第34話

 いつも薄ら笑いを浮かべている顔が固くして、社長は威圧感のある大きな額を山口アナウンサーに向けていた。

 厳しい批判をした目は「お前がやったのか?」と問い質しているように見える。山口は、向けられた疑惑に心外だ言わんばかりに口に出していた。

「私、知らないわよ」

 山口が社長を赤い口を歪ませながら睨み付ける。二人の間に不和が流れ始めた頃を見計らって、亮がそれを助長するように割って入った。


「知らないってことはないでしょう。前回あなたたちが書かせた週刊誌と同じ。しかも、記者の署名も同じだ。あなた達が雇ったんだろう」

 語気を強めて以前の雑誌と今回の紙を並べ叩くように指し示す。あの赤い脅し文句以外の紙の上部には『週刊真話』としっかりと記載され、記事の文章の最後には前回山口との熱愛スクープを書いた署名と同一だった。

 社長と山口は亮の圧で首根っこをつかまれたように視線を落とし凝視する。二人の目に驚きと困惑が入り混じり、動揺が走ったように見えた。このまま畳みかけようと亮が口を開きかけたところに、社長はこの場に纏っている自分たちに不利な空気を吹き飛ばすように鼻で笑っていた。


「確かに、これを書いたのは週刊真話なんだろう。だが、社長自らがこんな下衆週刊誌の一挙手一投足を把握しているわけないだろう。そんな暇人じゃない。

 それにな、よく考えてみろ。こんなくだらん記事を書かれたら、君の映画を出資を決め公表しているこちら側の損失は大きくなるだけだ。わざわざそんな不利益になることを、私がすると思うか?」

 対峙するように脂ぎった額をまっすぐに向けてくる。顔が大きいわりに小さい濁った眼を亮は見据える。


 何よりも利益しか考えない狸だ。自分の特になることはどんな嘘をもでっちあげるだろうし、逆に自分に被害を被るような危険分子があれば、どんな手を使ってでも潰すだろう。ならば、こいつの言っていることは本当なのか? 

 ならば、山口か? 

 亮は山口へと視線を滑らせる。山口は香水スプレーを先程見せた動揺を書き消すように手首に吹き付けていた。油の生臭い匂いと山口の香水に匂いが混ざり合った悪臭が充満していく。思わず顔をしかめそうになったところに山口の下品な笑い声が響いた。


「前に私があなたにフラれたから、腹いせにこんなこと仕出かしたって言いたいんですか? 馬鹿馬鹿しい。こんな低能なこと私がするわけないじゃないですか。それに仮にですよ? もし本当にこれに私が関わっていたとしたら、前回のようにうまくやりますよ。私の方がよっぽど頭のいい作戦をひねり出せるわ」

 濃くなった香水で、この場の空気を自分の意見で染めようとする山口。だが、そんな薄っぺらさで染められるほど亮は浅はかではなかった。


「あなたが頭がいいというのなら、前回だってもっとうまくできたはずだ」

 亮の声は真っすぐそれを打ち消しながら蹴散らす。プライドの高い山口を逆手にとって、煽るようにそういってやれば憤怒で焚きつけられていく。山口の目の色が変わり始める。我を失い始めているのを亮は見逃さない。納得したように「あぁ、そうだよな」とわざとらしく頷いてみせた。

「前回でもあれくらいの作戦しか立てられなかった山口さんだ。今回これを仕組んだ張本人とは考えにくいな」

 突然そんなことを言いだす亮に、山口は血走った眼を見開き赤い唇が小刻みに震え始める。

「どういう意味?」

 社長も暴走し始めている山口に気づいて「おい」と声をかけるが、彼女の耳は怒りの音に支配されて届かない。


「だってそうでしょう。今回の方が何十倍も衝撃的な記事だ。このネタを作り出した人間は、あなたよりも一枚も二枚も頭脳は上手だったということですね」

 最後に口角を上げてやる。それが、山口のスイッチだったのか。白目が朱色に充血し、艶やかに黒髪が乱れ唇が戦慄き、甲高い声が響いた。

「言っておきますけど、前回だって……! 私に全面的にやらせていればもっとうまくできたわ! 私は下手な計画にただ無理やり付き合わされただけよ! サトシの奴がどうしてもって……」

「咲!!」


 社長の地面が揺れるほどの怒声が赤い唇を黙らせていた。亮は内心舌打ちする。

 社長は机に放り投げた紙を手に取り一枚目から順々にじっと見つめ、見向きもしなかった最後の脅しの赤い文字をしばらく見つめてしばらく思案する様子を見せていた。亮は次の出方を待っていると、一転。脂ぎった微笑みを向けてきた。

「……この記事は念のため私が潰しておくことにしよう。君もこんなの世に出されたら困るだろう? 君の大事な彼女も相当なダメージを受けるはずだ。それに、こちらとしても先ほども言った通り不利益は遠慮したいんでね」

 社長は紙を横にあったゴミ箱に捨てると、肥えた腹を抱え席を立ち亮の隣にまで回り込んできて、労うように亮の肩を叩いた。

「まぁ、こういうことはこの業界ではよくあることだ。いちいちカリカリしていたら、身が持たんぞ。あとは私に任せて君は自分の映画のことに専念してくれよ」

 急に和らいだ口調で窘めるようにそういう社長。肩から伝わる生ぬるさは、違和感と嫌悪感でしかなかった。そこから体中に駆け回る。ずっと無理やり押さえつけていた怒り。亮は、その手を振り払うと分厚い皮をも切り裂くような鋭い視線を社長に向けた。脂で守られていた社長の顔も一瞬怯む。


「念のため、言っておきますが。これ以上、僕の周りの人を悲しませるようなことをするのなら、この話を降ろさせていただきます」

「こんなことのためだけで、自分のデビュー作を潰してもいいと?」

「僕にとっては『こんなこと』で片づけられるようなことではない。俺はあなた方のように自分の利益だけを考えて行動しているわけじゃない。いくら自分だけ成功しても、周りの人たちが傷ついたら意味がない」

 亮が宣戦布告するように告げれば、社長の口調は蔑むようなものにかわる。

「青いな。この世界でやっていくのに、そんな甘いことを言っていたらこの世界では到底生き残れんぞ」

「あなたと僕の考え方や生き方において乖離があるので、理解していただかなくても結構です」

 そう言い切る亮に社長は一瞬顔を強張らせるが、すぐに笑いに変えて亮の前に手を差し伸べた。

「まぁまぁ。ここは、友好的に納めようじゃないか。君の成功と我々の利益のために」

 亮は社長の顔を鋭く見返しただけで、手を伸ばすことはせず「失礼します」と一礼して、社長室を出て行く。


 亮がドアを閉めた途端、社長室から言い争う声が響いてきた。亮は聞き耳を立てるが分厚いドアの前では残念ながら内容まではわからず、亮は唇を噛む。だが、収穫はあった。

 サトシ。

 二人と繋がっているそいつが、黒幕だ。




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