顔でこちらを睨んでいる。


気付かなかったふりをして、藤井専務が部屋に入るのを見届けてからもらった小箱を机の上に置いて、給湯室へ向かった。


胸がどきどきしていた。


これはなんのどきどきなのか自分でも分からなかった。


藤井専務にどきどきしているのか、社長に後で怒られるのか、それとも他のどきどきなのか。


あたふたしながらもコーヒーを淹れて、社長室のドアをノックする。


「失礼します。コーヒーをお持ちしました。」


「葵ちゃんありがとう。さっきのはチョコレートだから疲れた時に食べるといいよ。」


こんな時にさっきの話題をふってくるなよ、藤井専務。


と思いながらコーヒーを出す。


社長にも出そうとすると


「さっき買ってもらったのがあるから、俺はいらない。お前が飲め。」


と社長がこれまた意外なことを言ってきた。


「武、葵ちゃんにコーヒー買ってもらったのか?!」


藤井専務が驚いて社長を見ている。


「そうだ。悪いか。ここは会社だから葵ちゃんはやめろ。コーヒーはもういいから下がれ。」


最後はいつもの台詞で締めくくったのを聞いて、慌てて部屋を出て席に戻った。


ただの秘書の仕事のはずなのに、どっと疲れた。


疲れた時に食べろと藤井専務のさっきの言葉を思い出して、さっき貰った小箱をそっと開けてみた。


宝石のようなチョコレートが4粒入っている。


可愛いチョコレートにテンションが上がるものの、仕事中に食べるわけにはいかないので綺麗に包装紙を戻して、家に帰ってからゆっくり食べようと楽しみにしておくことにした。


帰ってからの楽しみがあると仕事も自然と捗る。


さくさく仕事を進めていると、ドアが開き藤井専務が出てきた。


打ち合わせが終わったようなので、慌てて立ち上がりドアを開けて待つ。


「お疲れ様でした。宝石のようなチョコレートありがとうございます。大切に食べますね。」


と御礼を言った。


「葵ちゃん、宝石みたいって可愛いこと言うね。女の子は甘いものが好きだよね。また貰ったら持ってくるね。」


と言ってエレベーターに向かって歩くので、見送りに後に続いた。


社長も出てきており、その顔は明らかに怒っている。


あとでこっぴどく怒られることを覚悟しながら、藤井専務を見送る。


専務がエレベーターで下に降りていくのを見届けると、怒られると思い身構えていると


「チョコレートをもらったぐらいでへらへらせず仕事しろ。」


とだけ言って、部屋に戻っていった。


思いっきり怒られると身構えていただけに拍子抜けした。


怒られるよりマシかと思い、その日も何事もなく一日を終えた。


チョコレートが待っていると思うと帰り道の足も軽く、あっという間に家に着いた。


急いでシャワーを浴びて、貰ったチョコレートを開けて一粒食べてみた。


やっぱりお金持ちの人が貰う物は私が食べたことのないほど、美味しかった。


美味しい美味しいと唸りながら、あっという間に4粒食べてしまった。


満足してこの2日あったことを思い返してみる。


新しい会社に来て2日とは思えないほど、色々なことが起きている。


一番気になるのは社長が忘れられない幼馴染と同じ名前だということ。


この2日の態度をみると同じ人物とは思えないのだが、名前が同姓同名なだけで特別な感じがする。


とはいうものの、本人か確かめられるはずもないので、嫌がらせに負けないように仕事を頑張ろうと心に決めて、次藤井専務に会う機会があればチョコレートの御礼を言おうと思いながら、ベッドに横になるとあっという間に眠りについていた。


