『レーグル』vs『魔王の眷属』

「実に! 実に素晴らしい! では始めましょう! 伝道師のお言葉の元、我はこの国の人間全てを魔王様に捧げ! 『氷の魔女』と『ジル』とやらを変容させ! 世界を魔王様へと献上致す足掛かりにさせていただきましょう! 我が名はサンジェル! 誉れ高き『魔王の眷属』最高眷属でありますぞ!」

「うるさい」


 『魔王の眷属』最高眷属、サンジェルを名乗った青年の前口上。それをうるさいと一蹴し、ステラはエミリーを抱えた右手とは反対の左手を振るう。


 途端、氷のつぶてがサンジェルに向かって放たれた。その数は八つ。いずれもが音速を超えているそれら。当たれば瀕死は必至で、常人には視認すら不可能な速度。


「直線的ですねえ」


 が、サンジェルは横に移動するだけでそれらを軽々と回避する。


 回避された礫はサンジェルの背後にあった大木を貫通し、そのまま突き進んで岩を木っ端微塵に打ち砕いた。


「ほうほう……中々に鋭い一撃───」

「随分と、余裕だな」

「っ!」


 岩を砕いた一撃を横目に見ながら笑っていたサンジェルの背後に、瞬時にキーランが張り付く。


 目を軽く開いたサンジェルの首を刈り取ろうと、キーランは黒塗りの短刀を横薙ぎに一閃。黒線と化したそれを、サンジェルはほぼ反射的に身をかがめることで回避した。


「死ね」


 しかしその回避行動は、キーランにとって予測していたものだった。


 キーランは腕を横に振るった態勢を変える事なく、手首だけ動かして短刀をサンジェルの頭に向けて投擲とうてきする。


 キーランの手から一直線に放たれた短刀は、彼の狙い通りサンジェルの頭に突き刺さる──


「危ないですね」


 ──ことはなかった。


 サンジェルの足元の影がうごめいて隆起りゅうきし、必殺の一撃を完全に防ぐ。


 自身の一撃を防いだ影を見たキーランは眼を細めると、すぐ様その場から跳躍して近くの木の上に乗り移った。


「……面妖な」


 一瞬遅れて、キーランのいた地面から影の刃が飛び出す。仮にあの場に留まっていれば、今頃キーランの足は串刺しにされていただろう。


「経験値が良い。動きだした影を警戒してすぐ様移動する。悠長に解析でもして頂けると、助かったのですがね」

「解析か……残念だが、オレにその必要はない。理屈は不明だが、結果だけ見ればお前のやっている事は『影による攻撃』だ」


 影は絶えず蠢いている。


 それを確認しながら、キーランはその瞳を輝かせた。


「【禁則事項】は影による攻撃。【罰──」

「何故か悪寒を感じるのでさせません。呪詛 漆──」

「余所見しすぎだよ」


 キーランを中心に世界が変化した事を感じ取ったサンジェルが、影を収めて人差し指をキーランに向ける。その人差し指に漆黒の球状の塊が形成される寸前、サンジェルは頭上から声を聞いた。


