縁談 裏
王族の結婚。
そこに当人たちの意思が介在する余地はない──とされていたのは、今は昔の話。ジルは知らないことであるが、現代において、そのような結婚は前時代的とさえされている。
その理由は至極単純。大陸を事実上支配している大国を統べる連中が、どいつもこいつも好き勝手やってきた歴史が存在するからである。
まず始めに、魔術大国マギア。
あそこにはそもそも、王族が存在しない。その代わりに上層部と呼ばれる少数の常識人たちが国を統治しているのだが、彼らは政略結婚なんて知るかとばかりに恋愛結婚を成していた。
なにせ彼らは、金と権力が欲しいという俗物的な理由で上層部の座に就いているような人間である。そんな彼らが政略結婚を望むかと言われるとそんなはずがなく、結婚をする場合は普通に異性と恋愛し、そのまま結婚するのが常だ。
第二に、ドラコ帝国。
竜使族の初代族長から連なる一族が周囲を支配することで生まれた大国だが、元々はただの民族が発祥のためかこちらも自由に恋愛して結婚している者が多い。
第三に、大陸最強国家マヌス。
あそこはそもそもとして情報がほとんど存在しない。それこそ国王や皇帝に該当する人物がいるのかどうかすら不明であり、他国のほとんどが参考にしようにも参考にできない国家である。
今となっては、何故あの国家が大陸最強と呼ばれているのかも大陸の人間は殆どが把握していない。されど『最強』を冠し、更には『人類最強』という名前は何故か一人歩きする。そんな国家だ。
第四に、エクエス王国。
この国は数百年前に身分違いの恋の物語が爆発的に流行した結果、貴族や王族の間で身分違いの恋が盛んになったとされる国である。しかもそれは無理矢理ではなく純愛でなければならないとされていて、無理矢理庶民の娘と縁を結ぼうとした次期王候補筆頭の王子が殺し屋を向けられて殺害されるほど。
殺し屋を差し向けた人物曰く「解釈違いです」とのことであり、その言葉には貴族平民問わず多くの共感が寄せられてしまっている。国王ですら「……ううむ。それは仕方ないかもしれんのう」と口にしてしまうほどだ。それはそれとして、普通に刑罰案件だが。
王位継承権争いでも、国家転覆を狙う人間による世紀の大犯罪でも、革命を成そうとした平民たちによる叛逆の
ただ単純に、解釈違い。カップリング論争で文字通り内戦をしてしまう国家。それが、エクエス王国。ある意味、魔術大国に並ぶ治安の悪さである。
そんな王国の最も過激な戦国時代を生きた宮廷魔術師曰く、「全てのカップリングを受け入れる偶像的存在が現れれば内戦は収まるかもしれないが、そのような都合のいい存在は現れないだろう……人間はそれほど、強くない……」ともされていた。
そんな王国において非常に常識的なのは騎士団くらいとされていたが──国の最高戦力にして堅物娘とされていた『騎士団長』が、つい最近恋に落ちてしまったため阿鼻叫喚である。とある殺し屋に恋心を抱いて絶賛捜索中という情報が、一部の情報屋たちの間では出回っていたりするほどだ。
閑話休題。
兎にも角にも、大国は自由だった。自由すぎた。その結果小国も「強くなるには自由に恋愛して結婚すべきなのではないか」と真似を始め、色々あって政略結婚という風潮は時代とともに薄れていった。家の格だとか、そういうものを気にすることが無くなりつつあるのである。
だが、それでも完全に消滅したわけではない。
「ドラコ帝国と同盟を結び、数多の国を支配下におき、更には大国と拮抗するほどの戦力を有している国の王に、縁談を持ちかけた」
「……」
「間違いなく、かの国はいずれ、大国へと成り上がるじゃろう」
確信を持った声音で、老人はそう口にする。
大国と同盟を結ぶだけでなく、本人たちも大国に匹敵する戦力を有しつつ、多くの国を支配下に置くことで領土を拡大し、更には開発も進んでいる。
まず間違いなく、数年後には大国として名を馳せるに違いないと老人は睨んでいた。
「他の小国は、属国として軍門に下ることを選択したようじゃ。確かに、それは正しい選択ではある。……じゃが、勝機を見出せるなら話は別じゃろうて」
顔を歪め、老人は酷薄に嗤う。
「確かにいずれは大国に匹敵するじゃろうが、裏を返せばまだ大国ではないということ。国の歴史は浅く、更には王には娶る女もいない。それどころか、前任の王すら不明じゃ。極め付けには、表舞台には一度も立っておらぬ国。帝国と同盟を結んだとはいえ、その内部は手薄じゃろうて」
──取り込むには、実に好都合。
そう締めくくり、老人は己の策を今一度精査する。属国を増やして勢力を拡大しているとはいえ、属国に対して特に政策を敷いているわけではないことの裏も取れている。老人の感想としては良くも悪くも、放任主義だ。
おそらく、例の国の王は慎重な手合い。それはこれまで表舞台に立っていなかったからこそ、必然的に生まれてしまうもの。ならば一度内部の奥深くにまで入り込んで情に訴えてしまえば、どうとでもなるだろう。
大国に成り上がったあとでは難しいだろうが、大国に成り上がる前なら話は別だ。なにより、独り身というのが好都合。加えて王の周囲はそのほとんどが男性らしく、であれば女性への耐性は弱いだろう。
これほどの勝機を逃さずして、なんになるというのか。
正妻をあてがうことで例の国の王に恩を売りさえすれば、自分が実権を握ることだって不可能ではないかもしれない。
つまり、この身は大国の王になるということ。そうすれば、この世界のありとあらゆる財や快楽は自分のものになるに違いない。
