第14話

 朝、起きると珍しく母の美穂がテレビをつけていた。いつもなら、テレビの前に座る余裕なんてなく、仕事への支度で忙しなく動いている時間帯だ。ソファの上に座って何をするでもなく、テレビの画面を見つめている母に違和感しか感じない。よっぽど日本を震撼させるようなニュースでもやっているのだろうかと思いながら、焼けたトーストをぱくつきながら唯も母の視線の先を追いかけると、そこには朝の顔となっている男性キャスターが爽やかな笑顔を浮かべていた。


「さぁ、冒頭でもお伝えしました通り今時の人となっている宮川亮さんの熱愛発覚です。こちらが、ある高級料亭で密会していたという写真です」

 画面が男性キャスターから切り替わり、亮が細身のドレスを着た女性を抱きとめている姿がはっきりと映し出されていた。衝撃的な写真で、唯もその画面に釘付けになる。

「お相手は、ビッグテレビの山口アナウンサーです」

 ふと思い浮かんだいつか亮の特集をやっていた時に、目をキラキラ輝かせて『カッコいいんです』と声高らかに言っていた人かと冷静に回顧していると、今度はフリップに切り替わる。

「山口アナウンサーは、宮川亮さんが渡米していた頃から取材を続けていて、その頃から交際が始まったということです。爽やか美男美女カップルの誕生ですねぇ。世の中の女性は、衝撃を受けているかと思います」

 面白おかしく大袈裟にいうアナウンサーに、同調するように母はいった。

「本当に衝撃よねぇ。だって唯、亮君と付き合ってるんでしょう? これって、二股ってことよね?」

 母は笑いながら、まるで赤の他人にいうような言葉を平然と唯に投げかけてくる。唯の心は、すっと冷えていく。

 それが娘にかける言葉なのだろうか? 普通なら、もっと気にかけるような母親らしい言葉をかけてくれるんじゃないの? 亮のニュースなんかよりも母の態度が、言動が母へに対するずっと溜まっていた黒い感情が一気に決壊していた。


「お母さん、亮のことよく知ってるでしょ? そんなことする人じゃないって。どうしてそんなこと言うの?」

 距離を空けようとしている自分自身が何を言っているんだと思う。矛盾した感情を抱いているのは重々承知していたが、唯は黙っていられなかった。

 私は亮はそんな姑息な真似するような人じゃないと知っている。もし、この話が本当で他に好きな人ができたのなら、ちゃんとけじめをつけてからそういった行動に出るはずだ。亮はいつだって、呆れるくらい真っ直ぐだ。小さいころから今に至るまで、それはずっと変わらない。私がそう思うのは決して自惚れなんかじゃない。


「じゃあ、あの写真は何? 動かぬ証拠なんじゃないの?」

 挑むようにそう言ってくる母。娘である自分自身のことを言われるのなら、まだ耐えられたけれど、亮のことを悪く言うのだけはどうしても許せなかった。お母さんだって、亮のことを同じ時間だけ一緒に見てきたはずだ。

「それに、あんなに有名になったんだもの。亮君だって、男だもの。そりゃあ、唯より美人にいっちゃうわよね」

 その瞬間。母と酷く細い糸で辛うじて繋がっていた糸が音もなく切れた気がした。

 

 

 中学の時、父は病気で亡くなった。

 母は父に寄りかかっている人だったから、その死に酷く落ち込んだ。父の死からしばらく時間がたっても母はただ茫然と、何もせず窓の外を見つめて時間が経つのを見送る日々。そんな状態の母を見て、唯は父の死は母の心も一緒に連れて行ってしまったのではないかと思って、不安で仕方がなかった。私が母を助けなければ。私は泣いてはいけない。私は、母のようになってはダメ。しっかりしなければ。私が母を支えなければ。そんな決意を胸に、私は母の代わりにできることをすべてこなすようになった。そんな自分は悲愴に満ちていた顔をしてたんだろう。それでも、無理やり笑顔を作る私に亮はいつも心配そうな目を向けていた。亮も頑なに何もかも背負おうとしている私に、どうしたらいいのかわからなかったんだと思う。


堪り兼ねて、亮はあかりさんに相談したのだろう。私のことを聞きつけたあかりさんは私をよく遊びによく連れ出してくれながら、母を根気強く励まし続けてくれた。それが功を奏し、母は仕事という生きがいを見つけた。

 ずっと暗い顔をしていた母が籠っていた家を飛び出していってくれたことに私は心底ホッとしたのは、今でもよく覚えている。

 一人でいたときは感慨深いくらいの面持ちだったけれど、その後亮に「よかったな」とかけてくれた一言が、ずっと我慢し続けてきた涙が勝手に溢れた。急に泣き出す私に、亮はとても驚いていたけれど何も言わず、泣き止むのをずっと隣で待っていてくれていた。

「もう一人で抱え込むなよ。唯には俺がいるんだからさ」

 照れくさそうにそう言ってくれた亮の言葉が、私をどれだけ救ってくれたか計り知れない。私を助けてくれたのは、母ではなくいつだって亮だった。

 自分は何と言われても構わない。だけど、亮のことを言われるのだけは絶対に許せない。


「私ずっと我慢してたよ。お父さんが死んじゃってから、私も頑張ってきたつもりだったけど、もう限界。今まで、ありがとう」

 唯は、自室に駆け上がりボストンバッグに必要なものだけを詰め込んで家を飛び出していた。



 

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