 そして反射的に顔を上に向けたサンジェルの視界が、白に染まる。


「こ、れは……」


 それは上空からステラによって放たれた、局所的な吹雪の渦。


 凄まじい勢いの雪の波に埋もれながら、サンジェルは吹雪から逃れようと身を動かそうとするが──


「そして、こう」


 その前に拳を握り締めたステラにより、足元を完全に凍結させられた。

 そして徐々に、サンジェルの全身は凍結していく。やがて氷像と化して動かなくなった事を確認したキーランは、再度懐から短刀を取り出して。


「死ね」


 短刀が投擲され、それを受けた氷像がサンジェルの肉体ごと砕け散る。

 血飛沫すら上がることなく、凍りついた肉の塊は周囲に四散した。



 ◆◆◆


「終わったねえ。まったく、不愉快な奴だったよ」


 そう言って、気を失っているエミリーを優しく地面に下ろすステラ。軽くエミリーの髪を撫でて、ステラはふと首を傾げた。


「あれ? キーランくん?」

「…………」


 木の上から降りる事なく、砕けた氷の肉塊にくかいを注視しているキーランの姿に疑問を抱く。早く降りて来なよ、とステラは言おうとして。


「なっ」


 言おうとして、ステラは息を呑んだ。


 肉塊に纏わりついていた氷が弾け飛び、徐々に肉塊が動きだしたのだ。


 やがてそれらは中心に固まっていき、そして。


「やれやれ。私が普通の人間だったら死んでましたよ」


 そして、サンジェルという男は蘇った。


「嘘……」

「貴様。何者だ」

「何者、ですか……」


 絶句するステラと顔をしかめるキーランに向けて、サンジェルはわらう。

 嗤って、言った。


「『魔王の眷属』……その最高眷属ですが。何か?」


 次の瞬間、サンジェルに向かって人一人押し潰すのに十分な質量を持った氷柱ひょうちゅう驟雨しゅううの如く降り注ぐ。

 木々を押し倒しながら落下してくる氷柱達を、サンジェルは嗤いながら眺めて。


「私は一人で健気に頑張っているというのに。貴方達は二人で組むなんてズルいじゃないですか」


 サンジェルがパチンと指を鳴らすと、どこからともなく濃い紫色の着物を着た謎の集団が現れる。

 その集団の大多数は一斉に足を縮め、降り注ぐ氷柱に向かって弾丸のように飛びかかった。


「ですので……まあ、やり方を変えましょう。……呪詛 人間爆弾」


 そして氷柱ごと、その集団は爆発する。

 それを見たキーランは舌を打ちながら木の上から離脱し、ステラは爆風に目を細めた。


「そう、そうです。貴方達がやっているように、私も協力プレイというものをしてみようかと思いまして。……呪詛、羅刹変容」


 空が血のように紅く染まる。

 サンジェルの足元を中心に闇が広がり、氷柱に飛びかからずに残った集団を呑み込んだ。


「さあさあさあさあお行きなさい、物言わぬむくろ達よ。貴方達の魂は魔王様に捧げられた。であれば歓喜にむせび泣きながら、職務を遂行するのが当然でありましょうぞ」


 肌の色が黒く変色した、人間ではない『何か』。その全てが、異質な挙動でキーランとステラに向かって走り出した。


「ふん」


 気味が悪い、とキーランは内心で吐き捨てて短刀を構えた。


 とはいえ、幾ら異質とはいえ所詮は格下の相手。


 動きは素人のそれだし、速度も大した事はない。故に簡単に殺す事が出来る。

 そう思考をまとめた彼は相手の心臓を突き刺し、首を刈り取り、次々としかばねを量産して──


「……っ!」


 何事もないかのように腕や足を振り上げる『それ』を見て、軽く目を見開きながら後方に向かって跳躍した。


(……なんだ)


 悲鳴をあげず。

 血も流さず。

 一切怯むこともない。

 何より心臓を突き刺しても頭をねても動き続けるなど、人の道理に反している。


(最初の三人組は、当たり前のように死んだ。サンジェルと名乗る輩は、四散しても死ななかった。……そして目の前の者達は、そもそも自意識がない)


 冷静に、冷静にキーランは状況を分析する。

 身体を動かし続けながら、キーランはこの場で最も最適な行動を叩き出した。


(理屈は分からんが、おそらくこの者達は不死身。しかし、サンジェルと異なり頭部が再生したりはしない。ならば──)


 そして、キーランの姿がき消える。


 黒い線が幾重にも空間をはしり抜け、それらが不死身達の四肢を切断する。

 四肢を失った彼等はその身を地面に崩れさせ、ピクピクと動くだけの木偶でくの坊と化した。


(四肢を奪いさえすれば動きは封じられる。それでも動こうとしているのが、奇怪だが……)


 しかしやりようは幾らでもある。

 そう締めたキーランは、ステラの方へと視線を送った。









「ムカつくなあ」


 不機嫌そうな表情を隠そうともせずそう言って、ステラは目の前の不死身達に向かって吹雪を放った。

 雪の猛攻によって不死身達の動きが鈍り、それを見たステラは足元から氷の波を噴出。


「はい、氷漬け」


 そして、波に飲まれた不死身達の氷像が完成する。

 不気味な氷像を冷めた視線で眺めていたステラは、次いで視線をサンジェルへと移した。


「流石に超級魔術を完全無詠唱で扱う術師は手強いですね」


 胡散臭い笑みを絶やす事なくステラの視線を受け流し、手を叩きながら口を開くサンジェル。

 ステラの表情が歪むが、彼は意にも返さない。


「ノータイムで放たれる魔術。もはやそれは魔術なのか分かりませんよ、私には。しかもその氷属性とやら……非常に汎用性が高いですね」

「うるさいよお前。ていうか凍らせてからバラバラにしたら復活したけどさあ……案外、凍らせてそのまま放置すればどうしようもないんじゃない?」

「着眼点は悪くないですが……最高眷属の私を侮りすぎでは?」


 呪詛 羅刹変容


 空が血のように紅く染まり、サンジェルの足元から闇が広がっていく。

 広がる闇は魔力をたぎらせたステラ──ではなく、気を失って動く事が出来ないエミリーの方へと地を這って進む。



「お前!!」


 闇がエミリーを捉えようとした瞬間、ステラはエミリーを抱き抱えて空中に踊り出た。

 空が元の色を取り戻す景色を背中に、サンジェルは口角を吊り上げる。


「やはり、それがアキレス腱のようですね」

「ッッッ! 殺す!」


 サンジェルの頭上に、先程とは比べ物にならない質量の氷柱が顕現した。

 それを悠然と見上げつつ、サンジェルは言葉を続ける。


「まあ直接私に短期決戦を望むのは必然ですが……私自身の実力が大したことないと思われるのは、心外ですね」


 呪詛 魔性門


 禍々しい巨大な門が、サンジェルの頭上に横向きに現れた。

 その門の扉が開くと、落下した氷柱はその門の中に呑み込まれ、次いで門も空間から消え去っていく。


「くそ」

「ではこちらです。呪詛 混沌舞踊」


 影が鞭のようにしなる。

 それは瞬く間にステラのいる高さにまで至ると、彼女を叩き潰さんと振り下ろされた。


「呪詛ってのはよく分からないけど……そっちがこちらに干渉する以上、ボクの術が干渉出来ない道理はないだろうが!」


 それを防ごうと、ステラは半球状の透明な氷の防壁を前方に顕現させる。念には念をと超級魔術を放つのに必要な魔力量と同等の魔力を込めたそれは、鞭の一撃を完全に防ぐ、


「!?」


 事なく、通り抜けてきた影を慌ててステラは回避した。

 回避して、標的を失った影の鞭が着弾した木に一切衝撃が走っていない事を把握。


「フェイク!?」

「ご名答。いやはや、一度で看破するとは察しが良い」

「めんどくさいなあ!」


 ステラを中心に冷気が拡散した。

 拡散していく冷気は木々の表面を白紙化させていき、地面を氷の床に塗り替えていく。

 

「これは……空間そのものを自身の魔力で満たすことで、世界を自身にとって都合のいい空間に変化させようと? ……『氷の魔女』の立つ領域に、今この瞬間に至ろうとでも?」

「うるさい。師匠と違って国全域とは言わないし、出力も全然だから環境全体を支配とはいかないけど……。お前を封殺する程度の範囲なら、ボクにだって出来る」

「いや不可能でしょう。あなたは特級魔術を身につけていな───」


 次の瞬間、サンジェルの足元から巨大な氷のとげが噴出した。

 それを跳び上がって回避したサンジェルだが、次々と現れる氷の棘に方針を変更。紫色のオーラを放出して自身を襲う氷の棘を吹き飛ばし、自身の足を凍結させようとしてきた氷の床を踏み砕いて大地を露出させる。


「……ふむ」


 露出した大地が一瞬で凍結した様子を視認したサンジェルは、中空に顕現させた闇に飛び乗る事でステラの攻撃を回避しつつその口を開いた。

 

「成る程、思ったより厄介ですね。『氷の魔女』には及ばずとも、下位互換程度としては成立していると。面倒です。こうしましょう」


 空が血のように紅く染まる。

 サンジェルの乗っていた闇が下降して氷の大地を塗り潰し、そしてサンジェルはステラを見上げながら右手を掲げ、


「呪詛、羅刹───」

「させると思うな」


 ステラに意識を集中させたサンジェルの頭部に向かって、背後からキーランの蹴りが放たれた。

 ステラに向けていた右手をガードに回してそれ受け止めたサンジェル。


「フム。身体能力も非常に高い。俊敏性に特化していると思ってましたが、蹴りの威力も凄まじいのですか……。貴方も欲しくなってきましたね」

「寝言は寝て言え。私の全ては、神たるジル様のもの」

「そう言わず」

「【禁則事項】は影による攻撃の使用。【罰則】は───」

「ああ。それからは何故か嫌な予感を感じるので、させませんよ」


 言葉の間にも、応酬は続いた。

 身を翻したサンジェルが人差し指から漆黒の弾丸を放つ。

 それを紙一重で回避したキーランは懐からナイフを放ち、それは的確にサンジェルの心臓に突き刺さる。


「チッ」

「素晴らしい」

「黙れ」


 キーランがサンジェルの首を刈り取った。

 次の瞬間には頭部の生えたサンジェルが、影の刃をキーランに放つ。

 顔だけを傾けたキーランの頬に赤い線が走る。

 笑みを深めるサンジェルと、表情を変えずに次の短刀を取り出したキーラン。


「無駄ですよ」

「無駄かどうかを決めるのはお前ではない」


 サンジェルの四肢が切断され、切断された四肢の断面から闇が噴出される。

 それを回避して、キーランは続け様に瞳を輝かせた。


「【禁則事項】は」

「させません」

「だろうな」

「でしょうね」


 互いが互いの先の手を読み尽くす殺意のぶつかり合い。

 拮抗する二つの殺意はしかし、サンジェルの不死性によって徐々に形勢が傾いていく。

 そして遂に必殺の影の刃が、キーランの顔面を捉え、


「おや……いや、もしやこれも計算のうちでしたか」


 ようとした瞬間、サンジェルの膝下が凍結した事で影の刃の軌道が逸れる。

 それを確認するより速く、後方に飛び退いていたキーランはナイフを手元から射出。正確に、サンジェルの頭部と心臓を貫いた。


「良いタイミングだったぞ、小娘」

「ボクが凍結させるタイミングも操作してたくせによく言うよ」

「さて、どうだかな」


 ステラの近くに着地したキーランはサンジェルの方へと視線を向け、分かりきってはいたがそれでも現実的ではない光景に僅かに表情を硬くする。


「脳と心臓を同時に破壊しても、死なないか」

「素晴らしい。咄嗟に飛び退きながら放ったナイフで正確無比に頭と心臓を貫きますか。一体どれほど、殺しの業を磨き上げたことやら」


 サンジェルの頭と心臓を貫いたはずのナイフは、しかし笑顔を浮かべたサンジェルによって投げ捨てられた。

 そのナイフには血すら付着しておらず、サンジェルという存在が人間ではないという事を嫌という程思い知らされる。


「いやはやお強い。正直、ここまでやるとは思いませんでした。片や汎用性が非常に高い術を操る魔術師の少女。片や卓越した殺しの技量と嫌な予感を感じさせる力を持つ男。……私がここまで時間をかける事になるとは。これはまだまだ、時間がかかりそうですね」

「……なんだ、貴様のその不死性は」

「伝道師より賜わりし『力』。魔王様の力の一端ですよ。貴方のその不便そうな力と異なり、私は絶対的な力を有しているのです」

「…………貴様、ただで死ねると思うなよ」

「事実でしょう? 完全無欠の力であるならば、その力をもっと高頻度で使用すれば良い。にも関わらず、貴方は使用しない。それは何かしらの欠点があるからに他ならない。違いますか?」


 そして、とサンジェルは視線を動かす。


「そちらの魔術師の少女も手強いですが……その魔力には限りがあり、私を追い込もうとすればするほど消費する魔力の量が増加している。つまり、このまま持久戦に持ち込めば私に敗北はあり得ません。加えて、貴方達は気を失っている小娘を庇う必要がある」

