目覚めの時 Ⅱ

 ドーム状の衝撃波が周囲を包み込み、大地が大きく捲り上がる。土砂に巻き込まれまいと素早く後退したスフラメルは、伝道師の補助をしようと戦場へと視線を移し。


「……」


 移し、歯噛みする。

 この身では伝道師の補助をするのには足りず、むしろ足を引っ張る可能性すらあるという事実に。未だ芸術の深奥には辿り着いておらず、であるが故になにもできないのだと。


 自分が崇拝する至高の芸術家。かのお方に対してなにもできない無力さを、スフラメルは大きく恥じていた。


 ◆◆◆

 

「お前の持つ力は太古の時代、神々がこの世界に在った時のものだ。そこで浮かんでいる、莫大な力の塊と同じものだな」


 闇の霧が視界を覆い潰し、それを払うよう『神の力』を放出する。そして次の瞬間に視界に入ってきたのは、人の三倍以上の巨体を誇る血槍の切っ先。


 だがそれが、俺の肉体を貫くことはない。

 俺に触れるより先に木っ端微塵に砕けた槍の行く末を見届けることなく、俺はエーヴィヒへと視線を送った。


「だが力の根源たる神々が退場している以上、その力にしたって絶対には届いていないだろうな」


 血の球体が、エーヴィヒを中心として空間に幾つも展開される。


(新技か……?)


 ここに来て初めて見る技に、自然と俺の目は細まった。やがてその球体は俺の周囲にまで漂い始め。


「さてと、突破口はなにかな」


 瞬間、全ての球体からとげが飛び出してきた。

 反射的にそれを回避した俺を見ながら、エーヴィヒは嗤う。


「では次だ」


 エーヴィヒが右手を軽く振るうと同時に、血の大瀑布が世界を襲いかかった。回避することが不可能な規模のそれを、俺は権能を発動させて弾き飛ばす。血の津波が俺を避けるように真っ二つに割れ、制御を失った激流は轟音を立てながら大地を濡らした。


「ふむ……新しいなそれは。これまでのと異なるが、根源そのものは似たようなものを感じる。少し読みが外れたが……その力、果たして常に展開できるタイプのものかな。──『絶』」

「『光神の盾』」


 万物を滅殺する死の閃光が空間を駆け抜け、それを防ぐべく強大な光の壁が君臨する。激突した二つの絶対は空間を震撼させ、世界が悲鳴をあげた。まるで以前の焼き直しのような光景となれば勝利の天秤は、俺に傾くのが必然なのかもしれない。


 だが以前のあれが、完全に初見殺しによるものであることは互いに承知のもの。

 故に。


「背後はとらせんよ」

「くく、流石にその程度の学習能力はあるか」

「……安い挑発だな。だが、乗ってやる」


 故に、以前と同じ手は通用しない。

 しかし。


(さてエーヴィヒ。お前はこの権能を破ろうと、模索をするしかないが)


 先ほどの『絶』とかいう技は、エーヴィヒの中でも奥の手に近い一撃のはず。

 隙を突いて絶大な一撃を決めようとしただけの可能性は否めんが──


(お前の攻撃手段は、あとどれだけ残されている?)


 第一部のラスボス。ジルを、侮るな。


 ◆◆◆


 まさしく、人智を超越した戦いだった。


 血の海に沈んだ大地。あらゆる建物が消滅あるいは倒壊し、遠く離れた場所には更地と化した部分もある。これが個人同士による衝突の余波などと、誰が想像できるだろうか。


 数時間前までは人々が普通に暮らし、生きていた町。それが完全に、滅んだ。文明の跡すら残らない凄絶な光景。

 されどこの終末を創り出した二人の怪物には、まだまだ余力がある。

 このまま戦闘が続けば、当然ながら戦場は場を移すことになるだろう。そうなればこれと同じような光景が様々な国に齎され──やがて、大陸にある国の全てが滅びかねない。

 

 国を滅ぼすことができる戦力同士のぶつかり合いとは、そういうことだ。人類規模で見ればこの二人は、まさしく『世界の終末』を齎すことができる領域に立っている。


 両者ともに、通常の手段では突破不可能な絶対性をそれぞれ有していた。エーヴィヒは絶対的な不死性を。ジルは絶対的な不可侵性を。それだけでも有象無象とは隔絶した力だというのに、おまけとばかりに火力でさえ他を圧倒する。


 二人はまさしく、絶対に近い存在。

 近い存在だが。


「神々の力の新しい運用方法……本気で理解できんな」


 山ですら軽々と消し飛ばす巨大な血槍を複数同時に放ちながら、エーヴィヒはその表情を忌々しげに歪める。

 神々の力だけなら、出力次第でどうにかなる。闇は相性が致命的なまでに悪いが、血の方はそうでもない。故に、そちらに関しては最悪本体で相手をすれば勝てるだろうと考えていた。


 問題は、ジルが新しく見せてきた力──エーヴィヒは知らなかっただけだが──権能に関してである。こちらに関しては、本体で相手をしても突破できるかが分からない。


(なんだ、あれは……)


