目覚めた女神は勇者の力で国を救う
海果
プロローグ
「おい!俺たちをどこに連れて行く気だ!!」
「仕事を紹介してくれるんじゃないのかよ!!」
先日十歳を迎えたばかりの双子の少年ノエルとシエルは、勢いよく走る馬車の荷台から馬を操る雇い主の男に向かって声を荒らげる。
「あぁ、もちろん紹介するとも。だが、この国でとは一言も言ってないだろう」
男は口の端をわずかに上げながら言った。
そこでようやく騙されてしまったことに気づいた二人は、互いに顔を見合わせた。馬二頭の力で走っている馬車はかなりのスピードが出ており、仮に飛び降りでもしたらタダでは済まないだろう。運良く上手く受身を取れたとしても、大人と子供の体格差ではあっという間に捕まってしまうのがオチだ。
「シエル……まずはちゃんと生き延びることだけを考えよう。働いて金を貯めれば、タイミングを見計らって逃げ出すことも出来るはずだ」
「そうだね……。父さんと母さんには心配をかけちゃうけど……」
「大丈夫。生きてさえいれば必ずまた会えるから」
二人は声を潜めて互いを励まし合う。山道を勢いよく走る馬車の上では車輪の回る音でほとんど声はかき消されてしまい、二人の会話が男の耳に届くことは無かった。
王都ははるか遠くへ過ぎ去り、馬車は森の中をひたすら駆け抜けていた。とっくに時間と距離の感覚が分からなくなってしまっている二人は、互いに身を寄せ合ってその不安を和らげようとしていた。
そんな時、シエルはさっきまでは無かった異音に気が付いてはっと顔を上げる。
「どうした?」
シエルの様子の変化にノエルはすぐに反応する。
「……右の方、車輪の音がなんか変だ」
シエルが指さした方へ耳を傾ける。微かにだが、車輪が回る度に何かが引っかかる様な音が聞こえた。
「本当だ。スピードに車輪が耐えきれてないのかも。離れておいた方がいい」
シエルは頷くと、荷台の左後方へそっと移動した。
しばらく経つと、その異音はだんだん酷くなって来た。いつこの馬車が壊れてしまうかと思うと、二人は気が気じゃない。荷台の中のわずかな出っ張りを見つけて、指先が白くなるほどに強く握りしめる。
いつの間にか外は日が落ち、冷たい風が吹き荒ぶ。木々の間を抜ける風の音が怪しい鳴き声のように聞こえた。馬車の操縦席に付けられたランプの灯りだけでは明らかに心許なく、それが余計に男の心を焦らせてさらに馬の速度を上げた。
すると一際強い横風に、一瞬馬車が煽られて傾く。突然の風はすぐに止み、馬車が再び真っ直ぐになった瞬間にガッと言う激しい音を立てて車輪が上手く回らなくなる。それは、シエルが気付いた異音のする車輪だった。完全にバランスを崩してしまった馬車はグラグラと蛇行する。男はどうにか舵をきろうとするが、音に驚いた馬が暴れて上手く進行方向へ進んでくれない。そして、完全に操縦が不可能となってしまった馬車は大きく横へ傾いた。それに拍車をかけるように、上手く動かない車輪がなにかに引っかかり、馬車は呆気なく横転してしまった。
荷台に乗っていた二人は、その小さな手で自分の体を支え切る事が出来ず、外へと放り出されてしまった。
「ぐっ……」
「っ……!」
地面に打ち付けられてしまったが、幸いにも馬車の蛇行によってスピードはかなり落ちており、激しく衝突することは免れた。
「シエル……大丈夫か……?」
ノエルはよろよろと体を起こすと弟の姿を探した。
「うん……。なんとか……」
二人ともあちこちに体の痛みを感じながらもどうにか立ち上がった。横転した馬車は、ランプのオイルが漏れて古い木造の荷台に真っ赤な火を灯していた。操縦していた男は、木の根元に頭を付けた姿勢で横たわっている。
「……あいつがいつ起きてくるか分からない。すぐにここを離れなきゃ」
「でも……どっちに行けばいいの?こんな場所知らないし……」
不安げな顔をするシエルに、ノエルは道端に落ちていた枝を集めて火を灯す。
「とりあえず、この山道に沿って行くしかないな……」
多少踏み慣らされた跡が見える、道とも言えないようなかなり荒れた足元を照らし出す。
二人が歩き始めると、さっきまで漆黒の様な暗さだった森の中にわずかに光が刺した。雲に覆われていた月が顔を出し始めたのだ。その明るさは、二人の心を僅かにほっとさせると同時に、周囲に限りなく広がる木々が顕になり先の長さを感じさせた。
