ボッチばあさん

イネ

ボッチばあさんと牛の声

 ボッチばあさんは心の病気。子供の頃にいじめられたせいで、すっかり人間嫌いになってしまったのです。

 それだから、町からだいぶ離れた丘の上に小さな家を建てて、一人きりで暮らしています。さみしくなんてありません。ボッチばあさんは一人が好きなのです。

 苦手なのは、人間が訪ねてくること。

 家の窓を誰かがコンコンと叩いただけで、ボッチばあさんは大慌て。「ひゃあ!」と小さく叫んで、冷蔵庫のかげに隠れてしまいます。冷蔵庫でなくたって、布団をかぶったり、押し入れに逃げ込んでもよいのです。

 けれどもまあ、昼のあいだ台所仕事でもしていると、冷蔵庫がいつでもいちばんそばにありますから。


 ある日、ボッチばあさんは町へ行ってたくさん食糧を買ってきました。

 外へ出るたびにいろんな人にあいさつするのが面倒だから、一度にたくさん買ってきて冷蔵庫にぎゅうぎゅう詰めておくのです。

「さあ、これで安心」

 ところがその日の夕方でした。

 誰もいないはずの家の中で、

「んもぉ~、んもぉ~、もぉ~」

 というおかしな声がしました。

「あれ、牛の声だよ。わたしの家の中に牛がいるよ」

 おどろいてあちこち見渡しますが、ボッチばあさんの小さな家に、牛なんているはずがありません。

「はて、こんな夕暮れに誰かが牛を連れて、丘を登って行っただろうか」

 ボッチばあさんの家の裏には、夏の間、農場の人が牛を連れてきて放し飼いにする野山がありました。けれどももう秋も深まると、牧草もすっかり枯れてしまいますし、牛たちも丘を下りて、今頃は町の牛舎で飼われているはずなのです。

「気のせいだろうね。牛なんているはずがないんだもの」


 ところが翌朝もまた同じ事がありました。

「もぉ~、んもぉ~」

 ボッチばあさんは恐る恐る外へ出て、裏の野山を見上げ、辺りを見渡して、丘から町へと続く一本道を見下ろしました。

 牛の姿はどこにもありません。

「おかしいね。おや、あれは誰だろう」

 代わりにこちらへ向かって手をふっているのは、丘を下りきったところに住んでいる、おしゃべり好きのペチャばあさんです。

 なにやら一生懸命に叫んでいるようですが、ペチャばあさんの言うことはいつも同じ。

「ボッチばあさん、お茶にしようよ。下りといでよ」

 じょうだんじゃない。

 ペチャばあさんのお茶会ときたら、知った顔や知らない顔が次々と現れるし、なによりペチャばあさん一人いるだけで、十人前もおしゃべりするのですからたまりません。

 ボッチばあさんは大声で叫び返します。

「わたしはお茶会なんてさわがしいものはまっぴら。一人で気楽にやりますよ。それより牛の姿を見かけなかったかしら」

 ところが二人ともおばあさんですから、目も悪いし、耳も遠いし、お互いなにを言っているのかさっぱりわかりません。

 ボッチばあさんが首をかしげて家の中へ戻りますと、またです。

「んもぉ~、んもぉ~」

 今度はたしかに、近くではっきりと聞こえました。

「やっぱり、わたしの家の中だよ。誰かがしのび込んで、いたずらでもしているんじゃないだろうか」

 そう考えると、ボッチばあさんはもう怖くて怖くて、いつものように冷蔵庫のかげに逃げ込みました。するとまたです。

「んもぉ~、んもぉ~、もぉ~ん」

 さっきよりもずっと近くで聞こえました。

「ああ、いやだ。こんなことになるなら、ペチャばあさんのお茶会を断らなけりゃよかった。泥棒に入られたって、わたしのことなんか誰も助けに来ちゃくれないよ」

 けれどももう、どうしようもありません。一人で気楽に生きるということはそういうことではありませんか。今さら泣きごとを言ったって腹がへるだけです。

「こんちくしょう!」

 ボッチばあさんは覚悟を決めて飛び出しました。

「誰だい、牛の鳴き声なんて真似て! とっちめてやるから出ておいでよ!」

 そうして勢いよく冷蔵庫の頭を、

「ごつん!」

 と殴って見せたのです。

 するとどうでしょう。

「もぅぅ、もぅぅ、う、う、うぇ~ん」

 いかにも痛そうに、悲しそうな声で泣き出したのは、牛でも、泥棒でもなくて、なんとボッチばあさんの冷蔵庫。

「おや、なんだってわたしの冷蔵庫が泣くのさ」

「もぅぅ、もぅぅ、もっもっもっもっ」

 ボッチばあさんがあんまり食べ物を詰め込んだせいで、冷蔵庫はついに壊れてしまったのです。

「やれやれ」

 ボッチばあさんは、かわいそうな冷蔵庫の頭を何度かなでてやると、中から大量の食材を引っぱり出しました。

「しばらくペチャばあさんちの冷蔵庫を使わせてもらわなくっちゃ。お茶会に付き合わされるだろうねえ」

 そうして、鶏肉やら魚の切り身やら豆腐やら、好物のだんごやらをみんな風呂敷で背負って、しぶしぶ、ペチャばあさんの家へと出掛けて行きました。



【ボッチばあさんと牛の声・完】


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