第3話 反乱者

 太郎が屋敷に帰ると、自連の議員たちが集まっていた。

 議員とは、太郎の父勝悟が自由連合政府を作ったときに、法律や政策を決めるために選任された十名の役職だ。

 今、議員たちは、三年以内に次の議員改選を、十五才以上の民の選挙で行えるよう、法律の整備と民への政治教育に忙しい。


 普段は議員たちの仕事場は政庁だが、たまに議論が白熱すると、この屋敷に来ることが多い。

 太郎が今住んでいる屋敷は、旧領主の今川氏真の屋敷で、昔はここで駿河と遠江の政治を行っていたという。

 今は立派な政庁があるので、ここは氏真と太郎の家族が住んでいる普通の家となっている。

 それでも空き部屋はたくさんあるので、政庁で議論が煮詰まると、議員たちはここに集まって夜を徹して議論する。


 今日は本能寺の変で、今後の情勢がどう変わるかについての議論だろう。

 もし信長が死んで織田家が滅びると成ると、戦の心配だけでなく、経済の行く末も心配しなければならない。


 信長は敵対していても、流通に対する制限は行わなかった。経済活動に対する深い理解があったからだ。それゆえ、織田家は大きく成れたし、これからも未曾有の発展をする予定だった。

 あの大国を、次にどのような思想の持ち主が継ぐかによって、この国の商人の活動が大きな影響を受けることは間違いない。



 しばらくすると、兄の梨音が帰ってきた。

 梨音は軍人として、二一才の若さで将軍を務めている。

 この国の軍部は、国軍と三つの地方軍に別れる。


 国軍の頂点には総帥として保科正直が就任し、兄梨音と上杉景虎が将軍として補佐する。常時五万人の兵士を要し、その中には一万騎の騎馬隊もある充実ぶりだ。


 地方軍は浜松城、箕輪城、駿府城に編成され、浜松城が最大規模で、司令官は三枝守友、副官を土屋昌恒が務め、一万の常備兵が織田、徳川との国境を守っている。

 箕輪城には司令官として小幡昌盛が兵八千と共に在り、駿府城には朝比奈泰友が司令官として、兵五千を率いていた。

 地方軍はその地域の警察権、司法権を要しており、文字通り治安維持の要と成っている。


「お帰りなさい、遅かったね」

 太郎がいつものように声をかけると、梨音は疲れているにも関わらず、笑顔で右手をあげた。声が出ないと言うことは、相当激しい軍議があったのだろう。


 兄は血のつながりはない猶子であるが、太郎は実の兄に向ける以上の尊敬と信頼の念を持って接している。年齢差も十一才あるので、さすがに兄弟げんかはしたことがない。


「父上はまた会議をしているのか」

「今日は朝までかかりそうだよ」


 兄は猶子に成り立ての頃、父のことを「勝悟様」と呼んでいたらしいが、母の光が厳しく注意するので、最近家族の中では「父上」と呼んでいる。

 太郎のことも「太郎様」と呼んでいたらしいが、さすがに父と母二人から注意され、最近は「太郎」と呼んでくれる。


「ねぇ、兄さんは昨日彗星を見た?」

「いや見てない」


 そうか見てないのでは、話にならないなと太郎は思ったら、梨音が意味ありげに口を開いた。


「武気が強化されたり、特殊な能力が加わったという話は、今日軍でも話題になった」

「それは彗星を見た人?」

「いや、見てない者にも同じような現象は起きているらしい。だが彗星を見ても何も起こらない者もいた」

「そうなんだ。兄さんは何か変わった?」

「少し暗いがやってみるか」


 梨音が懐から民銭を出して親指で宙に弾いた。

 民銭が放物線を描いて頭の高さまで上がったところで、梨音は右手を振り下ろした。

 すると民銭は真っ二つに切れて畳の上に落ちた。


「凄い。何をしたの?」

「かまいたちだ。昨日から狙ったところに、かまいたちを起こせるようになったみたいだ」

「剣でもできるの?」

「剣に武気を込めて振れば、鉄棒も斬り裂くことができた」

「無敵だね」


 太郎が単純に褒めると、梨音は少し暗い顔をした。


「私が強くなったということは、敵の中にもそういう者が出た可能性が強い。そうなると戦の死傷者が増えることになる。南蛮気道と同じで、武力の強化はあまり歓迎できる話ではない」


