エピローグ

「さてとジル少年。いや、青年? まあいいや。国を出る前にさ、ボクと遊ぼうよ」


 いつも通りの笑みと共に放たれ、しかしなんの感情も込められていない声音。敵対行為と認識したキーランが静かに俺の前に立とうとしたが、俺はそれを腕を上げることで止めた。


「遊ぶ、か」


 ステラの意図を全く読み取れないという事実に少しばかり驚きつつ、それを表に出さないよう努める。

 冷然とした超越者たるジルを演じながら、俺はステラと相対した。


「あいにくと、貴様と違い私にそのような暇はない。本来であれば極刑に処すところだが……同門のよしみだ。此度は見逃してやる。そこをどくが良いステラ」

「いやいや、無理矢理にでも付き合ってもらうよジル少年」


 次の瞬間ステラの足元から氷の波が噴出され、それに触れた俺の足が凍結する。

 だがそれは、舞い上がった黒炎によって相殺された。一瞬で溶けた氷を見て、しかしステラの表情は崩れない。


「魔力量は師匠を凌駕していて、技術面で師匠に近い領域にいて、才能面でも迫っている辺りがほんと規格外だよねー」


 視界を吹雪が埋め尽くし、回避すべく俺が飛翔する。空中に躍り出た俺を追うように、ステラもまた飛行魔術を発動させた。


「貴様に勝ち目が無いことは自明であろう。生産性のない無駄な行為はやめておけ」

「面白いこと言うじゃん。ジル少年は勝ち目がない相手には挑まないの? いーや違うね! キミは多分、格上相手にも挑むでしょ!」


 ステラの言葉に、思わず俺は眼を細めた。


(……まさか)


 言い回し的になんとなく察したが、しかし完全には掴めない。とはいえもはや言葉では止まらないであろう事だけは確かであると思考をまとめた俺は、ステラに向けて炎属性の魔術を放った。それに対して、ステラは水属性の魔術を放つ事で反撃。


 炎と水がぶつかり合って爆発し、白い蒸気が周囲を包み込む。


「昨日のエミリーとの会話を聞いて、ボクは思った事がある」


 覆い隠された視界の中、ステラの言葉は続いた。


「それを確かめる為に、ボクはキミに挑むよ。ボクの進む道をどうするのか、それを決める為に」


 そして。


「世界を侵すは我が魂───」


 そして紡がれていく特級魔術の詠唱に、俺は内心で驚愕する。


(バカな、彼女は特級魔術を使えないはず)


 いやよく見れば魔力は乱れに乱れている。つまり制御しきれていない。

 クロエとは異なり周囲ではなく彼女の四肢が凍てつき始めていて、間違いなく成功はしないと確信出来る。


「零れ出すは万象の理───」


 だがしかし、彼女は詠唱を止めない。

 表情には苦悶が浮かび上がっていて、彼女の額から流れる汗が冷気によってすぐ様凍結していく。

 特級魔術の暴発は、超級魔術のそれとは桁違いの被害を自分を含めた周囲に与える。それこそ間違いなく、術師本人が死亡する程度には。


 無駄な行為。やめておけ。自殺志願者。度し難い阿呆。愚者。そんな言葉が浮か───ばなかった。

 そして気付けば、俺は魔術を発動しようとしていた手を下ろしていた。

 ステラの詠唱が周囲に反響して、俺はそれを眺めるだけ。


「構築されるは天地の理───」


 まったく。こんなもの、止めようと思えばいつでも止められるというのに。俺という存在に、対外的に見て敗北のような姿は許されないというのに。神々を相手にしようとしているというのに、こんな寄り道なんて本当。

 

 ああしかし。


「そして世界は凍結する───」

 

