目覚めの時 Ⅰ

 地獄のような光景だった。


 その都市に、建物が倒壊しているだとか。地面にクレーターが形成されているだとか。そういった戦闘痕はない。


 それどころか、町の様子自体は綺麗なもののそれ。当たり前の日常を繰り返していたであろうことが、一目で分かるような光景だった。

 

 ──だがそこに、生き絶えた人々があちこちに点在しているという悍ましい事実を加えれば話は変わる。


 街を埋め尽くすのは死体の軍勢。空が紅く染まっている点以外には不自然な部分がないからこそ、それらの異常性は際立っていた。

 そしてなにより恐ろしいのは、既に物言わぬ骸だというのに、彼らは自然の営みを続けている点だ。


 死体が買い物をしている。

 死体が談笑らしきものをしている。

 死体同士で仲睦まじく手を繋いでいる。

 死体が食事をしている。

 死体が同じく死した馬の体を洗っている。


 異常だった。

 その全てが、異常という他なかった。


「……なんですか、これは」


 隣にいるソフィアが、顔を顰めながら言葉を漏らす。

 彼女は人類の救済という理想を抱いている純粋な少女。そんな彼女にとって、この光景には嫌悪感を抱いてしまって仕方がないだろう。この光景そのものではなく、この光景を生み出した者に。


 戦争ならともかく──目の前のこれは、命の冒涜に他ならないから。


「……不快、だな」


 そんな彼女が隣にいるからか、思わず俺も自らの本音を発していた。


 流石に、趣味が悪いというしかない。『魔王の眷属』はアニメで三分で退場したせいで、狂信者集団という情報以外のパーソナルデータがまるで皆無だったが……サンジェルも含めて、どうやら連中は異常者の集まりらしい。


 カルト集団という時点である程度の異常性は見て取れたが、どうやらそれだけではない。文字通り、狂っている。

 第一部で猛威を奮った『レーグル』は武闘派集団だったが、『魔王の眷属』は方向性が違う。どちらも傍迷惑な集団という点においては大差ないが──『魔王の眷属』は、見ていて嫌悪感を抱かせるタイプの集団だ。


「倫理の是非は問わん。だが私にとって目の前のこれは……実に、不快だ」

「──この芸術が分からないか。これだから素人は困る」


 俺の言葉に対する返答が頭上から響き、それと同時に俺の隣から気配が消失する。


「貴方が、これをやった下手人ですか」

「……やれやれ速いな。油断していたとはいえ、この僕がこうも簡単に王手をかけられるか」


 声のする方向へと視線を送ると、一瞬で一階建ての建物の屋上にまで移動していたソフィアが、紫色の髪の美男子の横から槍を突きつける光景が。

 ソフィアから放たれる冷徹な視線が、余裕な態度を崩さない美男子をただただ射抜く。


「これをやった下手人という問いに対する答えだが……その通りだ。僕はこの醜い国を、素晴らしい芸術品として昇華してやった」

「……芸術品、だと? 戯言を。お前のやったことは、人々の命を弄ぶ外道のそれだ」

「芸術を理解できない、か。成る程……醜いな」


 瞬間、美男子の足元から影の刃が噴出する。それは突き出されていたソフィアの腕を切断──することなく、彼女を纏うように展開された黄金の光がそれを防いだ。

 二つの力が衝突し合って生まれた衝撃に体を吹き飛ばされながら、美男子が顔を顰めて口を開いた。


「その力……ッ! 何故、何故……ッッ!」


 怨嗟えんさの込められた声。それを無視して、ソフィアは俺に視線を送る。


「貴方はここで殺します。ジル様、ご許可を」

「許す。貴様の力を、私に示せ」

「はっ」


 銀色の閃光と化したソフィア。彼女の一撃は、美男子の右肩を正確に貫いた。

 絶叫があがり、闇の瘴気が美男子を中心に爆発する。万物を染め上げるその瘴気は、しかしソフィアの周囲だけは侵せない。涼しい表情を浮かべながら彼女が槍を振るえば、瘴気はその場から消失した。


