第一部最凶集団『レーグル』の変態 Ⅱ

 結論から言おう。


 ステラでは『殺し屋』スペンサーには敵わない。確かにステラは十代前半にも関わらず超級魔術を修めた鬼才であり、大陸有数の強者だ。


 されど、『殺し屋』としてのスペンサーはその上をいく。


 ひとえに大陸有数の強者といっても、その括りの中でも格というものが存在するのだ。それこそレーグルは大陸有数の強者を集めた凶悪な犯罪者集団だが、キーランやヘクターは他の面々と格が異なっている。


 なにより、この閉鎖された空間はスペンサーの殺し屋としての武器が機能しやすい。広々としていないから糸で罠を張り巡らせやすく、糸による中距離攻撃の回避が困難で、ならばと身を潜めようにも潜める場所がない。


 単純な戦闘力だけでなく、地の利までもが『殺し屋』スペンサーにあるこの状況。故にステラでは『殺し屋』スペンサーには敵わない。


 ──『殺し屋』としてのスペンサーには。








 驟雨が如く降り注ぐは氷の礫。

 全身に叩きつけようと放たれたその一撃に、しかしスペンサーが回避行動をとることはなかった。


「無駄なり」


 スペンサーの肉体をすり抜けて、氷の礫が大地に突き刺さっていく。ガラス細工が砕け散るような音を背に、スペンサーの肉体にノイズが走った。


「汝では小生に──」

「勝てない? 頭が固いねー。さっき凍結させられたこと、もう忘れたのかな?」


 一瞬という言葉すら生温い速度で、スペンサーがステラの頭上に出現した。それはまさしく完全なる不意打ち──だがそれは先ほどと同様、頭部以外が凍結させられたことによって失敗に終わる。


「……その反応速度、どうなっているなりか」


 意味が分からないと言いたげな表情で呆気あっけにとられるスペンサー。

 そんな彼に向けて、ステラは掌を向けた。


「さてと──」

「!」


 スペンサーが保有する、魔術に関する知識はそう多くない。だが、それでもステラがなにかを行使しようとしていることだけは分かる。無詠唱で魔術を扱える術者の厄介な点は、詠唱から相手が使用する術を先読みすることが不可能な点だ。


 それこそ初見であれば、属性すら見抜くことができない。加えて、魔術というものは多様性に富んでいる。そんなものが向けられるというのは、対面している人間にとっては非常に精神的負荷がかかってしまうもの。


 故にスペンサーは、即座に回避を選択した。


「ちっ」


 スペンサーがその場から消える。残るのは、スペンサーを拘束していた氷だけ。されど先ほどと異なりスペンサーが消えることを予測していたステラによって、氷が大地に落下することはなかった。

 氷の塊はフヨフヨとステラの近くに移動して、ステラを守護するかのように展開される。


「キミのその術。禁術と同様の力で起動しているようだけど、禁術じゃないね」


 いつの間にか少し離れた場所に立っていたスペンサーを細目で眺めながら、ステラが口を開いた。


「基盤自体は禁術に近いけど、そこから先の仕組みそのものはどちらかというと普通の魔術に近い。というより、魔術を限りなく禁術に近づけたものかな? 禁術を扱えない人たちのために、魔術を昇華させた技術──いや、逆かな? 禁術を劣化させて、魔術に近づけた……それも少し違う気がするな。確か昔は魔術がなかったっていう歴史的資料があったはずだから、もしかすると近づけたというより……禁術の時代背景……」

「……」

「──もしかしてそれ、禁術から派生して生まれた魔術の起源だったりするんじゃない?」

「……」

「禁術は万人に扱えない。だから魔術という技術が生まれたって説があるんだよね。キミが持っている知識は、歴史的価値があるかもしれない」


 なんだこの末恐ろしい考察力を有する少女は、とスペンサーは顔には出さないが絶句する。

 たったこれだけの交錯で、この少女はそこまで見抜いたとでもいうのか。


「とりあえずホルマリン漬けにして、脳みそ解剖して知識だけでももらわないと──冗談! 冗談だからキーランくん! ボクに殺気飛ばさないでよ!」


 スペンサーは思考を巡らせる。

 卓越した魔術の技量に、"氷属性"というかの魔女の代名詞とでも呼ぶべき属性魔術。そしてなにより、即座にこちらの持つ力を看破した考察力とそれを可能とさせる知識量。

 間違いなく、目の前の少女は魔術大国出身の術師であり──おそらくは、氷の魔女の弟子。


(……珍生物を殺したところで、なんの自慢にもならないのであるが)


