この世は実験場

 大陸最強国家マヌスが誇る超精鋭部隊『蠱毒』の二人に相対するのは、現世と隔絶した空間に居を構える教会勢力の最高戦力『熾天』の一角を担う少女──ソフィア。


 ジルが『神々の黄昏ラグナロク』と呼ぶ物語。

 その物語において、決して交わることがなかった勢力同士のぶつかり合い。


 とある世界線原作では、絶対にあり得ない事態。完全なるイレギュラー。歴史的瞬間とでもいうべきその一幕は、されど順当すぎる展開を見せていた。


「速──」


 巨漢が苦々しくなにかを呟こうとした瞬間に、その肉体は宙を舞う。そして数瞬前まで巨漢がいた場所に佇むのは、神聖な雰囲気を纏いし銀髪の少女。


「なにが──」


 突然吹き飛んだ同僚を見て、目を見開く少年。その少年の体もまた、次の瞬間には凄まじい速度で吹き飛び、轟音を立てて外壁に埋まっていた。血の塊を口から吐き出し、ゆっくりと少年は地面に崩れ落ちる。


 静寂が周囲を包み込み、砂煙が風と共に舞った。


「……」


 銀髪の少女──ソフィアは『熾天』最速の存在だ。

 その速度は大陸に降り立つことで弱体化した状態でなお、大陸の中でも群を抜いているほど。スフラメル戦では弱体化した状態における己の感覚が掴めずにぎこちない部分があったが、今では問題ない。


 相対した『蠱毒』の二人からすれば、ソフィアは瞬間移動したように見えるだろう。『蠱毒』が彼女に速度勝負で挑むならば、『神の秘宝』を使用した『人類最強』か、結果だけを叩き出す剣技を披露するテールム以外に務まらない。


「……今ので意識を断つつもりでいましたが」


 彼女は槍を振るって血を払い、そのまま油断なく眼を細めた。


「……まだだ」

「舐めてんじゃ、ねえよ……」

「……なるほど、『地の術式』というものですか」


 少年の周囲を、ドクドクと脈動する血の渦が漂う。


 巨漢の肉体を、白い繭のようなものが覆っていた。


(神々の法である『天の術式』と、人の理である魔術とやらが混ざっているようですね。というより、人の理で使えるように調整を……? 肉体そのものを術へと変換することで、強引に織り交ぜて使用している。軽率に使っていますが、肉体への負担は大きいと見ました。一定以上の力量がなければ、間違いなく自壊する)


 どことなく異質なそれらを見やりながら、ソフィアは言う。

 

「私は、神よりこの場を任されています」

 

 それが全てだった。


 弱体化したソフィアだが、彼女は現在敬愛するジルによる命で、この場に立っている。その事実を前にすれば、今現在の彼女が発揮できる実力はうかがい知れるだろう。


 確かに『蠱毒』は強い。

 大陸において、彼らと戦闘の領域に立てる存在は一握りというしかないくらいに。


「あなた方が何をもってこの場に立っているのかは知りません。何を背負っているのかも、把握していない」


 だが、『熾天』はそれよりも強い。


 弱体化しているとはいえ、本来であれば邪神という存在を相手にしても戦闘可能な少女と戦うという事実を、これより彼らは身をもって理解することになる。


「戦争において、言葉は不要でしょう。──来るがいい」


 拮抗する戦場が多いこの戦争において、唯一戦闘が成立していない蹂躙が、始まった。


 ◆◆◆


 宙を舞うセオドアの腕を空中で眺めながら「やりますねー」と仮面の女は内心で僅かな感心を抱いていた。


(……私が触れる前に腕を飛ばしましたかー)


 迅速な判断。


 一瞬の迷いが生死を分ける状況において、この判断を下せる人間はそういないだろう。戦士ではないと見立てていたが、存外、その辺の覚悟は決まっている類であったようだと仮面の女は敵ながら賞賛を送る。


(一部でも触れれば一瞬という言葉ですら生温い速度で侵食し、対象を腐敗させ、消滅させる。これには人類最強氏でさえ、回避行動をとらざるを得ませんー)


 まあだから千日手なのだが、と内心で続ける。とはいえ人類最強は、なにか攻勢に出る気配が一切なかったのでなんとも言えない。


(『神の秘宝』は使わず、『地の術式』も使う気配がなかった。普通、少しは試行錯誤するもんだと思うんですけどねー)


 彼にはまるで殺意がない。

 というかそもそも、戦闘意欲もない。


(はあ……本当に)


 あの人類最強は、もう少し己が人類最強という座に就いていることの自覚を持つべきだと更に愚痴る。謙虚といえば聞こえはいいかもしれないが、マヌスという国においてそれは舐められる要因を作るだけ。


