第2話

「そっちはどう?」

「まぁ、そりゃあ最初からうまくはいかないよ。覚えることも多くて余裕がない感じかな」


 亮は映画美術監督を専攻。セットや舞台の装飾、大道具や小道具など映画に登場する全ての美術を学んでいる。アメリカでの勉強法は机の上ではなく、実践あるのみだという。実際に映画作りに参加して、その眼で見て吸収し、地道に培った実力を少しずつ積み重ねていく。それが誰かの目に止まった暁には、また新たな制作に携われる。唯が聞いた亮の話によると甘えのない完全実力主義の世界だ。でも、きっと亮の才能は誰かの目に留まり、開花する。どこか確信めいたものが唯の中に常にあったから唯は心配なんてしていなかった。

「で、唯は? どうなんだ?」

 そう聞かれて、うーんと唸る。亮ほど刺激的な出来事はないけれど、高校から学生になった新たな環境に新たな世界が広がった気はしていた。高校生までの自由がない時間が嘘のように、自由だ。亮の大変さとは雲泥の差の環境に唯は気を遣って言葉を濁す。

「こっちは、まぁまぁかな。バイトでも始めようかと思ってるところ」

「バイト?」

「だって、そっちに行きたいって思っても先立つものがないと、行きたくても行かれないでしょ?」

「そのくらい俺が出すよ。」

 宮川亮の父親・光夫みつおおじさんは、有名映画監督だ。だからと言って、典型的な厳しい監督という世間一般的なイメージとは程遠く、とても優しい。唯も亮家族と一緒に出掛けたりしてきたが、一度も怒った顔をみせたことはない。そんな優しく人のいい光夫おじさんは、夜な夜な後輩を引き連れて飲みに行ったり、奢ったりというのは当たり前らしい。それも仕事だ。人材育成の一環。それに対して亮の母・あかりさんはよく思っていないらしい。時々、唯にも愚痴ってくる。だがサバサバした性格のあかりさは、いくら愚痴をこぼしても鬱々とはしない。そんなあかりさんを唯は自分の母親・美穂みほよりも慕っている。

 そんな環境で育った亮は、裕福な家庭ではある。だが、亮は決して親の脛をかじってきたわけじゃないことは唯はよく知っている。だが、時折太っ腹になる。それは、やっぱり父親の影響に思う。


「そういうのよくないよ。ダメダメ。もう大学生なんだから。自分のことは自分でやらないと。ついでにもう少ししたら一人暮らしでもしてみよう思ってる」

「一人暮らし!?」

 亮の声は人一倍よく通る。叫びに近い驚きの声が耳にぶつかって、唯は顔をしかめた。スマホ耳元から外してもうるさい声が響いてきた。

「そんなの、危ないだろ。今のご時世いくら日本とはいえ女一人暮らしはやめろよ。美穂おばさん心配するにきまってる」

 まったく。亮はいつからそんな心配症になったんだか。そう考えたら、あぁそれは私のせいかと唯は思う。亮が振り向いてくれないという女性たちの不満は、全部幼馴染の私に向けられた。それを見続けてきた亮はいつの間にか唯のことを過剰に心配するようになった……と唯は思っている。

「……うちのお母さんは、心配はしないよ。自分の世話してくれる人がいなくなるのは嫌だとは思うかもしれないけど」

 母の美穂は、夫。つまり、唯の父を病気で亡くしてから、人が変わったように仕事に打ち込むようになった。その分、家事をはじめ娘である唯にまで気が回らなくなっていった。最初は仕方がないと唯は思っていた。夫を亡くした、寂しさを紛らわすためには仕方のないことだと。だけど、何もかも家事を任せられるようになって、どんどん仕事にのめりこんでいく母。中学のころふと思った。娘である私の存在って何だろう。私はただ母の身の回りのことをするためだけにいるのではないか。そんな風にどこか冷めた目で見るようになっていった。

「なら、うちの母さんが心配する」

 亮の声がまた響く。確かに私のことをこれまでに一番に心配してくれるのは自分の母ではなく、いつだってあかりさんだった。

「あぁ、それはそうかも」

 素直に頷く唯に、亮は「だろ?」と勝ち誇ったように言ってくる。 

「ともかく、俺は反対」

 まぁそんな反応が返ってくるだろうと予想していた。だから、頭にくることもなかったが、どこか心に靄がかかるのをぼんやりと感じていた。だけど、いちいち喧嘩するのも馬鹿馬鹿しくて、唯はこの話題を上げることもなく、一人暮らしというささやかな希望はやんわりと消えていった。



 最初は、そんなやり取りをよくしていた。何気ない日常。今日はこうで、明日は……。そして、長期休みが取れると亮は必ず日本に帰ってくる。唯はその度に空港へ迎えに行って亮が帰って来るのをドキドキしながら待ち構えていた。


「お帰り」

「ただいま」


 二人は再会は、いつだって人目をはば憚るはばかことなく抱きついて喜び合う。そんなことを何度も繰り返した。



 そして、月日は流れて三年が経ったある日の秋。

 亮が携わったミュージカル映画作品が最も名誉あるとされる賞を受賞した。その作品の美術監督に大抜擢されていた亮も美術賞を見事に獲得。それだけでも物凄いことなのに、日本人初で史上最年少という記録まで樹立。日本でも大々的にそのニュースは流れた。トロフィーを持って、うれしそうな笑顔を見せている亮。とてつもない快挙だと、テレビのお昼のワイドショーでは特集まで組まれた。


「あの有名監督の息子さんが携わった映画があのグランド賞を受賞したんです!しかも、史上最年少。すごい快挙です。やはり、父親の才能を引き継いでいるんですね」

 受賞したことは素直にうれしい。こんなにテレビで長々と時間を費やして紹介されていると、気持ちが浮ついて何も手につかなくなってしまうほどだ。けれど、その報道の仕方についての疑問が、唯の浮き上がる気持ちに重しをかけていた。

 亮は自分の努力で勝ち取ったのであって、あの有名監督の息子という肩書なんて必要ないはずだ。なぜ、わざわざそんな情報を付け足すのだろうか。

 キラキラした目で綺麗な声で紹介している女性アナウンサーを睨む。やけにキラキラして見えるのは、アイドルからアナウンサーに転身したせいなのかともやもやしながら、どうでもいいことが浮かんでくる。別にこの人が悪いわけじゃない。けれど、やたらと重たいこの感情をどこでもいいからぶつけたくて仕方がなくて、思い切りその女子アナを睨んでやった。だが、テレビの画面に跳ね返されて、返り討ちにあったように更に暗いところに落ちていく。


 そんな唯のことなどお構い無しにテレビの向こう側の女子アナは満面の笑みで続けていた。

「しかも、彼とってもカッコいいんですよ!」

 そんな情報もっといらない。燻っていた煙に火が付きそうになる。なぜか湧き上がってくる怒り。どうしてそんな感情を抱くのかわからないなまま、唯はテレビの電源を切っていた。


 それから亮の周りはどんどん騒がしくなり、今までのような時間は失われていった。亮に電話をしても、立て込んでいると出られないことも多くなり、連絡が来ることも極端に減っていった。

 でも、それはうまくいっている証拠だと喜んでいたつもりだった。けれど、あまりの周囲の騒がしさに唯は戸惑いを隠せなかった。

 雑誌に、新聞、SNS……至る処で名前や顔を見る度に、本当にそれは私の知っていた亮なのかよくわからなくなりそうになる。


 そんな矢先。

 亮がとうとう修行を終えて日本に帰ってくる。それを知ったのは、亮からではなく、大学の講義室で友達が持っていた雑誌からだった。

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