『伝道師』降誕

「おやおやおやおやおやおや」


 始めの内は驚愕に目を剥いていたサンジェルだが、しかし次の瞬間にはいつも通りの胡散臭い笑みを貼り付けていた。

 

「いやはやいやはや。『氷の魔女』と貴方を一度に相手するとなると非常に時間がかかりそうだと思っていましたが、実に、実に幸先が良い。単身で私の手元に転がってきてくれるとは」


 くつくつ、とサンジェルは笑う。

 自身の目的が楽な形で手に入る未来を想像してサンジェルは愉悦に浸り、そしてジルの先の言葉でより一層笑ってしまうのだ。


「それにしても、随分と愉快なご冗談を口になさりますね。届かぬ理想に手を伸ばす事が滑稽なのは、自明の理でありましょうに」


 嘲るような口調。

 いや事実、サンジェルは嘲笑っているのだろう。天に輝く星を綺麗だと思い、それに手を伸ばし続けて足掻あがく事の愚かさを。


 何故、無駄だと理解して大人しくしないのか。叶いもしない事に時間を割くなど無意味だとは思わないのか。その他にも様々な価値観や思想を込めて、サンジェルは嘲笑う。

 無意味で醜く無価値で無駄で愚かで滑稽こっけいな少女を、サンジェルは嘲笑うのだ。


「……」


 それに対して、ジルは一切顔色を変えないままだった。あからさまな挑発に乗る事なく、いっそ不気味なほどの無表情。周囲を圧する超然とした空気を放ちながら、彼はゆっくりと口を開いた。


「貴様如きがこの小娘の積み上げたものを推し量り、侮辱するなど笑止千万。見果てぬ夢に手を伸ばし、研鑽を積まんとする高潔な精神、積み上げてきた誇り、何よりその姿勢。───その全てが、私には好ましい。私にとって、彼女は敬意を表するに値する存在だ」


 故に、と。

 エミリーを抱く手の力を強めてジルは言葉を続ける。先ほどまで静かだった空間に歪みが生まれ、世界が少しずつ震撼していく。

 

「故に私は貴様の言葉を否定する。……ふん、先の言葉は訂正するぞ道化。決しようなどと言ったが、これは論議でもなんでもない。私のエゴだ。私のエゴをもって、私は貴様の全てを否定する。貴様の全てをぶつけるが良い。私はそのことごとくを真正面から上回り、打ち破り、貴様の全てを叩き潰してくれる」


 瞬間。ジルを中心に空気が逆巻いた。

 空間ごと押し潰してやろうと言わんばかりの魔力の奔流が世界を軋ませ、サンジェルに襲い掛かる。木々が騒めき、氷の大地に蜘蛛の巣のような亀裂が走り、サンジェルの足元が僅かに陥没した。


 特に何をした訳ではない。

 ただ抑えきれない感情が溢れて、魔力という形でこの世界に漏れただけだ。純粋性の発露、とも言えるかもしれない。

 そんな、あまりに純粋すぎるそれを受けて。


「純粋。なんともまあ、純粋な方ですね。冷然とした表情を装ってこそいますが、中身は見た目通りの精神性……幼いと言っても良いでしょう。それにまあなんとも長々しく講釈を垂れていましたが、結局言いたいのは『ムカつくから潰してやる。かかってこい』ですか。まさしく現実を知らぬ若造の戯言であり、力に溺れた者の傲慢であり……くひっ」


 人を小馬鹿にしたような声音と共に、口元に弧を描いたサンジェルは悠然と両腕を広げた。

 直後、彼の足元から闇と影が溢れ出し、ジルの放つ威圧と真正面からぶつかり合う。先ほどまでの戦闘は本気であっても全力ではないと言わんばかりの禍々しいオーラが、サンジェルを中心に空間を満たしていく。


「くひっ。ああ、本当に───鬱陶しくて仕方がない。不愉快、不愉快ですよ本当に。多少優れているだけの人間風情が、思い上がらないでください」

「貴様如きがこの私に思い上がるな、か。吠えたな道化」

「見下す相手は選んだ方がいい。己の無知を晒しますよ」

「ほう、私に無知と申すか。面白い。では、どちらが無知か裁定といこう」

「っ!」


 黒い炎が舞い上がる。

 それをサンジェルは自身の周囲に漂う闇を噴出させる事で凌ぎ、そのまま闇の波に飛び乗ってジルのいる上空まで躍り出た。


「成る程、その若さで無詠唱で超級魔術を放つ程の魔力と技量。鬼才というのは真実のようですね」


 だが、とサンジェルは嗤う。

 所詮は先ほどの三文芝居の焼き直しだ。確かに炎によって焼却されては再生に多少なりとも時間がかかるが、それだけ。

 この身を殺すには到底足りず、それ故に自身に敗北はあり得ない。


「呪詛 天蓋羅刹てんがいらせつ───」


 天を覆う程の闇を展開する。

 そしてその闇を洪水のように大地に降り注がせて、この範囲にいる全ての生命を魔王様に献上させてみせよう。


 この森の上空全てを覆う闇となるとそれなりに呪力を消費するし目立つ事になるが、目の前の少年を傀儡に出来るのであれば安いもの。潜在能力では『氷の魔女』をも凌駕するかもしれない存在を前にして、出し惜しみなどしていられるか。