 大陸有数の強者程度の実力を有する『魔王の眷属』。それもおそらく、感じ取れる力の質からして『最高眷属』の美男子。これは完全に感覚による推測だが、あの美男子はサンジェルよりも強い。力の質だけならエーヴィヒにも並ぶとすら思える。


 そんな存在を相手に一方的に虐殺可能なソフィアは、やはり際立って強い。


 だが。


(……分かってはいたが、弱体化しているな)

 

 あの『熾天』が、ギリギリで反応されている。


 身体能力の低下及び、それに対する体の使い方の不慣れ。そもそも彼女の体内を巡る『神の力』の質の低下。その他様々な要因が、彼女を弱くしている。


 弱体化していてもソフィアは間違いなく美男子を実力でも相性でも上回っているというのに、弱体化している状態に不慣れなせいで戦闘が成立してしまっている。アニメでは『魔王の眷属』全軍を相手にしても、三分程度で虐殺していたというのに。


 その事実は、俺としては若干衝撃的だった。


「こんな、この僕が……っ!」

「終わりです。どうやら貴方は、私の力には弱いらしい。心臓がそもそも存在しないことには、驚きましたが」


 が。

 いくら弱体化していたとしても、それは勝敗を覆すほどのものではない。

 ソフィアから放たれた槍が正確に美男子の心臓部分を貫き、そのまま押し潰す。再生する様子を見せない美男子の体は、そのまま崩れ落ちた。


「……」


 勝利を収めたソフィアだが、しかしその顔色は浮かばない。それでも俺に戦果を報告しようと切り替えた彼女は、俺の方へと顔を向けようとして。


「ソフィア、避けろ」

「ッ!」


 向けようとして、俺の言葉に反応した彼女がその場から飛びのいた。

 そして直後、先ほどまで彼女が立っていた場所に空からの槍が降り注ぐ。それは建物を蹂躙し、目の前で音を立てて建物が倒壊した。


「……エーヴィヒか?」

「───」


 その武器に見覚えのあった俺が疑問を呈したが、しかし返ってきた答えは予想と大きく異なるものだった。

 胸元を失くした美男子だったものが不自然な挙動で起き上がると同時、俺に向かって飛んでくる。音を軽く凌駕して飛翔するそれを迎え撃とうと魔力を体内で生成しながら、俺は手に黒い炎を纏った。


「ジル様には触れさせません」


 しかしそれが、披露ひろうされることはなかった。

 同じく空から降ってきたソフィアが蹴りを放ち、美男子だったものを吹き飛ばしたからだ。倒壊した建物に直撃した美男子だったものが、轟音を立てながら倒壊した建物の中に突っ込んでいく。


「ご無事ですか」

「ああ。……しかしソフィア、油断するなよ」

「ッ!」


 俺がそう言うと、彼女も事態の変化に気づいたのだろう。いつの間にか、俺たちを囲うように死体の軍勢が集まっていることに。


「……これは」

「ふん。文字通り、あの男にとってこれは人形遊びなのだろうよ。随分と、趣味の悪いことだがな」

「人形遊びとは教育のなっていない。僕のこれは芸術だ。それを分からないキミ達は、教養がない野蛮人なのだろうな」


 死体のうちの一人の全身を闇が覆ったかと思うと、次の瞬間には先ほどソフィアによって討たれたはずの美男子が現れる。


(憑依……いや、転身か?)


 そのあまりに奇怪な現象に対して目を細めた俺を横目に、美男子は不愉快そうに言葉を吐き捨てる。


「芸術を理解しない野蛮人がこの作品を初めて見る客など、僕は不愉快で不愉快で仕方がない。『伝道師』殿を、僕は真っ先にこの場にお呼びしたかった」

「……『伝道師』がどなたかは存じませんが、あなたのそれは芸術ではない。そんなものは、断じて」

「知らないというのは非常に度し難く、罪深いな。僕の名前を教えてやろう……僕の名はスフラメル。キミ達でも、名前くらいは聞いたことがあるんじゃないか?」

「知りません」

「知らんな」

「……なるほど、やはり教養のない者たちということか。ある意味、納得が言った。僕の芸術を理解できないのは、頭が悪い人間であるとね」


 スフラメルが手を掲げると同時、死体集団の全身を一斉に闇が覆い尽くす。そして現れたるは、全ての人間がスフラメルに変化するという非常に悍ましい光景。

 軽く目を見開くソフィアと、内心で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる俺。


(……こいつ、文字通りエーヴィヒに近い存在か。下手をすれば、『魔王の眷属』が一人でもいればこいつは永遠に存在し続けるかもしれない。本体を叩かない限り、こいつは『神の力』でも消しきれない)