長時間の移動と常に周囲へ気を張り巡らせているせいで、二人は心身ともに疲弊していた。前を見つめる瞳はだんだん虚ろになり、踏み出す足も上がらなくなり引きずるようになって来た。だから、二人はすぐ側に人影があることに気が付くことが出来なかった。
「君たち、こんな森の中で何をしているんだ?」
自分たち以外の声が聞こえ、二人は飛び上がって身を隠そうとする。
「ちょっと待って!森の中へ無闇に入り込んではいけない!君たちが攻撃してこないのなら、僕が何かすることは無いと誓おう」
そう言って木陰から姿を現したのは、メガネをかけた物腰の柔らかそうな男だった。身なりの良い服に、上から寒さを凌ぐためのローブをまとっている。手にはランプ以外何も持っておらず、それを証明するかのようにポケットも全て外へひっくり返した。
「そこから一歩もこちらに近付くな。来たら敵とみなす」
ノエルは足が震えそうになるのを我慢して、威勢だけでもよく見えるように声を張る。
「分かった。それじゃあこの距離で話そう。さっきの質問には答えてくれるかい?」
男の声に、ノエルとシエルは顔を見合わせる。
「とりあえず、当たり障りないことを言って様子を
見た方がいい」
シエルの言葉に頷いたノエルは、再び男の方へと顔を向けた。
「俺たちは王都に戻るところだ」
「王都?通行許可証は持っているのかい?」
聞き馴染みの無い言葉に、二人はどう言葉を返そうか迷う。
「王都の警備強化の為に、去年から許可証を持っていないと外から王都へ入ることが出来なくなったんだ」
「なんだよそれ!?じゃあ……出たかった訳でもないのに出てしまった俺たちはどうすればいいんだよ……」
「ということは、君たちは最近よく聞く子供の密売事件に巻き込まれたというわけか?」
「……そんな話、初めて聞いた。でも、多分そうだと思う。仕事をくれるって言うから馬車に乗ったら、いつの間にか王都から出てたんだ」
いつの間にか自分達の境遇を語ってしまっていたが、頷きながら話を聞いてくれるこの男は信用できるのではないかと言う思いが二人の中に芽生えつつあった。
「じゃあ、森の奥の火事については君たちでは無いのか?」
「うーん……。俺たちが乗ってた馬車が横転して、ランプの火が燃え移ったんだ。だから、関係ないとは言えないけど……」
「そういう事だったのか。じゃあ安心した。本当はその犯人を捕まえるつもりで出てきたんだが、今は君たちの方が先だな。私の屋敷に来なさい。大したもてなしは出来ないが、あてもなく歩くよりはいいだろう」
男の言葉に、二人はすぐに足を踏み出すことが出来なかった。数時間前に大人に騙されたばかりで、また違う大人にのこのこ付いて行くことなど出来るはずがない。
「私には君たちくらいの歳の娘がいるんだ。大切な一人娘なんだが、こんな森に囲まれた場所では友達もろくに出来ない。どうか、遊び相手になってくれないか?」
優しい微笑みを浮かべて言うその言葉は嘘には見えなかった。二人の心が揺れ動き出したところで、再び男が口を開く。
「私は、小さいがこのグルタミオ領の領主をしている。もう少しで王都で働くことが出来るようになるんだ。だから、その時には君たちを王都へ一緒に連れて行こう。それでどうだい?」
二人は顔を見合わせる。まだどこか葛藤しているノエルに、シエルは真っ直ぐな瞳で力強く頷くと、男に再び向き直る。
「分かった……。いや、ありがとう」
「うん。それじゃあ行こうか。おや?君たちは双子だったんだね」
木の影から姿を現した二人を見て、男は少しだけ驚いた顔を見せた。だが、すぐにまた柔らかな微笑みを浮かべる。
こんなふうに無条件に自分たちのことを受け入れられたことは未だかつて無かった。王都に住んでるとはいえ、貧しい家に生まれた二人は、こうして働くことができる歳になるまで穀潰しと言われながら育ってきたのだ。
それも全て環境のせいなのだと、月に一度訪れていた教会の先生に言われてどうにか耐え抜いてきた。
働き手と認められる歳になり、家にお金を持ち帰ると親の態度は一変した。本来ならあってはならない事だが、ずっと怒鳴られていた親から笑顔を向けられると、そのためにもっと頑張ろうと思えるほどには愛情に飢えていた。
二人が屋敷にたどり着くころには、空は薄らと白みがかっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます