降臨

「なるほど──信仰を捧げる時間だ」


 なにかを察したかのように、いつの間にか服を脱いでいたキーラン。その脱衣速度は、この場にいる誰もがその過程を認識することが叶わなかったほど。

 そしてその事実を認識した瞬間──キーランと対峙していた壮年の男は、軽薄な笑みを浮かべたまま冷や汗をかいていた。


(……まるで見切れなかったぜ。なんだァ、どうなってやがる。俺ァさっきまではこの男の攻撃を見えていたはずだろォが。だってのに、服を脱いだ瞬間は見えなかった、だァ?)


 常識的に考えて、攻撃を放つ速度を上げる訓練は積んでも、服を脱ぐ速度を上げる訓練を積むことはない。仮にあったとしても、その比重は確実に前者に傾く。服を脱ぐことに命を懸けているなんて莫迦な話があれば分からないが、そんなことは普通あり得ないだろう。故に、攻撃を見切れて脱衣を見切れないなんて事態は、道理に反しているのだ。


 もしも、もしもそんな事態があり得るとすれば。


(オイオイオイオイ。もしかすると──)


 もしもそんな事態があり得るとすれば、それは攻撃を加減していたからに他ならない。


(け、けけけ……)


 手加減されていたのか自分たちは、と思わず壮年の男は一歩退いていた。


 暗器を扱った戦闘を得意とする男が、服を脱ぐという明らかに目立つ動作すら、他者に察知させない次元にまで練り上げているという事実。その事実を、軽く受け止めるなんて不可能だ。それはつまり、本気の攻撃はそれ脱衣以上に目視不可能であることを暗に示しているのだから。


(脱衣ってのは、人間が無防備になる動作のひとつだ。そのひとつでさえ、一切の隙を作らねえだと……? んなもん、流石の人類最強でも不可能だろォが……)


 しかもこちらは戦闘中ということで、敵の一挙一動を見逃さないように神経を集中させた状態だったのだ。日常のふとした合間などではなく、正真正銘の極限状態。

 その状態の敵を前に服を脱ぎ、あまつさえ言葉を発するまでそれを悟らせないなどという絶技。それは仮にスナイパーが彼を狙っていても、着替えの瞬間を悟らせずそれを終えることができることを意味している。


 ──つまり彼を殺す絶好の機会を、スナイパーは永久に見切れないということだ。


(オイオイオイオイこいつァ……)


 マズイな、と壮年の男の脳裏に"撤退"の二文字が浮かぶ。最も見切りやすい動作すら見切れないのであれば、もはや一方的にこちらが屠られるだけ。戦闘の領域に立つことすら、こちらには許されていない。


「けけ……ハズレを引いちまったか」


 間違いなく、キーランは手心を加えていた。それは先の脱衣速度からして決定的に明らかであり、なればこそ引き際を間違えてはならない。


 なぜなら──死んでさえいなければ、それは決定的な敗北ではないからだ。


(結局のところ、最後まで生き残った奴が勝者なんだわ。死んじまったら意味がねえ。俺の目的を考えたらマヌスはちょうど良かったが……まあ、仕方ねえな。寿命まで生き残ることを考えて動くかね。けけ……)


 チラリ、と壮年の男は横に視線を向ける。

 そこには、半裸のキーランを見て「どういうことだ?」と困惑している様子の共闘者の姿が。


(チッ、バカが。今の脱衣で戦力差も測れねえのかこいつァ……。戦場で困惑を続けてる時点で、オメェは三下なんだわ……)


 敵の脱衣を見て困惑するなど戦場であり得ないことだ、と壮年の男は吐き捨てる。そもそも敵が脱衣をする状況が戦場ではあり得ないのだが、壮年の男がそこに気づくことはなかった。彼は錯乱状態なのかもしれない。


(今の脱衣で分かっただろォが、俺たちじゃこの兄ちゃんには絶対に勝てねえってよ。それくらいさっさと把握しろ。そんなんだから大陸最強格なんて呼ばれる連中がマヌス以外からも出てくるんだろォが。大陸最強格なら、こんな状況でも取り乱さねえよ)


 おそらく大陸最強格だろうと困惑する状況なのだが、壮年の男がそこに気づくことはなかった。


(チッ、それにしてもこれからこの兄ちゃんはなにをする気だ? 暗器を扱う人間が、服を脱いでそれでおしまいなんてお優しい訳がねえ。……こちらの油断を誘うための布石か? 服がなけりゃ、暗器なんてねェように見えるからなァ……)


 丸腰のキーランは、一見すれば取れる手段が皆無に見える。だが、その無は果たして零を意味しているのだろうか。あえてオープンになることで、こちらが悟れない"何か"を伏せた可能性は無いのだろうか。そのことを考慮し始めると、もはや目の前の存在は無限の可能性を秘めているといっても過言ではないのではないだろうか。


 ──と。


「……」


 突如、キーランが片膝を突く。

 その静謐さは神秘的というほかなく、思わず呆気に取られた壮年の男は──


「……ッッッ!!?」


 突如身体を襲った重圧に、耐えきれずに膝を屈していた。


(な、んだこりゃア……!?)


 ミシミシ、と骨が軋む。少しずつだが、体が大地にめり込んでいく。直立した状態でいたから、このような無様を──


(……っ! まさかこいつ、これを察知して膝を事前に突いていたってのか……!?)


 戦慄したかのように、壮年の男性はキーランを見た。

 片膝を突いて悠然としたその姿は、なんとなく事前に全てを悟って備えていたように見えなくもない。


(……けけ、危機管理能力で俺が劣ったってか。けけけ………舐めんじゃねェ!)


 押し潰されそうな肉体に喝を込め、壮年の男は情報を必死に収集しようとして、


(な──)


 遠くで激突する莫大なエネルギー。

 天空より落下せし蒼炎。

 天空を支えんとする光の壁と、光すら呑み込む重力場。

 噴火、雨嵐、暴風といった風に目まぐるしく変化する空間。

 まるで世界の終わりを連想させるかのようなそれらの光景に、壮年の男は絶句していた。


「ジル様……」


 そしてそれらを背景に、竦むことなく平然と祈りを捧げているキーラン。

 天変地異を背景に祈りを捧げるその姿は、まさに──


 ◆◆◆


 勝負が決まるのは一瞬だな、と大地を縦横無尽に駆け巡りながらヘクターは眼を細めた。


 今のところ、この身に大きな傷はない。

 全身を切り刻まれ、様々な箇所から血こそ流れているが、決してどれも致命傷ではないのだ。


 されど敵の攻撃を見切るのは不可能で、いつどこで斬られたのかすらも分からない。斬られた直後にカウンターのような形で攻撃しようにも、テールム自身はその場から動いていないからこちらの攻撃は空を切ってしまう。互いに攻撃が当たらない距離間を保っているのに、何故か一方的に攻撃を当てられるという悪夢のような状況。


(原因不明の攻撃だが、もうジリ貧だ。飛び込むしかねえ)


 何もかもが不明な現状。しかし、確実に分かっていることもある。

 それは。


(あの構え。テールムがあの構えをとった後に、俺は斬られている)


 だから構えた瞬間の硬直状態を隙と判断し、その瞬間に接近して本気で殴り飛ばす。それが必勝方法──だが、それを躊躇する理由も当然ながら存在していた。


(近くに飛び込んだら、この程度の傷じゃすまねえんじゃねえか?)


 体感だが、テールムから離れていればこの身に刻まれる傷は非常に浅く済む。それこそ、服が斬られているだけで終わっているときもあったくらいだ。

 つまり、テールムとの距離が遠ければ遠いほどダメージは少なくて済み、一方で距離が近ければ近いほど致命傷を負うリスクが高くなるということだ。

 

(なによりも、だ)


 普通に近くに飛び込んだところで、あの謎の斬撃とは関係なく普通に斬られるのではないか、という予感もある。

 なにせ、テールムはあの謎の斬撃があるから強いのではない。純粋な白兵戦でも、テールムは大陸において有数の実力者なのだ。


(けどまあ、好きなタイミングで自由自在になんでもかんでも斬れる剣技って訳じゃねえのは確実だ。もしそうなら、とっくにこの首は落ちてる。そうなってねえのは、テールムとの距離の問題なのか……それとも)


 思考を巡らせながら、ヘクターは算段を整える。考えれば考えるほど凶悪な剣技を前に、しかし彼は壮絶な笑みを浮かべた。


(何度考えても答えは変わらねえ。あの構えが唯一の隙にして、テールムの攻撃の鍵だ。そこを突く以外に、俺から出せる有効打はねえ)


 とはいえあの構えをフェイントとして見せて、こちらが飛び込んだ隙を突き、普通の斬撃をもって胸元一閃で斬り捨てるという戦法──それを用意している可能性は、十分あり得る。あの独特の構えをとった=謎の遠距離斬撃を放たなければならないかどうかなんて、現状では未だ不明なのだから。


(……ハッ。おもしれえ)


 ゾクゾク、とヘクターの心が踊った。

 自分の修行相手である老執事以上の実力者、それが目の前の剣士だ。

 この戦いをずっと続けていれば更なる高みに至れるかもしれないと思って──戦士として、その考えは相手への侮辱だと即座に切り捨てる。


(ここまでの相手は早々にいねえよな、本当……)


 少し保身的になりすぎていたかもしれない、とヘクターは己の行動を恥じた。これほどまでの傑物を前に、なにを臆病になっているのだと。


 自分がなすべきことは、自分が自分である以上は決まっている。


(なら覚悟、決めるかね)


 獰猛な笑みを浮かべて、ヘクターは構えをとった。






 テールムの実力は、マヌスが擁する精鋭部隊『蠱毒』の中でも頭ひとつ抜けている。


 なにせ、他の面々は人類最強を相手に挑んだ結果「あれなら俺でもいずれ勝てるな」と思われるくらいに加減されているのに対して、テールムの場合は「気がついたら病室にいる」ほどに人類最強の実力を引き出しているのである。


 ヘクターやキーランと同様、彼は大陸最強格の領域に足を踏み入れている。今この瞬間でも、彼は進化し続けているのだ。

 

(……来るか)


 その彼は、ヘクターが纏う空気の変化から彼が仕掛けてくることを察知した。


(この剣技は、剣を放った瞬間から振り抜くまでの過程ごと対象を斬る。故に、吾とお前が生きる世界は異なるものとなり、お前はその身を斬られるまでなにも認識できない……)


 簡単にまとめてしまうと、テールムは剣を振り下ろすまでの時間軸を切り取っているようなものである。空間を切断するレイラに対して、時間を切断するテールムといったところか。もちろん、厳密には時間を切断しているわけではないのだが。


(……とはいえ、弱点はある。あまりに敵が遠すぎれば、剣を振り下ろしきるまでに敵を斬って元の位置に戻れんという単純すぎる弱点がな)


 まあいずれは射程を伸ばしてみせるが、とテールムは内心で笑みをこぼした。この秘剣を実戦で使うのは初めてで、だからこそ多くの改善点が思い浮かんでくる。


 相手に見えない。相手に悟らせない。相手との一定の距離は無視できる。相手が斬られたと認識する寸前には相手を斬っていて、斬った直後の隙も相手から狙わせない。全てを一方的に斬り伏せる。そんな剣技を目指していたら、いつのまにか因果のようなものを断ち切っていた。


 これまではこの剣技を用いて、人類最強や騎士団長といった人類の頂点と称される連中を斬ることだけを考えていたが──世界は広いらしい。ならば次は、なにを目指そうか。


(……良い。悪くない。とても良い)


 正直、これほどの高揚感を抱いたのは初めだった。

 願わくば、永遠にこの戦いを続けたいと思う。

 けれどそれは叶わない。何故なら──


(お前を倒すのは、この吾だ)


 そう内心で結論付けて、敬意を表するに値する敵を前に、テールムは構えをとった。


「──!」


 そしてテールムが構えをとった瞬間に、ヘクターが大地を蹴る。構えをとってから技が放たれるまでのタイムラグ、そこを突くという単純にして明快な一手。


(狙いは悪くない。……だが)


 当然ながら、ヘクターの作戦はテールムにもお見通しだ。この技と相対した者が考案するであろう最適解のひとつくらい、事前に把握していて当然なのだから。


(その距離なら、攻撃手段を変えるまでもない。吾の方が速い──)


 なによりこの距離なら、首を落とせる。

 そう判断したテールムは剣を放とうとして、


(──!)


 剣を放つほんの数瞬前。

 それこそ0.1秒あるかないかのタイミングで、ヘクターは突如として少しだけ真逆の方向に動きを転換。急激に力の向きを変えた反動でダメージを受けたのか、ヘクターはその顔をしかめている。


 ある意味自爆行為とも言える行動。

 しかし、テールムにとって有効な手ではあった。


(この、タイミングでは、攻撃手段を変えられない剣技を止められない──!)

 

 テールムの思惑をよそに究極の剣技は放たれ、因果が断ち切られる。


 斬撃を放つ過程が消失し、斬撃が放たれたという結果だけが世界に反映された。


 切断された過程の間にテールムは元の位置に戻り、そして過程が終わった瞬間にヘクターの左肩から血が噴出。

 確実に、ヘクターの左腕は使い物にならなくなった。肩に力が入らない以上、左手からの攻撃で注意すべきは拳の爆発のみ。打撃系の攻撃は、一切有効打になり得ない。


 だが、


「こ、こだろォォォォオオオオ──ッッッ!!」

「──ッッッ!!」


 だが、距離が良くない。

 こちらが首を落とせないギリギリの距離だけ方向転換した事実。完全にこちらの技の距離を見切られていた事実に驚嘆した結果、テールムの身動きが暫く停止してしまったのも、致命的な隙を作る要因だった。


(いや、吾が硬直せずとも、この男は──)


 ──この男は、再度吾に秘剣の構えをとらせないような距離にはいた。つまり、ここまで全て計算通り……!!


(……だが!!)


 まだだ、とテールムは普通に剣を構えた。

 ヘクターの動きは直線的。ならば、カウンターで切り捨てればいい。左腕が使えない以上、奴から放たれるのは右手か両足による攻撃だ。フックやアッパーは当たらない距離である以上、拳の軌道もある程度は予測できる。ならばそこを注視して──


(なん、だと……)


 注視して──ヘクターの右の拳が、自分ではなく地面に向かって突き刺さり、爆発した光景に再び思考が硬直する。大地が捲れ上がり、砂塵がテールムの視界を完全に潰した。


(この、極限状態! 吾の秘剣に対処すべく片腕を犠牲にし、結果として吾に致命的な隙を作り、そこを突ける全速を疾走しておきながら、それすらもフェイントだっただと──!?)


 それは果たして、どれほどの胆力なのか。


 敵の必殺を、身を削りながら攻略して。

 

 その後に生まれる隙を突くための動作までもが、完全にフェイクで。


(……なるほど)


 スローモーションと化した世界。

 後ろに振り向きながら、テールムは剣を振るって──


「楽しかったぜ! テールムゥゥウウウウウウ!!」


 そんな己の悪あがき程度が、ヘクター得難い強敵に通じるはずもなく、


(……これが、齢一桁の頃からこれまで死線を潜り続けた傭兵か……)


 体重の乗ったヘクターの拳がテールムの顔面に突き刺さり、テールムの体が、後方へ大きく吹き飛んだ。


 








「……やっぱ、強えな」


 ポツリ、とヘクターが言葉を発する。

 その顔には笑みが張り付いていて、血を流しながらもどこか楽しげだった。


「……それはこちらのセリフだ、ヘクター」


 そんな彼の視線の先。

 そこで、テールムが剣を地面に突きながらゆっくりと起き上がる。鼻の骨は折れたのか、剣を持っていない方の手で無理やり形を整えていた。


「顎の骨は砕け、鼻の骨も同様だ。正直、片目もほとんど見えていない。この吾が、ここまで傷を負うとはな……」

「完全に顔面をぶっ壊すつもりで殴ったんだがな……あの瞬間、強引に後ろに跳んだってのか。剣を振るために前重心だったろ。どうやって、あんな過敏に後ろに跳んだんだよ……」

「さてな。だが重要なのは、吾もお前も生きているということだけだ」

「ハッ。違いねえ。まあ後ろに跳んで受け流したにしても、それだけで済むとは頑丈だなオイ」

「ふむ。なんとなくだが、吾は日常的に頭を殴られている気がする。それにより、吾の耐久度が高いのだろう」

「……なんだよそれ。実は虐められてんじゃねえの?」

「フッ、さてな。……それよりもさあ、続きをしよう。ヘクター」

「当たり前だろ。決着は──付けねえとなあ! テールム!」


 ヘクターが大地を蹴り、テールムが自らの背後に盾を展開しながら構えをとった。まさにその瞬間──


「……!」

「!」


 ──横薙ぎに彼らを襲った衝撃波によって、彼らの体は景色ごと吹き飛んだ。


 ◆◆◆


 人類最強は、全人類の頂点に立っていなければならない。あらゆる面において、彼に敗北は許されない。なればこそ、彼は人類の総体足りえる。あらゆる人間の上位互換として成立可能な能力を有していれば、極論、彼は一人で人類として成立するのだから。


 故に彼は一にして全。どこまでも最強の個体でありながら、同時に究極的な総体でもある。

 個でありながら総てを担う能力を有してしまう彼は、間違いなく人類最強と呼ばれるに相応しい人間だった。


 だからこそ、


「……」


 だからこそ、全人類の総結晶とでも呼ぶべき己の"必殺"に拮抗する男──ジルを見て、人類最強はその眼を薄く見開いていた。


 

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