 かといって無視できる事態ではない、とスペンサーは結論を下す。あの魔術大国の人間を従えることができるなど、まるで意味が分からないからだ。

 突如服を脱ぐ変態と、魔術大国の珍生物。神を名乗る男は、一体なにを考えているのだとスペンサーは一周回って常人のような思考回路になっていた。


(……意味が分からないなり。変態を二人も保有してなんの意味があるのであるか。そんなもの、御し切れるはずがない)


 だがしかし、少なくとも半裸の変態は神を喝采していた。そしてその半裸の変態の意見を、珍生物は無碍にしていない。


(魔術大国の珍生物が他者の意見を聞くことなどまずあり得ないのである。つまり目の前のこれは例外。ならば例外足り得る理由があるはずなり)


 この二人の共通項から探ると、真っ先に変態という要素が浮き彫りになる。そして珍生物と半裸の変態であれば、半裸の変態の方が変態度は高いだろう。ならば、変態度が高い人間が偉いという図式が成り立つかもしれない。


(……)


 それが意味することはつまり──神を名乗る男は、度し難いほどの変態なのではないか?

 というよりそうでもないなら、半裸の変態と珍生物を側に置く理由がない。変態を周囲に配置するということは、配置する側もそれを許容できる変態ということに他ならないだろう。


(……)


 生まれて初めて、スペンサーは任務を放棄したくなっていた。


 ◆◆◆


「あの男、内心でジル様を愚弄したな。許し難い。教育が必要だ」

「……えっ。キーランくん人の心を読めるの?」

「心は読めん。だが、今のオレはジル様に対する最上の信仰を捧げ、なおかつジル様の神威全てを余すことなく、この身で受け止めている状態だ。つまり今のオレは、ジル様に関するあらゆる情報の受信が可能。であればジル様に向かう悪意を見抜くのは、もはや必然」

「ごめんボクにはまるで理解できない。そのつまりの使い方多分おかしいよ。どの辺がつまりなのかさっぱり分かんないから」


 相変わらず頭おかしいなキーランくんは、と思いつつステラは視線を前に向けた。


「まあ禁術かどうかは別として……」


 あの術の仕組みはどうなっているのかな、とステラは熟考する。


 こちらの攻撃をすり抜けてるとはいえ、それは絶対無敵という話ではない。何故なら向こうがこちらに対して物理的攻撃を行おうとしたタイミングでカウンターを放った際は、すり抜けることがないからだ。


 それに加えて、謎の移動方法。


 あれもはや速度の概念で考えるだけ無駄だな、とステラは結論を下す。あれは移動というより──転移に近いものだろう。


(転移は今後発展が進めばともかく、今の魔術じゃ観測及び再現不可能な技術とされているけど……アレが禁術もどきなら不思議じゃないかなー。禁術とは魔術で再現不可能な法則を再現可能にするもの、って説があるしねー)


 まあボクには転移後の位置が即座に分かるのが救いかな、と内心で零してステラは一度目を瞑る。瞑って、ゆっくりとその目を開いた。

 超然とした雰囲気を纏う彼女の周囲を魔力が迸り、彼女の周囲が凍てつき始める。


(うん、やっぱりそうだね。あの下手くそが使ってる術を起動させている力は、ボクが使う『加護』の力に酷似している。もしかすると今のボクなら特級魔術は無理でも──禁術は使えるのかもしれない)


 まあそれは今は脇に置いておこう、とステラは内心で口にして。


(うーん、もしかして術を使っている間は実体がないのかな? ジル少年が訪れたらしい"教会"って場所は、この世界とは異なる場所にあったらしいから、それと似たような理屈とか。異なる世界に本体が移っていていて、こっちには姿だけを投影してるとか? それなら"力"そのものじゃなくて、"力の流れ"で読み取れるかな。異なる世界からこちらに姿を投影させるためには、異なる世界からこっちの世界に流れる"なにか"が必要だし。よし、感覚を研ぎ澄ませて──)


 易々と"力の流れ"を読み取って対策してやろうと結論付けたステラだが、普通はそこまで正確無比に"力の流れ"を読み取ることはできない。


 魔術を発動する際に魔力を感知して「魔術を使ってくるな」と感知することは可能だが、その魔力の流れを読み取って「この魔力量でこの魔力の流れだから……あの魔術を使ってくるな!」とまで読み取ることができる人間は存在しないのだ。