『どれだけ高く見積もっても人類最強氏と同格でしょう』


 彼女の先のこの発言は、人類最強の実力を認めていなければ出てこない発言だ。壮年の男ほどにはないにしろ、彼女は人類最強を認めている。少なくとも『蠱毒』で最も強いのは彼だろうと。


(戦争が終わったら、一度話し合う必要がありますねほんと)


 実力はある。精神性も完成されている。けれど、彼はちょっと自己評価が過小にすぎる。発破を掛けるべく何度か挑発を交えて人類最強に挑んだが、しかし彼は困ったような表情を浮かべるだけなのである。


 だからこの戦争が終わったら、もう直接言ってやろう。それで覚醒してくれれば、それで良い。おそらく自分は『地の術式』を発動する間もなく殺されるだろうが、それでも別に構わない。それで彼が、本当の意味でマヌスの頂点に立つことができるのであれば。


 実力は高く、精神性も完成されている。だが、それでも彼は年下の男の子である。ならば先輩である自分が、彼の成長のきっかけとして礎になるべきだろう。


 マヌスは強者同士を殺し合わせることで、真なる最強の個を求める国。ならば、真なる最強である人類最強の踏み台になることこそマヌスの兵士の本懐である。自分が最強になれるなら他の全員を皆殺しにしていただろうが……その座は、彼に譲ろう。アレこそが、"人類最強"なのだから。


 そう決めて、彼女はとりあえず目の前の敵を殺すべく地面に着地──


りませんねー」


 ──しようとした瞬間に地面を突き破って現れた魔蛇の攻撃を、身をよじらせて回避する。


「延命治療になんの意味があるのやら。逃亡を図るなら理解できますが、その気はなさそうですねー」


 魔蛇が腐敗して消滅し、そして彼女は同じく大地に降り立った研究者に視線を送る。

 隻腕せきわんとなったその研究者は、先ほどまで浮かべていた笑みを絶やして視線を地面に送っている。


「よく分かりませんね。自ら片腕を飛ばすことで死を逃れた以上、自殺志願者ではない。では勝つ気があるのかと言われると、一度通用しなかった無駄な手段を使って力を消費する。悪あがき……というには必死さを感じられない。ならば逃亡するための一手かと思いきやその意気もないと」


 なにがしたいのやら、仮面の女は内心で訝しむ。

 これでも、目の前の研究者のことはそれなりに評価していた。戦士としては落第もいいところだが、その頭脳は間違いなく優秀。手札も多く、それを活用することでこちらの能力を探りもしていた。


 戦士ではない故に机上の空論に終わってこそいたが、それでも筋は悪くなかった。自らの腕を即座に落とす判断力と胆力も、


(もしかして血迷いましたか? ……ん、血?)


 ふと、仮面の女はセオドアの腕を見る。

 白衣は血に染まっておらず、それこそあいかわらず新品のように綺麗で──


「……」


 ゆっくりと、彼女は視線だけを落ちている腕に向ける。そこにも血痕などは見当たらない。


(義手?)


 その可能性に至った、まさにその時だった。


「──ああまさかとは思ったが、本当にそうなのか。こんなにも単純な仕組みだったとは。『地の術式』を特別視しすぎていたようだ。まあ、興味深いといえば興味深いのだがね……」

「……」


 やれやれ、と言わんばかりに嘆息するセオドア。彼のその姿を見て、仮面の女は言い知れぬ不安を抱いた。


(こういう時は……なにかをされる前に、速攻で終わらせるのが吉ですね──!)


 人智を超越した脚力をもって、彼女はセオドアへと突貫した。地面が陥没し、空気の波が周囲をぐ。

 そうしてセオドアの方へと手を突き出す仮面の女。触れる必要はないが、いち早く射程圏内に目の前の男を入れて殺す。そういった意図で彼女は地を駆け、そして──


「すでに、解析は完了している」


 ──そして、セオドアは腐敗しなかった。

 仮面の奥で、驚愕に目を剥く少女。そんな彼女の心境を知ってか知らずか、セオドアは魔法陣を展開しながら口を開く。


「キミを縛った魔蛇が腐敗したことで、私はもう一つの仮説を立てた。まあ、スペンサーという暗殺者の『地の術式』を知っていたからこその仮説だが……」


 魔法陣より現れし巨大な魔猪。勢いよく突貫したそれは腐敗することなく、仮面の女へと激突した。

 砂煙が舞い、大地が割れる音が周囲を伝播でんぱする。


「キミを構成する肉体、及びキミの纏う衣類。それら全てをキミは──というよりキミたちは、術式がもたらす『何か』そのものへと換装しているようだ。スペンサーが魂から肉体を再構築する際、半裸になっていなかったのはそれが理由だろう。……もしも半裸になるようだったら思わず殺していた。ああ、本当に、殺していたとも。キーランとスペンサーの半裸対決など、誰が見たいものか」


