第4話

 講義が終わって、ひなと別れ、唯はそのままバイト先である新宿の映画館へと向かう。唯はチケット売場担当だ。

 映画館でも日本人初の快挙を成し遂げたミュージカル映画『ザ・ビーナス』は、ロングラン上映を果たしていた。

 映画は一人の平凡で地味な少女がある日スター性を見出されて、歌手としての階段を駆け上がっていくというシンデレラストーリーだ。映画館の試写会で一足早く唯は鑑賞していた。素晴らしいストーリーに舞台装飾の煌びやかな色彩と一つ一つ丁寧に作られた道具の繊細さ。そして、幼少期から大人になるまで子役を使わず、一人の女優がすべてが演じるために、特殊メイクが施された。それが緻密に施され、まるで本当の子供がそこにいるように再現されていて、映画の一番の醍醐味といってもいいほどに盛り上げていた。それを作り上げたのは誰でもない亮だと思ったら、目に焼き付いて離れなかった。涙は必要のないはずの映画なのに、唯は一人感涙していた。一緒に観ていたバイト仲間たちの一人。山形は、唯が一人泣いているものだから、そんな熱狂的な宮川亮ファンだったのかと目をむかれた。

 それがもう一年前。上映されてずいぶんと時間が経っているにもかかわらず、客足は劣るどころか増え続けていた。そのうえこの度賞を獲ったものだから更に客足は伸び、売り上げもうなぎ登り。


 そんな盛況の映画館で、唯の休み時間。狭い部屋に大テーブルと四脚の椅子。休憩室はだれもおらず、ホッと息をつく。立ちっぱなしの疲れた足や凝り固まった肩をほぐしていると、ガチャリと休憩室のドアが開いた。誰だろう? 売店担当の山形だったら、たいていポップコーンを片手に入ってくる。売店担当はタダでいただけるという特典付きなのだ。いつも山形に分けてもらっている唯は今日も期待を膨らませたが、先日のやり取りを思い出して萎んでいく。

 バイトの帰り道。新宿駅に向かう途中で、山形から告白されたのだ。その場で断ったけれど、もっとよく考えてほしいと言ってきたので、半ば強引に話を切り上げてしまったのだ。そんなことを思い出し気が重くなる。どうか違う人であってほしいと願いながら、開くドアに視線を送った。

 するとそこにあったのは、神経質そうな切れ長の目。ただでさえインテリ顔をしているのに黒縁眼鏡のせいで一層インテリ化させている映画館社員・大阪の姿があった。消えかかっていたポップコーンは、彼の切れ長の目に当たり盛大に弾けて更なる衝撃となって唯を襲う。胃がキリキリ痛み出していた。


 大阪からは、まさにこの休憩室で告白を受けたのだ。そのことが更に重くのしかかって思い出されて、ここからすぐにでも出ていきたい衝動に駆られる。こっちの方が相当気まずい。

 なのに、大阪はこうやって普通に目の前の席に座れる精神力の強さに唯は目を泳がせるしかなかった。それを気にすることもなく、大阪は何事もなかったかのように世間話を始め、ここ最近の亮現象、そして、亮の父光夫にまで話を広げ私見を語り始めていた。

 唯は大人げなく無視するわけにもいかず、適当に相槌を打っていたのだが。


「僕は彼の父である宮川光夫監督は、とてもすごい人だと思っている。彼の作る独特な世界観、繊細さ。あれは、誰にも真似できない。

 息子である宮川亮にその才能を引き継いでいるってテレビだかで見たけれど、何言ってるんだって思ったね。足元にも及ばない。そもそも渡米してすぐにトップムービーアカデミーに入れたこと自体おかしな話だよ。あそこは超難関校なのに、すんなり入れたなんて親の力が働いていたに決まっている」

 大阪の態度の大きさと比例する大きな声に唯は耳を塞ぎたくなるのを必死に我慢していた。ばかでかい声を出せばそれが真実になるとでも言いたいこだろうか。

 亮はそもそも、父親から教示を受けたことは生まれてから今に至るまで一切なかった。亮の父・光夫は、人の人生は何もこの道ばかりではないのだから、亮には亮の道を自分で切り拓けばいいという考えの持ち主だ。

「少しくらい、教えてくれてもバチ当たらないと思うんだけど本当に親父は映画の話は一切してくれないんだよ」という亮の嘆きも聞いたことがあるくらいだ。

 ならばと、亮は自分の手でこの道を極めてやろうと立ち上がり、努力を積み重ねて自分の力だけでアカデミーのチケットを手に入れたのだ。その姿は、この目でしっかりとみてきている。

