偽りの友好試合 Ⅲ

「く、来るな!」

「人をそんなバケモノを見るみたいな目で見ないでほしいなあ」


 真空の刃が放たれ、水のヴェールを切り裂く。制御が失われた水は雨となって大地を濡らすが、しかしステラの表情は変わらない。


「おおー。結構鋭い風の刃だねえ」

「ぐぬぅ」


 ステラがぐいっと指を動かせば、大地を濡らしていた水分がたちまち浮かび上がり、再び水の塊として収束していく。

 変幻自在に動く水の塊を見ながら、老人は呻くように口を開いた。


「なんという魔力操作技術……」

「あははー。師匠に追いつくには、この程度基本中の基本だからねー」

「くっ」


 お返しとばかりに、ステラは幾多もの水の鞭を老人に向けて放った。それを老人は真正面に張った風の防壁で防ごうとするが──


「ボクの操作技術は見たんだから、真正面だけ防ごうとしてもダメな事くらい分かるでしょ」

「ぐぬう!?」


 突如軌道を変化させて風の防壁を避けるように様々な角度から放たれた水の鞭。衝撃に吹き飛んだ老人の体が大地に数度叩きつけられた後、闘技場の壁に激突して停止する。


「んー。おじいちゃんもしかして中級魔術までしか使えなかったりする? 幾ら何でも、応用が効いてなさす──」


 言葉を続けようとした寸前、ステラは自身の周囲を覆うように水のヴェールを展開。直後、水のヴェールごと覆い尽くす規模の竜巻が闘技場を蹂躙する。


「拡散させずに集中させたのだがね……! やはり、魔術大国の魔術師は意味がわからん……!」

「おっ、上級魔術のご登場か。その辺の建物なら丸ごと吹き飛ばせるね。無詠唱で乱れていないのも評価高いよ」

「その、その辺の建物を吹き飛ばす一撃を受けて平然としているお嬢さんは、意味がわからないのだよ!」


 老人が自分の近くに竜巻を複数展開させ、それをステラに向かって放った。対するステラは水の渦を複数同時展開させて、竜巻を相殺しにかかる。

 激突した衝撃で風が闘技場の大地をえぐり、大量の水飛沫が世界を侵食する。両者ともに、街で放てばそれだけで街が半壊し人が死んでいく一撃だ。

 まさしく嵐のような規模のそれらが、目前に迫る観客達は恐怖の悲鳴をあげた。


「あっ! 高さがあるからお客さん達に危ないじゃん! ここ魔術大国じゃないんだから結界を張らないと──」


 そしてそれを見て「やべえジル少年に怒られる」と気づいたステラは、観客に被害が及ぶ前に闘技場に結界を張ろうとし、


「そこじゃ!」


 ステラの視線が観客に移り、魔力の流れが変化したその瞬間。そこを老人は突く。


「!?」


 上空から叩きつけられる暴風。その圧倒的な質量に、思わずステラは両膝を突いた。


「────!」

「『嵐の天井』! これでもはや声も出せまい! ここで決めさせてもらうとするわい!」


 そして、老人が更に竜巻を展開する。身動きを取れないステラに目掛けて、竜巻が殺到し。


「オマケじゃ! 真空の刃に人体を切り裂れるが良い!」


 天に吹き飛ばされたステラの全身が、切り刻まれる。

 大地に落ちてきたのは、バラバラになったステラの肉体だった。


「……か、勝った……のか?」


 信じられない、といった様子で老人はおそるおそるステラに近づいていく。

 幻術の可能性も考慮したが、しかし上級魔術まで修めている自分に理論上幻術は通用しない。

 

「ひ、ひひ……っ! ま、魔術大国の人間が、周囲を気にして……け、けけ結界を張るなどという普通の人間のような真似事をするからそうなるのじゃ! ま、まあ良い。魔術大国の人間が死んだ……これで世界は救われ──」

「──えー。同じ魔術師じゃん。仲良くやろうよ」


 次の瞬間、背後から聞こえた声に老人は硬直した。


「な、何故……」

「え? 何が?」

「お、おおお嬢さんは死んだはず……」

「いやいや、よく見てよ」


 言われて、気付いた。

 ステラの人体だと錯覚していたそれらだが、よく見れば違う。これは、切断された人体と血なんかでは決してない。

 これは、

 

「こ、氷と……赤い水?」

「地獄トマト飴間違えて落としちゃったみたい。いやあそれがなんか水と混じって血みたいな色になっちゃってさー、思ってたよりめっちゃグロテスク。笑っちゃうよね」


 地獄トマト飴ってなんだ、そんな突っ込みを呑み込みつつ老人の顔は恐怖によりみるみると青褪めていく。


「こ、氷……? 氷じゃと……? ま、まままま待ってくれ。もしや、もしやお嬢さんは───」

「───ご名答。ボクは『氷の魔女』の弟子なのです」


 えへん、と老人の背後で無い胸を張るステラ。しかし老人に、その微笑ましい姿を見る余裕はない。


 『氷の魔女』。


 魔術に触れる人間で、その名を知らない人間はこの世に存在しない。あの魔女こそ世界最強の魔術師にして、唯一『禁術』を修めた術師であるからだ。


(あ、あの『氷の魔女』の弟子……!?)