 そして、軽く数万を超えるスフラメルの軍勢が弾丸のように飛び出した。


 一体一体が大陸有数の強者のそれ。こちらの有する力が相性的に良いとはいえ、この数を対処するのは骨が折れるなんて騒ぎではない。

 スフラメルが放つ闇が街路樹を吹き飛ばし、建物を崩壊させ、大地を穿つ。それらをやり過ごしつつスフラメルを念入りに殺しながら、俺は思考を巡らせていた。


(流石に数が多すぎる! もはや壁も同然……万は凌駕しているんだろうが……こいつら本気で、何人いる……ッ!?)


 とっとと『神の力』の確保をしたいが、目の前の連中が邪魔すぎる。文字通り、肉壁だ。


(……一気に『天の術式』で消し飛ばすしかないか。目立つのは避けたかったが、『神の力』を確保できないよりは断然マシだ。なにより大国のうち二つは実質的に堕としている以上、敵対されてもどうにかなるはず。戦闘狂国家以外はそもそも敵対を考えないだろうし)


 とはいえ国を消し飛ばすとなると外聞が悪くなるかもしれんが──いや、背に腹は変えられん。ある程度の信用を得ている以上、俺が事情を説明すれば納得する連中の方が多いと判断すべき。

 あとは『神の力』の放棄をされる可能性は──いや、目の前で確実に無くなりかねない『神の力』の方が断然優先だ。


(まあ勿論、一番良いのは穏当にこいつらを倒すことだったが)


 しかし難しいからな──などという俺の内心を読み取ったのか、ソフィアが一歩前に出た。


「ジル様。ここは、私が引き受けます」

「……だが」

「ご心配なく。私がこの程度の軍勢に、遅れをとることはありません」


 一切の淀みなく、彼女はそう言い切った。

 そんな彼女を見て、俺は。


「そうか。ならばここは、貴様に預ける」

「はい! ですがその……」

「……?」


 もごもご、と口を動かすソフィア。心の声も混乱しているのか、うまく読み取れない。

 こんな対処法があるんだなとどうでもいい方向に思考をズラしながら俺が不思議そうな視線を送ると、意を決したように彼女は言う。


「そ、その……激励を頂ければと、思います」

「……」


 その表情、仕草を見て。そして、声を聞いて。


 軽く。


 軽くだが意識が飛びかけた俺。意識が飛んだ原因はまるで分からない。記憶が混濁している。直前のソフィアの表情が思い出せない。なんだ、何が起きたというのだ。

 ソフィアがなにかしらの術を俺にかけたのだろうか。つまりこれは謀反? 下剋上? 革命? 俺に対する敵対行為か? 多分そんなことはない。


「……」


 そうこうしている間にも空気の読めないスフラメルが襲いかかってくるが、彼女は俺に顔を向けたままそれを次々と吹き飛ばしている。何故だろうか、心なしかさっきより強くなっているように見える。これ俺からの激励とかなくても大丈夫じゃない? 殲滅しちゃうんじゃない? なんて思う俺だが。


「…………ソフィア。貴様の働きに、私は期待している」

「──はいっ! ジル様!」


 ◆◆◆


「良くやったぞ、スフラメル」

「もったいないお言葉です。『伝道師』殿」


 嗤いながらエーヴィヒが言い、スフラメルが跪きながら答える。

 スフラメルは、人間がいる限りほぼ無限に己を増殖させることが可能なほどに『呪詛』を使いこなしている。『魔王の眷属』をヤドリギとして降誕するエーヴィヒにとって、無限に増殖可能なスフラメルは非常に有用な存在だった。


