第5話 反乱者の謎
孫一は、納屋の戸の前に立ち、中の様子を窺った。
話し声は四つ。人の気配はもっと多い感じだ。
ここまで近づいて何も気づかないことと、子供を捕らえねばならなくなった手際の悪さを考えると、相手は忍である心配はなかった。
武気の使えない夜だけに、複数の忍相手の戦いは、骨が折れる。
どう入ろうか迷ったが、面倒になってきて戸を蹴破った。
孫一に蹴られた戸は、パタンと内側に倒れた。
中に潜んでいた男たちは驚愕して孫一を見た。
孫一はすかさず、中の男たちの人数と位置を確かめる。
健と思われる少年は縛られて、床に転がっていた。
「お前たち、何をしているんだ?」
孫一が普通の口調で尋ねる。
それを聞いて我に返った男が、刀を抜いて孫一に斬りかかった。
孫一は礫を放ち、男の額に命中させると、男はもんどり打って仰向けに倒れた。
すかさず、孫一は納屋の中に入り、健の側にいる男を蹴り倒して、健の安全を確保した。
「お前は、雑賀孫一ではないか」
一人の男が孫一の顔を見て、名を叫んだ。
「うん? お前は今福長閑斎の息子か。名は確か虎孝だったな。おお、そこの二人は弟たちか。名は昌和と昌恒。なんだ、お前は浅利信種の息子の昌種じゃないか。他の奴も見覚えがあるぞ。武田の名のある家臣の子息が揃いも揃って、子供を攫うなんて、いったい何をしてるんだ」
孫一は半場呆れ気味に、その場の者に真意を問いかけた。
「傭兵のお前に何が分かる。我らは卑怯な裏切りに国を失い、それでもこの国の可能性に賭けた。それを臆病者の真野勝悟は、この絶好の好機に侵略戦争はしないと言って、穴山信君を放置している。我らはふぬけどもの目を覚ますために、政庁に火をかけ議員たちを皆殺しにする」
昌種が口から泡を飛ばしながら、暴挙の計画を口走った。
孫一は昌種の自分に酔い痴れた姿を見て、胸糞が悪くなった。
「勝手なことを言うな。お前たちが殺そうとしている議員たちは、たった二ヶ月でこの国の軍事力を立て直し、他国に攻められない防御を整えた。それがどれほど大変な作業か分かって言ってるのか。その間じっと見ていただけのお前たちが、力が手に入った途端に攻め込まないと許さん、などと言える立場か。身の程を知れ」
孫一の辛辣な言葉は、昌種たちの劣等感を刺激した。
昌種が怒気を込めて吠えた。
「傭兵風情が生意気な」
昂ぶった感情に、堪えきれずに刀を振り上げて斬りかかってきた。
孫一はすかさず礫を撃って、一撃で昌種を昏倒させた。
「お前たちもわしに勝てると思うか?」
礫意外の武器を持たない孫一に、他の者は圧倒されて、刀を収めた。
そのとき、外から梨音が兵を連れて入ってきた。
「孫一殿、大丈夫ですか?」
梨音は、床に倒れている二人の男と、孫一と対峙している男たちが刀を収めているのを見て、ここで起きた全てを察した。
「連行しろ」
梨音は部下に命じて男たちに縄を打ち、奉行所の牢へ連れて行くように言った。
孫一は健の縄をほどいている。
「おじちゃん」
健は自由になると、連行される源五郎の側に駆け寄った。
源五郎は悲しそうな目で健を見た。
「もしかして五郎か?」
源五郎の顔を見て、梨音が旧友の名を呼ぶ。
呼ばれた源五郎は、目を合わせないように反対側を向いた。
「いったい何をしてるんだ?」
梨音が源五郎の側に近づく。
「なんだ、梨音の知り合いか?」
孫一が驚いた顔で訊いてきた。
「はい、勝頼様の小姓をしていたときに仲良くしてもらった者です。しかし、なんでお前が――」
梨音がこうなった事情を聞こうとするが、源五郎は歯を食いしばって何も言わない。
その様子を見て、部下が梨音に言った。
「取り調べは後にして貰ってもよろしいでしょうか、まずは牢に連れて行きたいと思います」
「分かった。よろしく頼む。五郎、後で必ず事情を話してもらうぞ」
源五郎は他の者と一緒に連れて行かれた。
入れ替わりに八重と清吉が春瑠を連れてやって来た。
「お前さんが健かい」
八重が健の方に春瑠を押し出す。
「私の妹に礼を言いな。お前を助けるために、私の家まで夜道を走って来たんだよ」
春瑠は健の無事な姿を見て、安堵して泣いている。
泣き顔を見て、健は胸が痛くなった。
「春瑠、ありがとう。心配かけてごめん」
健は礼を言って、深々と頭を下げた。
それを聞いた春瑠は、ワーっと本泣きになって健に抱きついた。
春瑠のいい匂いがして、健は甘酸っぱい感じを覚えた。
「あらあら」
八重が楽しそうに二人を見た。
孫一が清吉と八重に向けて言った。
「清吉、八重と一緒に二人を家まで送ってくれ」
「あら、お前さんはどうするの?」
「わしは、梨音と少し話がある」
八重は賊の話だと察し、あっさりと承諾して、清吉と一緒に二人を連れて歩き始めた。
「梨音、賊たちは全て元武田の家臣の息子たちだ。奴らは侵掠をしないという勝悟の姿勢に反発して、政庁に火をかけ議員の皆殺しを計画したようだ」
孫一から賊の計画を聞いて、梨音の柳眉が逆立った。
「何を勝手なことを言っておる。絶対に許さない」
怒りに包まれた梨音を、孫一が宥める。
「怒る気持ちも分かるが、まずは落ち着け。これは大事なことだから、お前の家で話をしよう」
孫一は先に立って、今川屋敷に向かって歩き出した。