 ここまでエーヴィヒは、様々な手段をもってして新しく判明したジルの絶対を貫こうとした。


 血を用いたあらゆる技を試した。

 血の力ですら効果がないのならばと、その辺にあった建物をぶん投げた。

 質量による圧死ならばどうだと山を五つほど叩き落としてみた。


 最後のものに関しては神威で吹き飛ばされたので効果はあるのかもしれないが、いずれにせよ通用しないならば意味がない。

 エーヴィヒもまだまだ余力を残しているが、攻撃手段という意味ではあまり手札が残されていない。


 そう考えると、この状況は彼にとってあまり美味しくないものだった。


(……単純な出力の問題ならば構わないが)


 おそらくそうではないだろう、とエーヴィヒはなんとなく確信していた。単純にこの世界を壊す一撃をぶつけようとも、ジルのあの防御は貫けないだろうと。


 概念的な要素が大きい異能には、単純な火力では太刀打ちできない。そのことは、エーヴィヒ自身が誰よりも理解している。


「くく」


 そんなエーヴィヒを嘲笑するかのような笑い声が、頭上から響く。鬱陶しげに視線を送れば、こちらよりも高い位置で佇むジルの姿が。


「どうした、エーヴィヒ。貴様は私に対して本体の所在を掴めていないと言ったが──貴様とて、この私に傷一つ付けられていないようだが?」

「だからどうした『神の雛』。俺様の言葉は間違っていないさ。お前が今この場で俺様を潰そうとも、俺様には影響がまるでない。お前では、本当の意味で俺様に届かんよ」

「くくく、随分と面白いことを言うではないか。思わず腹が割れてしまいそうだぞエーヴィヒ。よもや貴様は、この私を笑い殺そうとでもしているのか?」


 口の端を吊り上げて、ジルは笑う。

 眉を顰めるエーヴィヒに対して、ジルは言葉を続ける。


「貴様がどれだけ湧いて出ようが、この私には届かない。何千回何万回と挑もうとも、貴様は私への突破口すら掴めない。……分かるか? 私にとって、貴様ごとき有象無象と変わらんということに」

「…………」

「私に傷一つ付けられない以上、私からしてみれば貴様と一般人に違いなどあってないようなもの。私が貴様の頭蓋を砕くのは、視界に入ってきた害虫を駆除するのと変わらん。視界に入ってこない本体など、どうでも──」


 返事は至極単純だった。

 エーヴィヒを中心に極大な闇と血が噴出し、周囲に暴虐な悪意が撒き散らされる。

  戦いは、佳境を迎えようとしていた。


 ◆◆◆


「私に傷一つ付けられない以上、私からしてみれば貴様と一般人に違いなどあってないようなもの。私が貴様の頭蓋を砕くのは、視界に入ってきた害虫を駆除するのと変わらん。視界に入ってこない本体など、どうでも──」


 エーヴィヒは強い。

 はっきり言って、スペックの上ではジルとエーヴィヒに大きく差はないだろう。ただ単純に、ジルの持つ力が理不尽なまでにエーヴィヒに対して相性が良いだけ。


 絶対的な存在に至るために、圧倒的なまでの不死性を自らの力で得たエーヴィヒ。その研鑽、その貪欲さ、才能、努力に対して、敬意を表している面は確かにある。


 だがそんな本音を、俺が懇切丁寧に説明してやる義理はない。

 むしろ俺は徹底的にまでにエーヴィヒを見下し、嘲笑する。


(エーヴィヒ。お前は、本体と情報を共有している……それはつまり、精神的なダメージは本体に届くということだ)


 幾らエーヴィヒの憑依体を叩き潰そうが、エーヴィヒの本体には届かない。何千何万のエーヴィヒのしかばねを築いたところで、エーヴィヒは何食わぬ顔で俺の目の前に現れるだろう。


 だが、精神的なダメージはどうだ?

 徹底的に心をへし折り、再起不能な廃人になるまでエーヴィヒの精神を潰してしまえばどうだ?


 エーヴィヒの精神的支柱は、間違いなく己の絶対性。そしてその支柱がどれだけ趣向を凝らそうとも俺に通用しなければ、間違いなく精神的に揺らぐ。


 故に俺は、あえてエーヴィヒに攻撃をさせてやり──その上で、その全てを叩き潰すと決めた。お前の攻撃は俺にはまるで通用しないのだと嘲りながら、俺はエーヴィヒの心をへし折りにかかる。

 そうすれば本体と情報を共有している以上、エーヴィヒの本体とて無事では済まない。


 闇と血の奔流を神威で弾き飛ばし、悠然と両の手を広げる。神々しさすら感じさせる波動を放ちながら、俺は冷笑を浮かべた。


「来るがいいエーヴィヒ。そして貴様では、この私には決して届かないという絶望を抱いて死んでいけ」


 さあ、始めるとしよう。

 心をへし折る戦いを。


 ◆◆◆


「あのような醜いものが……伝道師殿の芸術を否定するなど……!」


 表情を憤怒に染めながら、戦局を眺めるスフラメル。


 だから彼は、気付かなかった。


 自らの近くに浮いている『神の力』。


 黄金色に輝いていたそれに、黒い斑点が出現し始めていることに。


 禍々しいなにかが、産まれ堕ちようとしていることに。


 誰も、気付かない。気付くことができない。故に、それは目覚める。目覚めてしまう。

 封印が解かれた状態で、なんの処置も施されずに、外界に晒されている『神の力』。更に周囲に渦巻くは、二人の怪物により振り撒かれた方向性の異なる莫大なエネルギー。


 それらが相互に反応した結果──それは、爆誕するのだ。

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