 定期的に大陸の端で海岸やら何やらを凍結させ、人間すらも淡々と凍結させ、そのような行為に手を染めてもその顔に感情の色が現れることは決してないとされる冷酷非道の術師。

 

 彼女の後には凍結させられた残骸しか残らず、彼女に続けとばかりに魔導書を閲覧していく犠牲者に対してもノーリアクション。また、魔術大国の外では幼い少年をジッと眺める姿が目撃されているらしい。その姿から幼い少年を人体実験の材料にしようと画策していることは明らかであり、「『氷の魔女』に人の心は存在しない」とは一部の魔術師達の間ではもっぱらの噂である。


 クロエが聞いたら、間違いなく彼女は内心で泣くであろう。


「さてと」


 ひっ、と老人は声を漏らす。その足は震え始め、もはやまともに魔術を行使するなど不可能。


 だがステラに、老人の事情など関係ない。パキパキ、とステラを中心に大地が凍てつき始める。

 

「それじゃあ終わらせようか。残念なことに、これ以上おじいちゃんの魔術を見ても楽しくないみたい」


 朗らかな笑みを浮かべながら、ステラは老人を凍結させる。そして彼女は振り返ると。


「オウサマー! 勝ったよー!」


 ◆◆◆


(なんであの頭のおかしい国の魔術師がいるんですか!! しかも氷属性!? 氷の魔女の弟子!?)


 ヘッドバットを壁にキメたい衝動を抑えながら、シリルは笑みを浮かべて眼下の光景を眺めていた。


(……いえ、考えてみれば『偽神』は魔術大国で崇められているのだから一人くらい手元に置いておくのが必然ですね。……必然、なのでしょうか? あの国の魔術師を手元に置く? 正気ですか?)


 あの国の魔術師は、魔術大国にまとめて保管しておき必要な時だけ自爆特攻兵器として使うのが一番合理的ではないのか、とシリルは疑問に思う。

 あるいは魔力タンクにでもして必要な時に必要な分の魔力を抽出する道具として活用すれば良いのではないだろうか。


 あの国の頭のおかしい魔術師を手元に置いておくだなんて──とシリルはジルの采配にドン引きしていた。なおシリルの考えを読み取った場合、逆にジルの方がドン引きするのは言うまでもない。


(王の命であれば半裸になる程狂信的な集団に、『粛然の処刑人』、そして魔術大国の少女。……ちょっと意味がわかりませんね。これでどうやって国家として成り立つんですか。少数精鋭の組織だとしても内部崩壊しそうなんですが)


 訳が分からない。

 だが、これが現実であることは否定できない。何故なら、実際目にしているのだから。これが人伝に聞いた情報であれば「あり得ない」と一蹴できたのだが。


 ──と。


「……セオドアさん?」

「然り。こちらの三番手は、あの男よ」

「……正気ですか? 彼に戦闘力は皆無でしょう。幾ら隠蔽していたとしても、流石にあそこまで抑えるのは不可能だ。魔力も乏しい。棄権するなら今のうちですが」

「これまでの戦局を見てなお、そのような口を叩けるとはな。随分と余裕だな、シリル?」

「……」


 確かに、とシリルは眼を細める。

 これまでの戦闘があった以上、あの研究者にも特別な『何か』が存在する可能性がある。

 もはやシリルの中に、ジルの直属の部下とでもいうべき集団に対する見下しは一切存在しない。人材不足なのは違わないだろうが──その質は、大国の戦略にも匹敵する。


(戦争になれば、物量で押せば問題ありませんが)


 その場合は、確実に隣の男が戦場に現れる。

 そうすれば自分と相棒はこの男の相手に集中せざるを得ないし、後方支援部隊として魔術大国も出てきたらどうしようもない。


(となるとやはり……)


 やはり、四番目の試合。

 そこに全てを賭けるしかないかもしれない。


 ◆◆◆


「……キミからはあまり力を感じないんだが、棄権した方がいいんじゃないか? やる気もなさそうだし」

「それはそうだろう。私は残念なのだよ。キミ程度の者が相手という事実が。これではやる気も削がれるというもの」

「……残念? 僕はこの国の戦士団の団長を務めている。相手として、不足はないと思うんだが」

「知っているとも。竜使族以外の人間だけで編成した戦士団だろう? それが残念なんだ」

「……?」

「残念でならないよ本当に───貴重な竜使族の検体を得られる機会だと思っていたというのに。私は、ただの人間に興味はないのだよ」


 ぞくっ、と団長は背筋が凍りつくのを感じた。一瞬だけ見せたセオドアの表情。それに、激しい悪寒を掻き立てられる。


(な、んだ……?)

「まあ、多少頑丈な人間で実験を行うのも悪くないか」

(僕は、何と戦おうとしている……ッ!?)

「最近、新しく様々な薬を調合してみたんだ。非殺ということは、死ななければ何をしても構わないということだ」


 紫色の魔方陣が、セオドアの背後に展開される。

 激しい光を背に、セオドアは眼鏡を中指で軽く押し上げながら笑った。


「竜使族、そして竜。研究してみたかったが仕方がない。ジル殿の目的を達成すれば、いずれ機会は訪れるだろう。……ああ、そういえばジル殿はある程度好印象を与えるような戦い方を、と言っていたか。ふむ。ではそうだな。見栄えを大事にしつつ、観客達には見えない範囲で実験を済ませるとしよう」


 そして現れたるは、神々しい光を放つ白馬。呆気にとられる団長をよそに、セオドアは口を開く。


「この馬の蹄には毒が塗られている。さて、どうするかね?」

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