梨音はまだ怒りが収まらないが、孫一が先を急ぐので仕方なく黙ってついて行った。
今川屋敷に着くと、勝悟が出迎えに出てきた。
「明智の謀反への対応で忙しいんじゃないのか?」
孫一が心配して聞くと、
「いや、正直煮詰まっている。それよりも事件のあらましはだいたい聞いた。今夜は孫一から詳しく聞かなければならないと、私の第六感が叫んでいるのでな」
と、勝悟が意味有り気に言った。
「まったく、いい勘してるぜ。じゃあ、酒の支度を頼もう」
孫一はそう言って、勝悟に向かって片目を瞑った。
梨音が駄目な大人を見るような目で、勝悟と孫一を見ている。
光が女中たちと一緒に酒を運んでくる。
その後を太郎がついて来た。
「太郎、どうした?」
勝悟は夜遅くに、太郎が現れたわけを聞いた。
「孫一殿が救った子供は、太郎の学校の友達らしいのです」
光が太郎に代わって説明すると、孫一が「ほー」っと声を上げた。
「ではお主は健と我が妹の友達なのか?」
妹と言われて、太郎は怪訝な顔をしながらも、素直に頷いた。
ここで梨音が改めて孫一に春瑠のことを訊いた。
「あの娘は八重殿とどういう関係ですか?」
「春瑠は舅殿の妾の子だ。八重は、腹違いではあるが、かわいい妹なので一緒に住みたいらしいのだが、春瑠の母親がよしとせぬらしい」
「なるほど、世間では良くある話だな」
梨音が納得して言うと、光が梨音をきっと睨む。
太郎は、春瑠が友野の娘と知って驚いていた。
「ところで政庁焼き討ち犯の背後について、何か分かったことはあるのか?」
勝悟は既に一口酒に口をつけている。
もう議員のところに戻る気はないようだ。
「まだ尋問の結果は聞いてないが、わしの見たところでは、有力な背後はいなそうだな」
「いない?」
孫一の分析力を信頼している勝悟は、犯人たちの意図が分からず首を捻った。
「間違いないと思う。犯人たちは衝動的に後のことなど考えずに、犯行を計画したようだ。不思議なのはわしの知る限り、今福三兄弟は思慮深く、こんな計画性のない話に加担するとは思えないのだが」
「そう、今福三兄弟が加わったことに、私も不思議だと感じている」
孫一の疑念に勝悟も同意した。
しきりに首を捻る二人に、梨音が口を挟んだ。
「彗星が現れてから、軍部でも不思議なことが立て続けに起きています。ある者は新たな力を得たり、別の者は衝動を抑えられなくなったり」
「彗星を悪魔の星と呼ぶ者もいるからな。あり得ぬことではないな」
孫一はもう半分酔っ払いながら、梨音の説に同調した。
「本能寺で信長が行方不明になったり、衝動的に起こしたとしか思えない事件が立て続けに起きている。我らもあり得ぬと思っていることに、もう一度注意を向ける必要があるな」
勝悟が本能寺の話を出すと、孫一が反応した。
「いずれにしても大きく情勢は動くな」
「うむ。明智がこのまますんなり織田家の地盤を引き継ぐとは思えぬからな。織田家は分裂して争うことになると思う」
「まずは誰が一番に明智と戦うかですね」
梨音が疑問を口にすると勝悟が少し考えて、見解を口にした。
「柴田は上杉と調停する外交術は持たぬから、難しいだろうな。信濃と甲斐を支配する滝川は我々と和睦を求めてくるだろうが、勢力が小さくて明智に単独で向かうのは難しい。一方大軍を率いていて外交力もある羽柴は、備後まで攻め及んでしまっているから、京都まで帰るのは時間がかかるだろう」
勝悟は説明していて、ふと前の世界で学んだ歴史を思い出した。そのときは秀吉の大返しという奇跡的な行軍ができたが、備中と備後では距離が違いすぎる。
「そうなると織田の一門衆か」
孫一が見込みなさそうだという顔で、畿内にいる織田の有力勢力を口にした。
「それも、一番可能性がある信忠が、信長に巻き込まれて行方が分からず、弟の信雄、信孝では兵を集められまい」
「案外、信長が生きていたりするかもしれん」
「それならば、ありがたい。信長とは領土拡大をしないという前提で、経済都市としての自連の存続を認める方向で外交が進んでいた。生きていて欲しいものだ」
勝悟と孫一は酔っ払いらしく、とりとめもなく今後の行方を口にした。
太郎は行儀良く黙って、大人たちのやりとりを聞いていたが、ふと疑問に思って口にしてしまった。
「なぜ明智光秀は謀反を起こしたのでしょうか?」
孫一がなんだと言う顔で太郎を見た。
勝悟と梨音も話を止めて、顔を見合わす。
「それは、信長の地位が欲しかったからだろう」
孫一が躊躇うことなくそう言った。
「いや、明智光秀はそんな単純に考えて行動を起こす男ではない」
勝悟は、以前光秀と戦場で対峙したときの、先に動いたらやられると感じた、隙のない布陣を思い出していた。
梨音は神の目とまで言われた勝悟が、光秀の謀反の動機を考えてなかったことに驚きを覚えた。
改めて光秀の謀反を考えていると、唐突に頭に浮かんだことを口にした。
「まるで一緒ですね。反乱者たちと」
さきほどまで、酒を飲んで滑らかに動いていた三人の口が、開かなくなった。
静けさを取り戻した宴席で、太郎は一人、光秀の心に彗星が迫る様子を思い描いていた。
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