『素晴らしい。素晴らしかった、良いものを見せてもらったよ……。美しく、純粋に澄み切った魔力。無詠唱で放ったとは思えない程に洗練された超級魔術『死の業火ニゲルフレイム』。それも、込められた魔力量がぴったり必要最低限』


 かつてステラは、ジルに対してこのようなことを口にした。

 ジルはこの世界の細かい常識には疎い部分があるため特に関心を示すことなく流していたが──普通に考えて、魔力量が必要最低限かどうかまで赤の他人に判断できるはずがない。大雑把ならともかく、そこまで事細かく把握できるなど異常なのだ。


 結論から言おう。ステラの術式に関する感知能力は、大陸最高峰であると。


 それはステラと同格のレイラが、一切感知できなかった『地の術式』の発動を感知したばかりか、流れがめちゃくちゃであることまで見抜いた点からも読み取れるだろう。


 ではどのようにして、そのような技能を身につけることができたのかというと──ステラが変態だからだ。


『ぐへへへ! 師匠の魔術を直接受けるの最高!』

『ああ! 師匠の魔術の氷が溶け始めちゃう! 溶けきっちゃう前に食べないと!?』


 クロエが放った魔術を、その身で受け続ける。

 クロエが放った魔術の余波を、その身で味わい続ける。


 他人が見れば"狂気"としか表現できないこれらの凶行は、彼女も知らないうちに彼女の感知能力を意味不明な次元にまで引き上げていた。


 服を脱ぐことで、ジルに関する物事の異常な感知能力を身につけたキーランとほぼ同じ理屈。ステラが聞けば全力で「違うから! 服を脱ぐのが好きなキーランくんみたいな変態とは違うから! ボクは! ボクは純粋な気持ちで師匠の魔術を全身で受け止めているんだ!」と否定するだろうが、普通にほぼ同じ理屈である。


 閑話休題。

 

 スペンサーの能力の全容は不明だが、ならば小さなことから崩していけばいいとステラは分析を開始する。


 力の流れがどのように変化すればどのような事象が引き起こされるのか。ひとつずつ、細かく見ていこう。


 膨大な量の数式を前にしたとき、バカ正直に一度で解く必要はない。分解して解きやすい部分から崩していけば、結果はかわらないのだから──!


(じゃあ始めようか、禁術もどき崩しを)


 スッ、とステラが右手を掲げる。直後、スペンサーを真横から猛吹雪が襲った。されど当然ながら、その吹雪はスペンサーの肉体にダメージを与えることができない。

 まるで吹雪が存在しないかのように、平然とスペンサーはその場に立っていた。


(吹雪が存在しないように……? いや、逆だね。キミの殆どが既にそこにはいない)


 ステラの右隣の大地から、氷の柱が聳え立つ。それは真横から放たれたスペンサーの回し蹴りを完全に防ぎ、そちらに向けてステラは体ごと視線を向けた。


「!」

「──割れたよ、キミの力のタネ」

「デタラメを……!」

「デタラメじゃないんだよねえこれが。まあでも、普通にめんどくさいというかなんというか……分かっていても倒せない類のものだねそれ」


 普通は、とステラは口角を僅かに上げて不敵に笑う。


「キミが相手なら、使い所が難しいボクのこれは効果覿面てきめんだよ」


 ステラの全身から、白色のオーラが迸る。それと同時に、冷気が拡散し始めた。

 狭い地下空間の全てを、冷気が満たしていく。

 

「……吹雪ではない、なりか。多少肌寒い程度で、なにを──」

「肌寒い、ね。ならボクの勝ちだ」


 そして──


天の時間ノルニル


 ステラの有する『加護』が、発動した。


 ◆◆◆


 なんだ、とスペンサーは眉を顰める。

 少女を中心に『あの力』の発現を察知したが、特にこれといった変化が見当たらない。


(……見せかけ?)