 極端な話、スフラメルさえいればエーヴィヒは好きなだけ降誕可能であるが故に。


「しかしこれが神々の力か。見た目に反して、混沌としているな」

「混沌、ですか?」


 球状に収束しながら宙に浮く黄金の光を前に、エーヴィヒは言葉を続けた。


「俺様の予想とは異なったな。あの男にしろ『人類最強』にしろ、純粋な力を放っていたのだが。力として扱う際には、ある程度混沌としていた力の塊を分解しているのか?」

「……」

「しかし面白いな。混沌としているが故に、これには異分子が紛れ込んでいる」

「異分子……」

「ああ。神々が意図して生み出したのかは知らんが──この異分子が本当の意味で解き放たれれば、世界は終わるかもしれんな」


 クツクツ、と楽しそうにエーヴィヒは言う。世界が終わるという事象すら、瑣末ごとであるとでも言うように。


「まあ、俺様の領域はたとえ世界が終わろうとも理論上は問題ない。なにより俺様が絶対へと至れば、この異分子がどう転ぼうが対処可能だ。この異分子はとして降臨するかもしれんが、絶対の前には無価値だ。分かるだろう? スフラメル」

「至極当然の理屈でございましょう。真なる芸術を前には、神々ですらひれ伏すしかなりません」

「そうだな、その通りだスフラメル。神々が絶対の存在ならば、この世界から退場などというくだらない末路にはならんかっただろうからな?」


 ところで、とエーヴィヒは視線をズラした。彼の視線の先には、首から先が闇に覆われている男が一人、膝を突いている。


「……スフラメル。何故今回のお前は、首から先がないんだ?」

「伝道師殿と、アタ・マオカシーン殿以外の顔面は不要と考えたからです。お二方以外の顔面は、芸術ではないですから」

「………………」

「? 伝道師殿?」

「……ああ、いや、そうか、うん。なるほどな。うん、そうか……そうか……」

「?」

「スフラメル。お前は俺様の顔という芸術をその目で直接見ないとは……随分と偉くなったな?」


 スフラメルの首から先の闇が晴れる。それを確認したエーヴィヒは軽く嘆息を零し、


「さて」


 その手に、凄惨な『血』を纏った。


「この力を取り込んで、俺様の絶対への足がかりとさせてもらおう」

「──いいや、それは無理な話だなエーヴィヒ。その力は、この私のものだ」


 口角を吊り上げ、エーヴィヒは振り向く。その先には、自らが好敵手認定した存在が。

 以前よりも増した『力』を見て、エーヴィヒは満足げに微笑む。


「どうやら、研鑽は怠っていないらしい。俺様が認めた存在なだけはある。力の源に関しては理解した。であれば、それを昇華させた手法を知りたいところだが」

「貴様に教えるわけがなかろう」

「だろうな。己の研究結果なんぞ、他者に渡したところで意味がない。俺様もそれは理解しているぞ──だからこそ、俺様は自分の手で知ることにしよう。お前を叩き潰して、な」

「以前敗北した貴様が、私を叩き潰せる気でいるとはな」

「あの時とは依り代が違う。それでも俺様の力を十全に発揮するには足りんが、『絶』を放っても自壊などという無様な真似はせんよ。それに、だ」


 エーヴィヒが『血』と『闇』の混じったオーラを漂わせ、ジルが神威を全身から立ち昇らせる。


「以前は貴様のあの術が初見だったが、今回は違う。事情が大きく異なるよ、『神の雛』。それにしても今回は、その力を始めから使うのだな。あの時とは貴様も事情が異なるというわけだ」

「ふん。相変わらず、講釈を垂れるのが好きらしいな。ならば此度は、貴様の顔からすり潰すとしよう」

「ははは。俺様の頭を本当の意味ですり潰すのは骨が折れるぞ。そもそも貴様は、俺様の本体すら把握できていないだろうになあ!」

「────ッ!」


 直後、血槍の軍勢と黄金の光が激突する。ドーム状の衝撃波が周囲を蹂躙するとともに、死闘が幕をあげた。


 

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