 そして。


「変───」

「神威解放」


 そして、天を覆っていた闇は吹き飛ばされた。


「……は?」

「貴様は、大地を覆う闇を消し飛ばした先の出来事を忘れたのか?」


 呆れた、といった様子のジルの言葉に、サンジェルは己の理解が追いつかない。


莫迦ばかな……」


 目の前の少年が呪詛に対するなんらかの対抗策を有している事は把握していた。

 だがしかし、これはまるで意味が分からない。

 今のは先ほどのそれとは規模も質も全てが違う闇だった。比較的狭い範囲の大地を侵食していた闇と、森の上空全てを覆う闇とでは完全に規模が異なるはず。


 だというのにその全てを、払拭するだと……?


「あり得ません!!」


 叫びながら、サンジェルは言葉を唱えた。

 持てる力の全てを目の前の少年にぶつけて完膚なきまで叩きのめすと言わんばかりの気迫を滾らせて、彼は両腕を振るう。


 呪詛 羅刹変容

 呪詛 混沌舞踊

 呪詛 魔性門

 呪詛 漆黒弾

 呪詛 双頭修羅


 呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛呪詛────ッッッ!!


 莫大な呪力の奔流。

 もはや言霊だけで人を殺せると周囲に錯覚させるほどの、禍々しさ。余波の着弾した森の木が一瞬で枯れ、大地が死に、動けないはずの屍達から呻き声があがる。


 空間を塗り潰す影と闇。

 その全てがジルに向かって殺到して。


「無駄だ。貴様のその呪詛とやらは、私には通用しない」

「は、ぁ……?」


 殺到して。その呪詛の全てが、ジルに届く事なく霧散した。

 それどころか、余波で飛んでいった闇すらもがいつの間にか消滅している。


 それこそ、始めからそんなものはなかったと言わんばかりの呆気なさ。

 何も、何もジルという人間には届かない。

 自身の絶対が、絶対たり得ない凡百に成り下がっている。


(あり得ない……こんな事は、あり得ない)


 伝道師により選ばれた誉れ高き『魔王の眷属』の中でも、最高眷属に位置付けられている自身の操る呪詛が、何もかも通用しない。

 そんなバカな話が、あるというのか。

 ここまで、ここまで無力化されるなど、そんな事があるのか。


(いや、違う……これは)


 無力化ではなくこれは──否定ではないか? と、サンジェルは唐突に思い至った。

 呪詛という力を、あの少年は根本から否定する『何か』を放っているのではないか。

 何もなかったかのように呪詛が消え失せるのは、それが原因ではないのか。


(なんだ、それは……)


 一方的にこちらの『呪詛』を否定する異能。

 そんな理不尽が、今自分の目の前に君臨しているとでもいうのか。


「ふざけるな!!」


 そんな事は許されない。

 我らの『呪詛』を否定するという事は即ち魔王様を否定する事であり、そんな横暴は到底許される事ではない。


 闇を操作しながらジルの近くに移動したサンジェルは、闇の上から鋭い蹴りを放つ。


「貧弱にすぎる」


 だがそれは、蝿でも叩き落とすかのような単純な動作で振り払われた。


「速すぎる……!?」

「違うな。貴様が遅い」


 足が消し飛んだ。

 単純だが速すぎる動作に目を剥いてしまう。

 だがしかし、この程度であれば直ぐに再生───しない?


「貴様のその不死性。『伝道師』とやらによって仕込まれたものだろう?」

「っ!」


 混乱するサンジェルを見向きもせずに、意趣返しとばかりにジルが踵落としを繰り出してきた。

 咄嗟に回避しようとするが、間に合わない。


「くっ!?」


 右腕の肩から先が消し飛ぶ。

 痛みはないが、やはり再生しない。


(何故、何故……!?)


 焦燥に駆られるサンジェルと、最初の定位置から動く事すらしないジル。

 その一方的な戦況が、両者の間に隔たる壁の大きさを如実に表していた。


「『伝道師』とやらも面妖な術を編み出したものだ。物事の道理に反する術。道理の否定に近いその力。いや、これは現在の世界そのものを否定……? 現在の世界は……いや、まあ良い。不愉快な事に、貴様に人の術は効果が薄いらしい。正確には効果はあるのだろうが、少なくとも最適解ではない。必要な出力が高すぎる」