 そんな今にも飛び出しそうな反論を唯は必死にギリギリと噛みくだくが、それを上回る早さで次々と大阪は硬く不快な言葉を投げ込んでくる。

「なのに、宮川亮がこんなに注目されたのは、父親である宮川光夫監督の名前以外に他ならないと、僕は思うね」

 聞き捨てならない数々の言動がこれでもかというほど飛び出し、あまりの不愉快な硬さに歯が折れそうになる。唯の我慢も限界に達しつつあった。



――――――


 何なのよその上から目線。この人は亮の何も知らないくせに。どれだけ、亮が努力してきた知らないくせに。そのインテリ眼鏡は、物事を濁らせるためにあるのではないかと思えてくる。今にも溢れそうな怒り。けれど、そんな子供っぽいことをしてはダメだと、噛み砕けなくなった大きな異物を喉が痛くなるほど無理やり言葉を飲み下す。

胃の中に溜まっていた不快な異物たちは火薬へと変貌しつつあった。

「あぁ、そうだ。忘れてはいけない。顔がいいっていうどうでもいい武器があった。一番どうでもいいものが一番の奴の武器だなんて笑えるよな」

 最後に付け足して大阪は嘲笑った。鼻にかかった笑い声が種火となり、一気に怒りの炎が上がる。テーブルに落としていた視線を上げて大阪を睨みつける。その目はギラリと赤く光っていた。怒りに染められた唯は、大阪の切れ長の目が大きくなったことを気づくことはできなかった。


「私はそうは思いません。彼は自分の父親の名前は、出さずに渡米して頑張ってきたんです。努力で駆け上がってきた本物の実力者です」

 まだまだいい足りない。だけど、それだけで留めるのに唯は集中して下唇を噛んだ。鋭い視線はそのまま向けてくる唯に、大阪は顎に手をやり分析するように見返していた。

「へぇ。ずいぶん彼に肩入れするんだね、唯ちゃんは。考えてみたら、ずいぶん前から宮川亮のこと注目していたもんなぁ」

 ただでさえ、大阪の目は切れ長で鋭いのに更に尖って見えて、ドキリと唯の心臓が跳ねた。そんなこと言ったことあったかしらと、どんなに掘り下げて思い返してみてもそんな記憶はなかった。首を傾げる唯に大阪の元からインテリ顔の顔をより一層強調させている黒縁眼鏡をぐいっと上げていった。

「宮川亮が噛んでいる映画を必ずチェックしてそれを何度も唯ちゃんが観てること、俺が知らないとでも?」

 そういって、大阪はこれまで亮が絡んでいた映画を全部言い当てていた。亮の初めての作品はエンドロールにも名前がなかったはずなのに、大阪が列挙した作品名の中に入っていて、唯は唖然として声も出ない。

 大阪はこの映画館の社員であるせいか、内部事情に異様に詳しい。日本人が関わっている海外映画とあれば、細部までチェックを入れいることは有名だ。


「いつから、宮川亮に注目していたの?」

「……大学の友達が宮川亮と同級生で、その子から話を聞いてから……ですかね。彼、どうやら昔から人気があったみたいで、ファンクラブみたいなのもあったらしいんです。で、その子もそのクラブに入っていて、やっぱり宮川亮のファンだったんです」

「そういうことだったんだ。なるほどね。だから、あんなに熱心に映画観てたんだね。あ、もしかして、宮川亮に会ったことあるの?」

 唯の口から心臓が飛び出しそうなほど、跳ね上がる。

 目が泳ぎだしそうなのを無理矢理大阪に引き留めて、唯は何とか無理やり笑顔を作っていた。

「そんなことあるわけないじゃないですか。同級生の話を聞いただけです。毎日のように彼の話をしてくるものだから、私もそんなにすごい人ならどんな映画に携わるんだろうって興味本位で気になって映画を観始めたっていうだけですよ」

「そりゃあ、そうだよな」

 大阪の鋭かった目が少しだけ和らいで、笑顔がこぼれる。

 納得してくれたのかという思いと、やっと解放される安堵感にほうっと息を吐く唯。


 大阪は席を立ち休憩室のドアを開けていた。そして、大阪は唯に顔を向けることなくいった。

「君のことがよくわかった気がするよ」

 という言葉とバタリとドアが閉じられる音が唯の中心で不快に響いていた。

  

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