(くかかか。このような情報が入ってくるとはのう。天はワシに、味方をしているようじゃ)
自らの眼下にて、顔を俯けている己の娘を見ながら、老人は天運に感謝さえ抱いていた。
「良かったのう。お主にも、価値が存在したようじゃぞ」
「……」
そして仮に例の国が大国に成り上がらずとも、それはそれでやりようはある。老人としてはいてもいなくても大して変わらない娘を使うだけなので、デメリットが存在しないのだ。
既に他国に対する表向きの後継は用意してあるし、国民たちの管理体制も万全。なにも、なにも問題はなかった。
「くかかか。捨てることなく、城で育ててやったワシの善意に感謝するといい」
「……の……は」
「うん?」
「あの人は……無事、なのですか」
「ふん、まあ、そこは違えんよ。だが……くかかか。お主もいずれは、ワシに感謝しよう。平民の男ではなく、王と婚姻を結べるのじゃからな。これ以上のない、栄誉じゃろう? ジルという若造と共に……ワシに感謝することじゃの」
「……っ」
「とはいえ、まずは顔合わせじゃな。──良いか。なんとしてでも、縁談の話を成功させろ」
◆◆◆
「……ふん」
改めて縁談の書状を眺めながら、俺は目を細める。仮にも、俺が直接的に顔を合わせる相手国。理論上では大陸においてジルの肉体が警戒に値する存在は少ないとはいえ、万が一ということはある。
特に、策謀なんかを張り巡らされていたら足元を掬われる可能性は十二分にあるだろう。
戦闘とはなにも、直接殴り合うことが全てではない。シリルが俺に頭脳戦を仕掛けてきたように、武力では敵わないと判断して陰湿な手口でこちらを付け狙う蛇のような手合いは少なからずいるだろう。
縁談の話を、バカ正直に縁談の話としてストレートに呑み込むなんざ笑止千万。見合いの席に着くと決めたのなら、俺が考えるべきは見合いの対策だけにあらず。
いやむしろ、その先こそが重要。即ち、相手の真意を読み取り、適切な対処法を選ぶこと。
(政略結婚なんてのはよくある話だが、それはそれとして単純に媚びへつらうだけとは限らない。むしろこちらを取り込んで実権を握ってやろう、なんて考える輩もいるだろう)
結構なことだな、と俺は冷笑を浮かべた。
(テンプレじみた三下が手合いか、それとも老獪な輩が相手かは知らないが──)
いずれにせよ、どう転ぼうが俺にとって都合のいいシナリオを描いてしまえば問題ない。本気で縁談を考えているのか、それとも利用してやろうという腹か。そして後者だとして、相手はどのような趣向を凝らしてくるのか。
(向こうが俺を取り込もうと考えているなら、俺も似たように行動をしたとて指摘はできないはず。ならば好きにやらせてもらうとしよう)
それに正直なところ、俺を取り込もうと考える手合いが相手の方が個人的には非常に楽だ。
なにせそういう輩は、叩けば叩くほど汚い情報が出てくる。汚い情報とは
そしてその支持を昇華させてやり──やがて、支持は信仰にまで昇華する。
(……相手国の王の策か、見合い相手の姫が悪役令嬢や女狐の類なのかでやり方は変わってくるな。その辺も考えないと)
女狐であれば、俺に対する立ち振る舞いが偽りのものになるはず。つまり偽りで塗り固められた仮面であり、そこはジルの観察眼であれば見抜けるから問題ない。とはいえ、念には念を入れて序盤はローランドを同席させるか。
相手は原作では名前どころか、断片の情報すら出ていない名無し。そう考えるとシリルやクロエ、人類最強といった最強格とは大きく劣るように見えるだろう。
だがそれは、決して相手を軽んじて良い理由にはならない。
この世界は奇人変人のオンパレードであり、そういう輩は大抵の場合一芸に特化しているのが世の常。それ即ち、相手国の姫が人類最高峰の嘘吐きの才能を有した存在である可能性だってあるのだ。
(だからこそ、己を過信しすぎずに念には念をだな。あくまでも俺は、ジルの体に憑依した一般人。ジルを演じる以上対外的には余裕を持つべきだが……内心での己自身の心構えは大切に、だ)
だからこそ事前に対策を立てることで内側を自信で舗装し、対外的に演じる余裕を確たるものにする。対処法さえあれば、心の底から余裕の表情を浮かべることだってできるものだ。
試験への対策として、試験以上に高難易度な問題を解き続けることで自信をつけておけば、試験本番で慌てることがないのと同義である。
(使えるものはなんでも使うぞ、俺は)
いざとなればキーランの『加護』も使えば──話し合いの席において俺を欺くなど、不可能に近いはず。こういった実績のある根拠を己の中に抱いておくことで自信へと繋げ、俺の安全を保つことができるのだ。
(ローランドによる嘘の判別。キーランの『加護』による害意の判定。そして、ジルの常人離れした観察眼。勝ったな……)
なんならグレイシーの第六感だってある。自分で言うのもなんだが……この国は、こと腹の探り合いにおいて最強格の布陣を揃えてしまっているのかもしれない。
(そして国の重鎮がこちらに来訪する以上、連中の国の警備はある程度手薄になるはず……)
ならば向こうの思惑が後ろめたいものであればそれを大義名分とし、こちらはこちらで人員を送り込むとしよう。
向こう側の情報収集と──『神の力』の捜索と確保を命じて、な。
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