 ああしかし、目の前の少女の"輝き"は───


詠唱完了フルスペル


 ───目の前の少女の輝きは見届けるべきだと、そう思ってしまった。

 故に、この結末は必然。


「永久凍土」


 世界が白銀色に染まる。

 歪で、クロエの放ったそれと比較すれば大きく劣り、お世辞にも成功とは言えない特級魔術のような何か。


 けれどその星の輝きは───俺という存在に、確かに届いた。












「あー。失敗しちゃったか、残念」

「カケラもそう思っていない顔でよくもまあ、そのような口を叩けたものだ」

「手厳しいなあ。それよりも聞いてよジル少年。なんと自分の魔術に凍結させられてもね、そんなに気持ち良くないんだよ」

「世界で最もどうでもいい情報を笑顔で口にするな」

「やっぱり師匠の魔術は綺麗だし、凍結させられると幸せな気分になれるよね」

「貴様と私は住む世界が違うようだ。突き落としてやろうか」

「レディの扱いがなってないぜ」

「貴様はじゃじゃ馬であってレディではない」

「ひどすぎる」

「ふん。それで──届かぬ星は見えたか?」

「あー、気付いちゃうか」

「私をその辺の有象無象と同じにするな。貴様の意図を掴めた以上、もはや不敬とは言わん。だが私の頭脳を愚弄するというのであれば、極刑に処すが?」

「それは勘弁かな」


 そんな風に軽口を叩きながら、俺は地面に降り立つと抱えていたステラをゆっくりと下ろす。彼女は少しだけよろめいたが、しかしなんとか起立した状態で踏み止まった。


「やージル少年。昨日のエミリーとの会話を聞いてから困った事に、ボクはキミが伸ばした手の先にあるものが気になってしまったらしい」


 そして彼女はわざとらしい口調で、俺に対して顔を向けると。


「てな訳で、ボクはキミ達に付いて行こうと思うんだ。まあたまに休暇をもらって師匠の所に帰ると思うけど」


 そう言って、彼女は笑みを浮かべるのであった。


 ◆◆◆


「皇帝陛下。至急、お伝えしたい事がございます」

「至急ですか。それは、魔術大国を包み込んだ吹雪と関係が?」


 とある国のとある城の玉座の間。

 そこで、玉座に腰かけた柔和な笑みを浮かべる青年と、跪いた状態の老執事が向かい合っていた。


「はい。なんとかの国が、『神』を信仰し始めたとの情報が伝達されました」

「……あのイカレた魔術狂いの国家が、神ですか」


 青年は顎に手を添えて───その口元を酷薄に歪めた。そんな主人の姿を見て、老執事と側に控えていたメイド達が思わず震え上がる。


「魔術国家が宗教国家に早変わりですか。まあ、元々狂信的な面を持ち合わせてはいましたからね。おかしな話ですが、しかしあり得ない話ではないですね」


 青年が右手を上げると、背後で重音が響いた。そのまま青年は背後にいる『何か』を愛おしそうに撫で回しながら。


「全く、くだらない」


 撫で回しながら、その声から一切の感情が消え去った。


「神などという存在に縋り付かねば生きていけない脆弱な国家に成り下がった魔術大国など、恐るるに足りない。あの国家の優れていた点は、曲がりなりにも国民の全員が強者だった点だ。『氷の魔女』という突出した個を有していながら、しかし彼らは自分達の道を歩んでいた。正直魔術大国の価値観は理解出来ませんが、その点に関しては少なからず好ましく思っていましたよ?」


 青年は玉座から立ち上がると、彼の背後にいた『何か』もゆっくりとその首を持ち上げた。

 ピシリ、と床に亀裂が走る。


「だが、堕ちたな魔術大国マギア。神? くだらない。実にくだらない。神々なんて存在は誰も救わない。やはりこの世界を導くのは、僕達こそが相応しい。神というのが何かは知らないけど───僕自ら攻め入り、滅ぼそうか」


 青年───『龍帝』はそう言って冷徹な視線を窓に向ける。その視線が映すものが何かは、青年と長い付き合いの老執事にも読み取れなかった。


 ◆◆◆


 この世界ではないどこか。

 そこで、紅色の髪を持つ青年が閉じていたまぶたを開く。


「やはりあの程度の依り代ではあれが限界か。まあ、所詮は『最高眷属』最弱の男だ。ただ不死の適性があったから、添えてやっただけ。俺様を降ろすには、あらゆる面で足りなさすぎる」