 直後、砂塵を裂くようにして魔猪がセオドアに向かって吹き飛んでくる。それを目の前に展開した魔法陣で収納しつつ、セオドアは軽くメガネを押し当てた。


 最後の方は額に青筋が立っていたが、それを知る者はいない。


「……とにかく、だ。キミたちは肉体を変化させる"異能"の持ち主。そしてキミの場合は……なんてことない、微生物への変化。まあ、無機物であろうと問答無用で腐敗させる特殊な微生物だが、腐敗する理由が微生物によるものでした……など、普通にすぎる。全く面白みがない」


 砂塵が晴れた先にて、無傷で君臨する仮面の女。しかし先ほどまでの余裕な空気はなく、どことなく焦燥感を纏っていた。


「キミに触れる前でも腐敗するのは、微生物を軽く周囲に飛ばしていたからだろう? 微生物ならば、目視はできないからね。任意で操作できるのは便利なのだろうが、操作可能範囲は限られていると……。タネを明かせば、なんてことはないものだった」


 意味がわからない、と仮面の女は歯噛みする。

 能力のタネが割れた。それは認めよう。悔しいが、目の前の男の言葉は間違っていない。自分の能力は肉体を微生物の集合体へと変換させ、それを自由に操る能力だ。


 細胞やそれより小さな単位すらもすべてが微生物であり、それを周囲に放つことで触れていないものも腐敗させることが可能。


「……だとしても」


 足元が腐敗していないのは、単純に若干浮いているからだ。本当に僅かであるが故に気付くのは不可能で、それが彼女の術の仕組みを解析するのを邪魔する役目も果たしていた。


 なるほど、認めよう。

 目の前の科学者は、こちらの"異能"を暴いたのだと。


「……だとしても、私の能力への対抗は不可能です。これは文字通り、全てを腐敗させる。それに対処するなど──」

「──なにを言うかと思えば。全てを腐敗させる? キミの目は節穴かな?」

「……」


 殺気を放つ仮面の女。

 それを見ながら、セオドアは笑う。

 笑って──


「少なくともキミ自身……正確にはキミを構成する肉体だが、それは腐敗していないじゃないか。つまりだ、キミの"異能"の例外はキミ自身ということになる。まあそれは当然だね、一応は微生物が腐敗させているのだから。なんらかの特殊な力ではなく、微生物という生命が、ね」


 ──それに言っただろう、解析したと。


 セオドアが更に笑みを深めた次の瞬間、彼の近くの草原が腐敗し、そして消滅する。


「……は?」


 呆気にとられる仮面の女。

 それもそのはずだ。なにせそれは、自分がさっきまで使っていた術の力に他ならなくて──


「私が専門としているのは生物の研究と、神代に関する研究だ」


 くつくつと笑いながら、セオドアは近くに落ちていた自分の腕を拾って、それを簡単に接合した。


「造作もないのだよ、この程度は。微生物だったのが運の尽き、と言っておこうか。これから私が召喚する魔獣は、その全てが腐敗する微生物への変換を可能にしている。ああ、全てを腐敗させてしまう不便なキミのそれとは少し異なるよ。改造させてもらったからね。生物の活性化や不活性化ができていないのは、キミのそれが未完成だからか、練度が足りないのか、単純に生物への理解不足か」

「え、あ、あえ……?」

「現実と実験場は違うと言ったが──残念ながら、私にとっては現実こそが実験場だ」


 目の前の男はなにを言っている。

 解析を完了してから、数分も経っていない。

 いやそもそも、どこでそんなものを作った。


「腕を飛ばしたのは何故だと思っている?」

「……」

「キミが腕から視線を逸らしていたのが問題だ。腕が自律的に動いていたのを把握していなかったのかね? 空気中に散布していた微生物を、回収しなかったとでも?」

「──」

「まあ、それなりに苦労したのだよ? なにせ、元々は全てを腐敗させる微生物なのだからね。いやまあ厳密には異なるだろう。微生物自身もそうだが──」


 絶句する仮面の女。

 もはや、解説が耳に入ってなどいなかった。

 セオドアはそれに笑うと、パンパンと手を叩いて。


「さて、これによりようやく戦闘として成立だ。さあ、華々しい戦争を始めようじゃないか。なに、キミは戦士だ。私程度、『地の術式』が使えなくとも倒せるとも」

「……ッッッ!」


 セオドアの背後から魔法陣が展開された瞬間──狼の遠吠えが、響いた。

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