中編:わけわかんないけど婚約しちゃった♪

 穏やかな午後、突然現れたカンブンとカンブン父文一郎ぶんいちろう。カンブン親子の手には仰々しい結納の品の数々。エイコはまだ状況が理解できずにいた。同じく、エイコの母もエイコの姉も、姪っ子二人も、ポカーンとしていた。


 ここは、カンブンが説明責任を果たすべきだ。


 そう思うのが世の常である。しかし、カンブンはカンブンでこの状況を理解していなかったのだ。


 文一郎は、その日カンブンの元にも突然訪れていた。


***


 特に用事も入っていなかった日曜日。カンブンはただただボーっと自分のアパートで過ごしていた。そこに突然現れたのは東北に居るはずの父。そしてその父は、ただこう言った。


「彼女出来だんだべ? 結納さ行ぐがら家さ案内してぐれ(彼女出来たんだろ? 結納に行くから家に案内してくれ)」


 普通なら、ここで父にその行動を問い詰めるか、止めるかするだろう。しかし、カンブンはそのどちらもしなかった。カンブンは元来無口で言葉足らずな男だ。それに加え、自分の父が『止めても無駄』なワンマン男であるとよく理解していた。カンブンの一族の中では、文一郎が『白』と言えば例えそれが『黒』でも『白』になる。それほどまでに文一郎はワンマンであった。なので、カンブンは黙って文一郎をエイコの家へと案内したのである。


***


 というわけで、父文一郎に促されるままエイコの家に来たカンブンと、突然の結納宣言に困惑するエイコ一家、一人で事を進めている文一郎、という妙な図式が出来上がった。


「まずはそこのめんこいお嬢ぢゃん二人にお小遣いあげるべーが(まずはそこの可愛いお嬢ちゃん二人にお小遣いをあげようか)」


 文一郎はそう言うと、膨れ上がった財布からおもむろに一万円札を取り出すと、エイコの幼い姪っ子二人にそれぞれ一万円を渡した。昭和四十年代半ばは、大卒初任給が四万円前後(出典:年次統計)の時代である。その時代に幼い子供二人に一万円をポーンと渡した文一郎、ぐぬぅ、只モノではない感が溢れている。


 エイコは、きっとこの時こんな事を思っていたのではないか? と無雲むうんは思う。


「お父さんが居てくれたら、この訳の分からない状況も何とかしてくれたかもしれない」


 エイコの父は、エイコが高校一年生の時に、仕事上の事故で突然亡くなってしまった。それからエイコは母やきょうだいと手を取り合って生きてきていた。年の離れた姉と兄二人と、四きょうだいで母を支えていた。その生活は決して楽ではなかった。給料は全額母に生活費として差し出していた。家も決して広くはない。だからこそ、エイコの目にはポーンと万札を子供に差し出す文一郎は異質に映っていただろう。


 そんなエイコの困惑なんてどこ吹く風。文一郎はマイペースに、ワンマンにこの場を仕切っていた。


 結納の品を広げ、粛々と結納を進めていく。


「納めでくなんしぇ(お納めください)」


 よく分からないまま、エイコ一家は結納品を受け取った。何が起きているのか把握もしてないけど、エイコとカンブンは婚約してしまったようだ。


 この時、カンブンは何を考えていたのか? と娘である無雲は未だに考える事がある。無雲が知るカンブンという男は、物事を効率的に考え、無駄を嫌い、面倒な事も嫌う人間だ。


 きっとカンブンは、この状況をラッキーだとでも考えていたに違いない。プロポーズを考える事もしなくて良くなったし、大好きなエイコと婚約も出来たし、手間を全省き出来たとでも思っていたに違いない。文一郎が結納金として持参した金額は百万円。カンブンは高額な結納金を貯金する手間すら省けたのだ。


***


 嵐のような文一郎の訪問は、エイコの兄二人の耳にも入った。年の離れた兄二人は、エイコを溺愛していた。末っ子であるエイコを、それはそれは可愛がっていた。


 兄二人は激怒した。離れて暮らす長兄と同居する兄、二人とも激怒した。


「どこの馬の骨とも分からねぇ田舎者に、エイコを渡してなるものか!!」


 長兄はすぐさま東北某県に行った。カンブンの身元調査をするためだ。夜行列車に乗って、どんぶらこと東北某県まで出向いた。


 しかし、そこは素人。探偵みたいな真似をしようとしてもなかなか難しい。なので、長兄は村の商店で聞き込みをする事にした。世間話に見せかけて、それとなく、カンブンについて聞き出そうとしたのだ。


「この村のカンブンさんって、どんな青年ですかねぇ!?」


 それとなくどころか、どストレートに長兄は聞いた。すると、三十代に見える女性店員は、にこやかに、そしてあっさりと口を開いてくれた。


「カンブンさんはいい青年だよ。真面目で性格も良ぐで、素晴らしい人格者だよ! (カンブンさんはとってもいい青年ですよ。真面目で性格も良くて、素晴らしい人格者ですよ!)」


 長兄が東北を訪れて得た成果は、この女性店員の証言だけだった。わざわざ千葉県から東北まで行って、これだけ聞いて帰ってきたという事実に無雲は驚きを隠せない。


 しかし、無雲は知っている。この時長兄は失態を犯しているのだ。カンブンとしてはほくそ笑むレベルでラッキーハプニングだったのだが。


 この商店の女性店員は、実はカンブンの姉だったのだ。姉は、文一郎からカンブンの結納をしてきたと聞かされていたのだろう。狭い村、余所者よそものが来ればとても目立つ。東北弁ですらない言葉を話してカンブンの事を聞いてくるその客がエイコの関係者だと、カンブン姉はすぐに察知した。それで姉はカンブンを褒めたたえて良い事ばかりを吹き込んだのだ。


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