 太郎は今日のたけるの武気を思い出した。少し強いぐらいの武気かと思っていたら、冬馬が火を消さなければ相手は足を失ったかもしれない。

 とても子供同士の喧嘩で片付けられる話ではない。

 梨音の心配はけして杞憂ではなかった。


「それよりも、もっと重大な変化が起きている」

 梨音の表情に更に暗い影が落ちた。


「何が起きたの?」

「昨日までおとなしかった兵が、急に好戦的に成る者が現れた」

「好戦的?」

「具体的には、甲斐に攻め込み旧地を奪い返せと声高に叫ぶ者が現れた」

「それは国是に反する侵掠行為じゃないか」


 太郎は思わず声を荒げた。

 この国は侵掠しない――それを誇りにしていると思っていたのに、よりによって国軍の兵士に侵掠を是とする者が現れるなんて。


「侵掠を意見として主張し、議論する間はまだいい。それを力ずくで成そうとすると、これは問題だ。いわゆる反乱というやつだ」

「そんな人がいるの?」


 反乱――この国に最も似合わない言葉だ。

 兄の心配が太郎にも理解できてきた。


「いる。元々軍部には甲斐、信濃を取り戻そうと主張する『奪還派』、と呼ばれる過激派がいるのだが、今日になって新たに生まれた侵掠を肯定する兵士と結びついて、実際に反乱が実施されそうになった」