 そこまで言って青年、エーヴィヒは欠伸を漏らす。


「しかしあの雛鳥……いや、男の底を見るには他の『最高眷属』でも足りんだろうな。まあいきなり頭を狙うより先に、手足をもぐとしようか。それなりに力を与えてやればそれくらいは出来るだろう」


 右手に闇を、左手に血を纏うエーヴィヒ。彼はそれをじっと眺めると。


「しかし分からんな……俺様が『完全な存在』に至る為の残りのピースが。あの男の『何か』に対して致命的に相性が悪い時点で、それは『完全』ではない。弱点を持つ『完全』など、あってはならんからな。……さて、俺様は俺様で動くとしよう」


 ◆◆◆


 理由は分かるようでイマイチ分からないが、しかしステラの勧誘という目的も果たせた。

 それなりに考えた策やら計略が上手く働いたかどうかは微妙なラインとはいえ、まあ、結果だけ見れば大金星と言える。


「まさかジルくんが王様だなんて思いませんでした」

「ボクもびっくりだよ。あれ、てことはキーランくんもお偉いさん?」

「私はジル様の所有物。それ以上でも、それ以下でもない」

「ジルは私が育てた」

「師匠その言葉気に入ったの?」


 行きも中々に騒がしかったが、帰りは更に騒がしい。

 ステラが俺に付いて行くという話をクロエに伝えたところ、なら見送りをするという話になった。俺としても別に断る理由もないので、これを承諾して今に至る。


(俺の国を気に入って、クロエとエミリーが移住してくれる可能性もあるしな)


 精神安定剤的な意味でエミリーが欲しいという感情は消えていないし、クロエだって戦力的な意味で手元に置けるなら都合が良い。

 インフレ後の彼女は、非常に強力な戦力だ。それこそ、神々相手に戦闘の領域に立つ事すら可能なほどに。放っておいても彼女なら神々相手に喧嘩を売るだろうから正直いなくても構わないが、俺の手駒として動いてくれるなら頼もしくはある。


 ……まあ正直彼女達は魔術大国で不自由がない生活を送ってるので、移住はないとは思うが。ダメ元というやつだ。

 しかしふむ……交渉材料は探しておくか。

 















「えっ」


 それは、まさしく地獄のような光景だった。

 このような光景が生み出されるなど、常識的に考えてあり得ない。一体全体、国民がどのような価値観を有していればこんな国が完成するのか、全くもって理解不能。


 老若男女問わず、全ての人間が下着以外を脱ぎ捨てた状態で、祈りを捧げている町。

 一種の神聖さすら感じさせるそれらだがしかし、目の前に広がるのは結局のところ半裸の集団である。

 そんな世界が果たして存在していいのかと、この場にいる人間が一人を除いて絶句した。


「ジ、ジル少年……? こ、これはなんだい……? き、キミの国はどうなってるのかな?」


 俺の肩を掴みながら、ドン引きした表情を浮かべてステラが尋ねてくる。

 そんなもの、俺が聞きたい。この国の責任者は誰だ。どうにかしろ。俺じゃねえか。


「あ、悪法……!? ふ、服を脱ぐ事を強制する悪法を敷いた……暴君……!?」


 瞳に涙を溜めたエミリーが、青褪めた表情で俺に視線を送ってくる。

 信じられないものを見たといった様子が、彼女の絶望感を如実に表していた。


(違う、違うぞエミリー。違うんだエミリー。誤解だ。これは何かの間違いなんだ)


 ジルの仮面を投げ捨ててでも弁明したいが、投げ捨てたところで目の前の光景を俺はなんて説明すれば良いんだ。

 これは紛れもなく現実であり、そして俺の国の国民達。


 誤解だなんだの言ったところで、広がっている光景が変化する訳ではない。浮気ではない浮気現場を目撃された旦那の気持ちとはこういうものなのだろうか、とまったくもって知りたくなかった気持ちを俺は痛いほど理解してしまった。