 いやそんなはずがないだろう、とスペンサーは己の中に生まれかけた油断を消去した。あの力を持ち出してきた以上、なにかしらあるはずだ。

 ならば、とスペンサーは術を発動させ続ける。こうしておけば、自分に物理的干渉は通用しないに等しい。だからこそスペンサーは無敵の状態を維持して、少女の手札を見極めようとした。


 ──それが、間違いであると気づかずに。


「……」


 スペンサーは動かない。

 否、動けない。


「……」

「キミのその禁術は、どういう仕組みかは分からないけど、キミの"存在"の密度を限りなく薄くさせて、周囲に拡散させている」

「……」

「肉体と魂の分離とでもいえばいいのかな? 魂の抜けた肉体は、キミであってキミじゃない。キミという存在の核を魂に移すことで、世界を騙しているんだ。キミはここにいないから物理的干渉は発生しない、みたいな感じでさ。肉眼ではそこに存在しているように見えるけど、実際は存在していない。だから、ボクたちからの干渉は不可能。……言うなれば、世界を騙す幻術」


 停止し続けるスペンサーを横目に、ステラは言葉を続ける。


「ならば魂を直接攻撃すれば良いという話だけど、それも難しい。魂の密度を薄くして散布させることで空間に溶け込ませているせいで、その辺を攻撃したところでキミに与えられるダメージは皆無に等しいからね。空間そのものを殴ったところで、空間そのものにダメージを与えられるはずがない。空間ごと切断なり破壊なりをし続けたら、いつかは通じるのかな? まあそんな意味不明な存在はいないだろうから、実質不可能だよね」


 遠くの方で刀の手入れをしていた少女がくしゃみをしたが、それを知る者はいなかった。


「でもだからこそ、ボクの『加護』が通用する」


 存在自体が空間そのものとほとんど同期する。恐ろしい術だが、それでも"魂の存在"自体は残るからこそステラの『加護』が通じてしまう。


 ステラの『加護』は自身を対象とした時間操作能力だが、魔術と併用することで他者の時間も操作できる。


 そして今この空間は、ステラの魔術による冷気によって満たされている。つまりステラは空間そのものと化したスペンサーの時間を、空間ごと停止させたのだ。


 空間そのものと化しているスペンサーは、空間とスペンサーという二つの要素を兼ね備えた存在だ。スペンサーは空間であり、空間はスペンサー。


 だからこそ、ステラの加護が通用する。


 単純に空間そのものに働きかけるのであれば、ステラの『加護』は機能しない。空間そのものに対する時間停止は、理由は不明だが弾かれるからだ。

 だがしかし、今回周囲の空間は空間にあって空間にあらず。ステラはあくまでも、空間とほぼ同期したスペンサーの"魂"の時間を停止させているに過ぎない。だから、彼女の『加護』は問題なく発動できる。


(……人やモノに対する時間操作は可能なのに、空間そのものの時間操作は不可能。けど、今回みたいに空間であって空間と言い切れないものに対しては操作可能……。うーん、よく分からないなこの『加護』)


 本来なら空間を停止させようとすれば、停止させようとする力を弾く『謎の干渉』が起きるが、あくまでも対象がスペンサーだから問題なく機能した。

 これには『人智の及ばない第三者の意図』のようなものを感じてしまうが、それに関する考察は次にしようとステラは息を吐く。


 息を吐いて、高らかに宣言した。


「杜撰にすぎるんだよ、だから。ちゃんと力の流れをコントロールできないから、こうも簡単に見抜かれる。殺し屋として純粋に挑まれたら負けたかもしれないけど、それでボクに挑んだのがキミの敗因だね」











「先の説明の通りならば、この男を移動させることは不可能か。肉体があるように見えるだけであって、実際には存在しないと」

「いや、今ならできるよ。時間操作でこの人が術を使う前までに戻して、肉体に魂を帰還させたまま時間停止させたから」

「……便利だな」

「水晶玉が術式を封印しているだろうから、水晶玉を体から離せば使えないと思うよ……あ、でもこれ掌に埋め込んでるね」

「手首を切ってしまえば問題ない。止血に関しては、時間を停止させておけ」

「なんでそんなグロいことを言うのさ……ボクは普通の一般人なのに……」

「……?」

「不思議そうな顔やめてくれない? それにしても『地の術式』って言ってたんだっけこれ、面白いなあ。研究しても良いよね」


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スペンサーは普通に『殺し屋』として戦ったらステラをサイコロステーキにできるんですが、『地の術式』に頼ったらステラに敗北します。積み上げてきた練度が足りないし、練度を覆すほどの火力差もないという。


まあこの『地の術式』普通にチートだから使いたくなるのは仕方ないし、普通は攻略されないんですけどね。

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