 太郎は本気でびっくりして、口をパクパクするだけで言葉が出なかった。


「聞いてもいいの? 最高機密じゃない」

「お前は知っておいた方がいい。父上の跡を次いで次かその次の代表を目指すのは、間違いなくお前だ。いやお前は目指さなければならない。私はある人にそれを託されている」


 普段冷静な梨音の口調が激しくなって、太郎は余計に言葉が出なくなった。


「もうそのぐらいにしておけ。太郎が受け止めきれなくて頭が真っ白になってるぞ」

 梨音を止めたのは桔梗だった。


 桔梗は梨音の妻だから太郎にとっては義姉にあたる。

 だがこの義姉を前にすると、太郎は何とも妖しい気持ちになるのを押さえることができない。義姉から漂う色気に比べれば、教室の女子は赤ん坊のようなものだ。

 この点だけは本気で兄を羨んでしまう。

 自分も桔梗のような女性を見つけて妻にしたいといつも思う。


「反乱者は城北地区に逃げ込んだようだ」

「民家の多いところだな。やっかいなところに逃げ込まれた」

「今、泰友殿が警備兵による捜索をかけているが、なかなか見つからないようだ。私は城北地区の農家に敵の本拠地があると睨んでいる」


 梨音と桔梗は、反乱兵への対処の話を続けた。

 桔梗は梨音の妻であると共に、風魔の忍だ。今は風魔の里を離れて、梨音個人のために忍の活動を続けている。


 太郎は一人会話から外れて、教室の学友のことを思った。城北地区には健、愼、春瑠が住んでいる。巻き込まれるのではないかという心配が心を過った。




 健は毎日の日課の素振りをしていた。

 軍人になるつもりはないが、この時代いついかなるときに、他国の侵掠が始まるか分からない。国を守るための備えは万全にと心がけていた。


 木剣を五百ほど振ったところで、一休みしていると向こうから人影が近づいてくる。

 もしかして昼間手当てした男かと思って、目を懲らすと春瑠だった。


「どうしたんだ、こんな暗いのに。女の子が夜道を一人で歩くのは危ないじゃないか」

 健は当たり前のことを言ったつもりだったが、春瑠は嬉しそうな顔をした。


「心配してくれるんだ」

「当たり前じゃないか」


 普通に答えたつもりなのに、春瑠はますます嬉しそうに微笑んだ。

 春瑠の笑顔を見ていて、健はこんな暗い場所で、女の子と二人でいることに気づいた。

 昼間、何も感じないのに、ここで見ると春瑠が女であることを意識する。


「危ないから家まで送ってやる」

 なんだか息苦しくなって、思わず家まで送ると口にしてしまった。


「待って、健に聞きたいことがあってここまで来たの」

「聞きたいこと。学校じゃ駄目なのか?」


 春瑠は急に真面目な顔になって、首を左右に振る。


「そうなのか、じゃあ話を聞こう」


 健は暗い夜道をわざわざやって来た春瑠のために、息苦しい思いに蓋をして、話を聞くことに応じた。

 春瑠は両拳を握りしめ、少し震えながら、それでもいつもよりはっきりした声を発した。


「今日の昼間の話だけど、健は碧のことが好きなの?」

「す、好きだよ」

「いつから?」

「・・・・・・初めて教室であったときから」


 健は碧の質問に答えながら、昼間の告白を思い出していた。

 勢いでつい言ってしまったが、思い出すと恥ずかしい。


「私も・・・・・・私も健のことが好き」

「え、ええー。なんで?」


 動揺して思わず理由を訊いてしまった。もし自分が碧を好きな理由を訊かれても答えられるはずがないのに。

 春瑠は困って、涙がこぼれ落ちた。


「好きって言われて、なんでって答える奴がいるかい」

 振り向くと母の絃が立っていた。

 健の帰りが遅いので心配して、様子を見に来たのだ。


「ごめんね春瑠ちゃん。こいつ馬鹿だから、こんな可憐な女の子に告白されたのに、無神経な返事をして」

「だって母ちゃん・・・・・・」


 突然でびっくりしたといいかけて、健は言葉を飲み込んだ。

 絃が夜叉のように怖い顔になっていたからだ。この顔のときは何を言っても怒られる。

 素直に謝るしかない。


「春瑠、ごめん」

「ホントだよ。でもね春瑠ちゃん。男が告白されてとんちんかんな答えを返すときって、その子のことを意識してるときだから気にすることはないよ」

「母ちゃん!」


 図星をつかれて、今度は健が泣きそうになった。

 だが絃はかまわず喋り続ける。


「私はね。春瑠ちゃんを初めて見たときから、なんて綺麗で性格のいい子なんだろうって思ってたよ。こんな子が健の嫁に来てくれればと思ったものさ」

「母ちゃん、話が早いよ」

「何が早いことがあるのさ。私が父ちゃんの嫁に成ったのは十四才のときだ。五年なんてあっという間さ」


 春瑠は健と絃の話を聞いてて、楽しくなってきた。

 なぜ自分が健のことを好きになったか、分かったような気がした。

 今日、思い切って来て良かったと思った。


「すいません。そろそろ私、帰ります。お母さん、どうもありがとうございます」

 春瑠は行儀良く頭を下げた。


「ああ、ごめんね。馬鹿に言い聞かせているうちに、こっちばっかりしゃべっちゃって。ほら健、春瑠ちゃんを送っていきな」


 そう言って絃は家に戻っていった。


「ごめんな。母ちゃんしゃべり出すと止まらないから」

「ううん、いいお母さんでうらやましい」


 同じ母子二人でも、春瑠の母は厳しかった。

 友野の本妻の子に負けないようにと、厳しくしつけられたのだ。


「じゃあ、送るよ」


 二人は一緒に歩き出した。

 春瑠は幸せな気持ちになった。二人で歩いたこの時間を一生忘れないと思った。


「あれ、あいつ」


 健が途中でいきなり足を止めた。

 昼間、健が手当した男が、百姓の家の納屋に入っていくのを見たからだ。


「春瑠、ごめん、ちょっとだけここで待ってて」


 そう言うと、健はすごい勢いで男が入った納屋の方に走っていった。

 何もいう間はなかった。

 春瑠は呆然と健の後ろ姿を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る