「……」


 クロエが虚ろな瞳で、虚空を眺めている。

 俺も彼女に続いて現実逃避をしたい気持ちでいっぱいだったが、そんな事をすれば状況は更なる悪化を遂げるだろう。故に俺は膝を屈しそうになる気持ちを必死に抑えながら、この場で唯一平然とした様子のキーランを見た。


「お前達、ジル様のご帰還だ。信仰を捧げるぞ」


 俺の視線の先でキーランは洗練された動作で服を脱ぎ、俺の眼前で頭を垂れて膝を突く。その一連の流れは芸術の域にまで達していて、もはや余人に違和感を抱かせない。

 おかしい。どう考えてもおかしい状況なのに、キーランがそれをする分にはもはや自然とすら思えてしまう。その無駄に磨き上げられた技術はなんなんだ。


 町の住人達はそんなキーランに対して「なんという信仰だ……」と感動したように深く頭を下げた後、俺に対して一斉に平伏し、


『神たるジル様! 万歳!』


 謎の喝采をあげるほぼ半裸の集団。

 凄まじい圧に思わず足が後退しそうになるが、しかし俺は負けない……俺は、俺は───


「や、やっぱりジルくんがこんな恐ろしい事を強制して……!? こ、こんなの……こんなのって……! これが、これがジルくんの目指しているものなの!? 全世界を、半裸で染め上げようと……!? 確かに、確かに果てしないだろうけれど……! な、なんか思ってたのと違う!」

「少年……ボク、流石にこれはどうかと思うんだ……これはちょっと……これはちょっと……」

「……」


 ───俺は、内心で膝を屈していた。


 表面上はこの光景にも動じない平然とした姿を演じているせいで、間違いなく誤解が加速している。

 この光景に動じないという事は、この光景を当然であると認識している事に他ならない。かといって動揺という感情を表に出せば、ジルというキャラクター像に亀裂が走る。


(考えろ考えろ考えろ。どうする。どうすればこの状況を打破出来る!?)


 誤解を解こうと全力で思考を巡らせているが、しかし俺がこの国の王という時点でどうしようもないのではないかという結論に至ってしまう。

 加えて。


(彼らの心の声の信仰ボルテージが上昇するたびに、微妙にではあるが俺の能力が向上しているのを感じる───!!)


 まさか、まさかそういうことなのか。

 俺の能力があの時向上し、魔術大国の一件以来も微増したのはそういうことなのか。

 そしてそういうことだとするならば、俺は目の前の光景を止めることができない。

 メリットとデメリットを天秤にかけた場合、メリットの方が最終的な目的を考えたら大きい。


 俺の目的は神々の打倒であって、別にエミリーとクロエを攻略するギャルゲーをやっていたわけではないのであるからして。


 だが、だがしかし。


「……ボス、帰ってきてくれたか……」

「……」

「ヘクターに、セオドアか……」


 そんな風に俺が全力で脳を回転させていると、奥の方から疲れ切った様子のヘクターとセオドアが現れた。

 ヘクターはともかく、セオドアがここまで参った様子なのは意外も意外だが───この国の現状を思うと、なんとも言えない。


「王都から半裸の集団が来るぜ……ボスに、信仰を捧げ、に……」

「……私は、研究室に帰らせてもらう……。私にはもはや、どうしようもな……」

「……」


 そう言って、膝から崩れ落ちるヘクターとセオドア。

 二人の勇姿をしかと目に焼き付けた俺は天を仰ぐ。仰いで、内心で叫んだ。








 助けてくれ。


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第2章読了誠にありがとうございます。ここまで読んで面白いと思って頂ければ、現時点の評価で構いませんので⭐︎かレビューを頂けると幸いです。更新の励みになりますので、よろしくお願いいたします。半裸の信仰をください!

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