 ゾクッ、とサンジェルの背中に悪寒が走る。

 キーランが『加護』を使用しようとした時の比ではない悪寒に、サンジェルは反射的に『呪詛』を発動させようとして───


「貴様には過ぎたるものだが、『伝道師』とやらの業には興味が湧いた。故に、私の真髄を見せてやろう」


 そして次の瞬間、ジルの存在としての格が上昇する。

 自らの"死"を錯覚したサンジェルは、顔を青褪めさせながら足場の闇ごとその場から大きく飛び退いた。


「な、なんだその……その……なんだ!? それは、それは間違いなく魔王様への冒涜に他ならない!!」

「憶測に過ぎんが貴様のそれは人の理への叛逆だ。ならばそれを否定するのは、神の法に他ならない」

「訳の分からない事を……!」


 呪詛を放つ。腕を振るわれて消し飛んだ。

 ならば、と捨て駒たちを爆破させる。何事もなくその場に君臨していた。

 呪詛を放つ。何も通じない。

 呪詛を、呪詛を───


「魔王様を否定する力など……!」


 もはや勝敗は決した。

 サンジェルではジルに、万に一つの勝ち目もない。


「言ったであろう。私は、私自身の身勝手で貴様の全てを否定すると。故に私は、貴様が信奉する魔王とやらも否定する」


 そして、サンジェルは終わった。

 上半身と下半身が分かれ、頭部の六割が消滅する。

 再生は───しない。


 ◆◆◆


 ───私は、終わったのか。


 上空から落下していく。


 ───死にたく、な。


 己の全てが消失していく感覚。

 初めて訪れる、死。

 それに絶望しながら、サンジェルは。


『いや、お前にはまだ働いてもらおう』


 ───ガッぼgぎゅym!?


 サンジェルは。


『面白い。実に面白い。俺様とは異なる手法で、あの幼子は「絶対」に踏み込もうとしている。互いに道半ばだが、だからこそ異なる見解を得るのは効率的かもしれんな』


 サンジェルは。


『あの幼子はどこまでの知識を有している? 俺様が知らない情報を幾つ保有している? 何より、どの段階まで生物としての昇格が進んでいる? 興味深い。実に興味深い』


 サンジェルは。


『お前達は所詮、俺様の捨て駒だ。ならば精々役に立てよ。どうせ死ぬのなら、幾ら使い潰しても結末は変わらんだろうしな』


 サンジェルは。


『ああそれと、お前は愉快なことを言っていたな。自分の力を絶対とかなんとか……バカめ、そんな訳があるものか。俺様も、あの幼子も、絶対には程遠く、故に今はまだそれに手を伸ばし続ける存在でしかない。俺様やあの幼子に劣る以上、お前は絶対なんかじゃあない。滑稽なのはお前だ。その場に停滞しか出来ないゴミが。全く、俺様直々に殺してやろうかと何度思ったことか』


 サンジェルは。


『さて、ではそれなりに「力」をくれてやる。欲しかったんだろう? 良かったじゃないか。おめでとう。祝福してやるよ。さてさて、少なくともあの幼子を装った怪物の底を見れる程度にはお前の肉体には働いてもらうぞ……。さてさて……はて、お前なんて名前だっけ?』


 ◆◆◆


「あ、ありがとうジルくん……」

「……」

「ジルくん……?」


 困惑したような表情を浮かべるエミリー。

 俺は、それに返事をしなかった。





 いや正確には、返事をする余裕がなかった。





 轟音が響いた。

 そしてドス黒い闇の霧が『魔王の眷属』の死体から噴出され、周囲一帯を覆い隠していく。


「ひっ」

「……神威解放」


 上空に飛翔しつつ、俺は神威を解放。

 闇の霧を消し飛ばそうとする。

 先ほどまではこれで、全ての闇が消し飛んでいたが───。


「チッ」


 それだけでは足りなかった。

 少年の姿では『神の力』を放出出来る限界値が低すぎる。元の姿ならともかく、今の姿で闇を消し飛ばすのは不可能。俺やエミリーの周囲を覆う闇を吹き飛ばす程度の出力しかない。


(俺とエミリーの安全は確保できるが……)


 あまり闇が広がればクロエが森全体を覆ってくれている結界に綻びが出るかもしれないので、この状況は好ましくない。


「何が起きている……?」


 が、それ以上に好ましくないのは目の前の事象の原因を掴めないことだ。

 闇の異質感と、体にのしかかる圧力。

 俺の肉体が弱体化している事を踏まえても、妙だ。


(なんだ、何が起きようとしている?)


 そして───。


「さあ、見させてもらおうか。俺様と志を同じくする者よ」


 そして俺は、勢いよくその場から飛び退いていた。


「きゃっ!」

「……」


 急激に動いたせいか、エミリーが悲鳴をあげる。

 あの場に留まり続けるのはよろしくない、という直感に従っての行動故に、エミリーに負荷がかかってしまった。

 

(とはいえ直感的に、俺は問題なくても間違いなくエミリーは無事じゃすまないからな……悠長にしてられん)


 そんな風に考えた直後。


 先ほどまで俺達がいた場所。そこに、天を穿つ黒い柱が顕現する。


「目指す地点は俺様と同じ『完全な存在』でありながら、俺様とは全く異なるアプローチでそこを歩む人間。俺様は、お前の事を知りたくて知りたくて仕方がないんだ」


 やがて細くなっていく柱の中から、悍ましい声が響く。

 

「さあ、共に研究の成果を見せ合おうじゃないか」


 そして。


「お前の底を、俺様に見せてくれ」


 血のように紅い髪と紫色の瞳を持つ青年が、黒いスーツを纏った状態で眼前に君臨した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る