「……」

「しかし、私には何も制限がない。そう、何もないのですよ。不死という特性を有する私は、ただただこの無為な戦闘を継続しているだけでいい。そうすれば、いずれ私の手元に勝利は必ず転がり込んでくる。少しばかり戦闘の真似事なんてものをしてみましたが、そんな酔狂に付き合う必要は私にはありません」


 パチン、とサンジェルが指を鳴らす。

 すると先ほどと同じ服装に身を包んだ、多くの人間達が奥から姿を現した。


「では始めましょうか。結末の分かりきった三文芝居を」


 ◆◆◆


「凄いですね。まさか一時間以上もこんな戦闘を継続させるとは……」


 短刀やナイフがあちこちに散らばり、地面や木々が凍結している。

 世界は白銀色に染まり、雪や氷の結晶が舞っていた。

 そしてそんな景色を彩るのは、多くの人間の形をした何か。凍りつき、四肢を失い、頭部を失い、氷像と化したそれらが、何十とそこらを転がっていた。


 そんな歪な氷の世界で、サンジェルは笑みを浮かべながら周囲を見回す。

 見回して……両膝を突く少女と気を失っている少女。そしてそれらを庇うように前に出て、頭から血を流している男を見た。


「弱者の盾になる、ですか。涙ぐましい姿ですね」


 そう言って、サンジェルは言葉を続ける。


「貴方の勝ち筋は、その足手まとい二人を早々に切り捨てる事でした。羅刹変容をチラつかせるだけで、貴方はその二人を抱えて移動する必要がある。貴方が『加護』とやらを撃とうとした瞬間にさえ気を使っていれば良い私と異なり、貴方は並列して考える事としなければいけない事が多すぎた」


 それはそれとして、とサンジェルは思考する。


(あのキーランという男。明らかに異常すぎる)


 一体何が彼を突き動かしているのか分からないが、とてもじゃないが人間とは思えない。


 ステラという少女も、予想以上に手強かった。ただ怒りという感情により出力が増加していたとはいえ、その結果魔力を無駄に消費していた分もあるのでそこは問題ない。


 眼を僅かに細めて、サンジェルはキーランという男を見る。

 

(『加護』という異質な力。アレはなんだ……何故、私にもはや存在しないはずの悪寒を抱かせる? いやそれ以上に……体力や精神力、そして状況判断速度も異常に過ぎる。何故だ。私はあの男の勝ち筋を提示したが───おかしい。事前の情報と違う。『騎士団長』から逃げ帰るしかなかった殺し屋風情が……何故ここまで強い?)