まさか次の日から、とでもない毎日がくるとは知らず。


明けない夜はないので、朝が来る。


今日も出社してから、社長室の掃除をしたり仕事がスムーズに進むように部屋を整える。


最後にゴミ箱を空にするときに、サンドイッチの紙を見つけると自然と顔が緩むのを感じた。


いつも通り社長が出社して、いつも通りスケジュール確認をして、いつも通り朝の仕事にとりかかる。


間もなく社長から呼ばれる。


慌てて部屋に行くと、お礼状をかけと言われる。


しかも、どうせ字が汚いだろ、今までの秘書もひどかったと言われる。


これまた頭にきたので、書道の腕前を披露してやろうとガチでお礼状を書いて持っていった。


学生の頃、賞状を書くバイトをしていたので字を書くことには自信があった。


今まで書道を習っていて得した思いはないが、この時ばかりは書道を習わせてくれたお母さんに感謝した。


社長にお礼状ですと渡すと、それを見て唖然としている。


心の中で見くびるなよと言いながらも、失礼しますと部屋を出ようとすると、背中に向かって早く下がれと言われる始末。


午前中は特にひどかった。


午後来る客が花が好きだからセンスの良い花を花瓶に生けろとか、手土産のリストを作れとか、美味しい紅茶を買ってこいとか、散々用事を言われその度に嫌味を言われた。


その度に秘書の仕事は社長の雑用係だと自分に言い聞かせ対応する。


何故急に嫌がらせのようなことをしてくるのか理解できなかったが、仕事だからしょうがないと何とか午前をやり過ごした。


お昼になるとくたくたになって、花を見つけると駆け寄って抱き着いた。


「はな~今日は社長がご機嫌斜めのようで、疲れた~」


「葵、あっち行ったりこっち行ったり大変だったね。秘書室でも大丈夫かってみんな心配してたよ。」


その言葉を聞いただけで午前頑張ったことが報われるようで、気持ちが少し軽くなった。


お昼は花と他愛もない話をしてリフレッシュをして、部屋に戻る。


途中でコーヒーショップが目に入るものの、午前中の仕打ちを思うと今日はサンドイッチを買っていくのも馬鹿らしいと一度は通り過ぎた。


だけど、やはりお昼を食べずに仕事するのは体によくないと思い直して、コーヒーショップに寄ってサンドイッチとコーヒーを買っていく。


午後も予定確認して、いつもの台詞を言って社長にサンドイッチとコーヒーを渡す。


午後は午前中のことが嘘のように静かに時間が流れいった。


この日を境に1週間程、いろいろ難癖をつけられながら社長の無理難題に応えていた。


社長の嫌がらせに屈せず1週間をなんとかやりきった。


週末の金曜日終業間際に室長に呼ばれる。


「仕事はどうだ。今週は俺も忙しくて部屋を空けることが多くて状況把握できていなかったんだが、さっき黒田花に今週の社長の状況を聞いた。よく頑張ってくれた。社長には俺からきちんと言っておくから、辞めずに頑張ってほしい。」


と言われた。


「大丈夫です、秘書は社長の雑用と思っているので。社長にも特に何も言わなくていいです。辞める気はありませんので、引き続きよろしくお願いします。何か困ることがありましたら、相談させて頂きます。」


「そうか。その言葉を聞いて安心した。何かあったら言ってくれな。」


「分かりました。終業まであと少しありますので、席に戻ります。」


と言って室長との会話を終わらせた。


席に戻ると終業間際になっていたので、周りの整理をして帰る準備を始めようと思ったところで社長室のドアが開いた。


終業間際に仕事を頼まれるのは一番の嫌がらせだと思いながら席を立ち


「何か御用でしょうか。」


と張り付けたような笑顔で対応した。


無言で社長が向かってきて、2つの封筒と小箱を渡してきた。


何かと思って受け取り「どなたにお渡しすれば良いでしょうか。」と聞く。


「こっちの封筒は今までのサンドイッチ代とコーヒー代をお前に返す。」


「こっちの封筒は今月のサンドイッチ代とコーヒー代。足りなくなったら言え。」


と思ってもいない回答が返ってきたのに驚いたが、今までの私の行動が受け入れられたようで嬉しかった。


「ありがとうございます。ありがたくお預かりします。この小箱はどうすればよろしいでしょうか。」


と回答がもらえていない小箱について聞いてみた。


「たまたま貰っただけで、お前にやる。週末で疲れているだろうからよく休め。」


とだけ言って、すぐに社長室に戻って行った。


社長から労いの言葉を掛けられたのは初めてだったので、驚いて固まってしまった。


我に返って小箱の中身が気になり、こそこそと包みを開けてみる。


可愛い動物のチョコレートだ。


思わぬものを貰って、なんだが社長に受け入れられた気がして嬉しかった。


1週間死ぬほど疲れたが、一瞬で疲れが飛んだ。


これが飴と鞭ということなのかと思いながら、来週も何とか頑張れそうだと思っていると終業を告げるチャイムが鳴る。


げっそりして帰る予定だったが、家に向かう足取りも軽くなっていた。


来週のことは考えず、まずは家に帰ってからチョコレートを食べることを楽しみに家に向かった。

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