 理解出来ない、とサンジェルは内心で表情を歪めた。

 二人の足手まといを庇いながら、あの男は自身の心臓に何度刃を突き立てた事か。

 その異常性に、流れないはずの汗が背中を垂れる感触を錯覚してしまう。


 これでは、これでは───


「私が貴方に劣るみたいではないですか……不愉快な……」


 一瞬だけ顔をしかめて、まあ良いでしょうとサンジェルは微笑む。

 別に、自分の強みはそこじゃないのだから。

 一瞬だけ不快に思ったが、今となっては穏やかだ。


「では、貴方達を……」

「世界を垂れるは我が魂───」


 突如周囲に響いた声に、サンジェルはキーランに向けていた視線を右の方に動かした。


「フム?」


 そこにいたのは、


「!」

「エミリー!?」


 そこにいたのは、顔を蒼白く染めた茶髪の少女。

 その少女の足は震えていて、手の照準も合っていない。

 しかしそれでも、それでも少女は立ち上がっていた。


「……」


 懸命に呪文を唱えるエミリーとかいう少女。

 必死な様子だ。

 懸命に足掻く者の姿だ。

 成る程、少女の在り方が示されている。


 それを見てサンジェルは軽く頷き、


「滴り落ちるは───」

「くだらない。実にくだらない」

「あぐっ!」


 頷いて、エミリーの顔面を蹴り飛ばした。


「まったく……」


 詠唱を中断し、地面に崩れ落ちたエミリーを不愉快そうに見やりながら、サンジェルは言葉を続ける。


「ここにきて上級魔術ですか? しかも、魔力の流れがめちゃくちゃ。まだ身につけてもいないものを、この私に放とうと? 滑稽。実に滑稽」


 そしてそのまま、サンジェルはエミリーの頭を踏みつけた。


「貴様!」


 サンジェルの行動を止めようとキーランはナイフを放ったが、しかしサンジェルはナイフを見る事すらしなかった。

 自身の頭部に突き刺さったナイフを気にする事なく、サンジェルは何度も何度もエミリーの頭を踏みつける。


「才能無きあなたが、『氷の魔女』を理想として手を伸ばしたところでなんになるというのです?」


 目を血走らせたステラが魔術を放とうとし……もはや氷の礫すら出せない現実に、己を呪いながら地面を殴りつけた。


「不愉快。不愉快極まります。非合理的です。自分の身の丈に合った立場をとるべきところを……」


 世界が紅く染まった。

 闇がサンジェルの足元から広がり、エミリーの体を侵食していく。


「まあ良いでしょう、予定変更です。まずは貴方から、私の傀儡にしてくれます」

「……!」

「エミリー!」


 全身に力を込めて、立ち上がろうとするキーラン。

 悲痛に表情を歪め、叫ぶステラ。


「……」


 闇に呑まれながら、二人の顔を見たエミリーは薄く微笑んで───


 ◆◆◆


 才能がないと、言われた。


「……」


 致命的に魔力が足りないと言われた。

 魔力操作のセンスがないと言われた。

 属性付与が出来ないのかと言われた。


 詠唱の暗記に四苦八苦してたら見限られて、事象を示す数式の意味に頭を悩ませると呆れられた。


 貴方の魔術の面倒を見る暇はないと言われた。

 別に魔術師にならなくても良いと言われた。

 他国への移住を薦められた。

 上層部狙えば良いんじゃないと適当に扱われた。


 他の人達と同じように魔術が好きなのに、私には才能がない。

 学術書を読んでも、よく分からない。

 感じ取れと言われても、何も分からない。


 動かすだけと言われてもピンとこないし、理論立って説明されても専門用語が多すぎてパンクしてしまう。

 私には、魔術師なんて不可能なのだろうか。


 ……そんな時に、私は見た。

 

 全てが白銀に染まった世界。

 その中心で、悠然と佇む白い女王の姿を。


 『氷の魔女』


 魔術大国の歴史においても最も優秀で、強く、賢しい彼女は私と対極の存在だ。

 目指すなんてあり得ない存在だ。

 でも。


「綺麗───」


 ……でも、仕方がないじゃないか。

 届かないと分かっていても、憧れたんだから、仕方がないじゃないか。

 憧れて、羨望して、自分もそうありたいと思って───それに手を伸ばすのは、当然じゃないのか。


 気が付けば私は、使用人にして下さいと頼み込んでいた。

 『氷の魔女』……クロエ様は表情を変えることなく頷き、その日から私は使用人になった。

 まずは弟子として認めてもらう所からだと奮起して、私は使用人として働きながら勉強を始めた。


 学術書を読んだ、よく分からなかった。

 魔力を練ろうとした、何も分からなかった。

 そんな私を見てもクロエ様は、特に顔色を変えない。

 無表情のままに、けれど少しだけアドバイスをくれる。


 アドバイスをもらう。分からない。

 アドバイスをもらう。分からない。

 アドバイスをもらう。分からない。

 アドバイスをもらう。分からない。

 アドバイスをもらう。分からない。


 分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からない。分からな───


「……ぁ」

「うん、出来た」


 少しだけ、ほんの少しだけだけど、前に進めた。

 明らかに遅すぎる進捗に、けれどクロエ様は何も言わない。

 まだだ、まだ弟子の立場なんて望めない。

 まだ、そんな事を頼む訳にはいかない。


 そんな風に思っていると、初めてクロエ様に弟子が出来た。

 凄い才能を持った少し年上の女の子だった。

 初めて、クロエ様以外で氷属性の術を習得するほどに。

 そしていつの間にか無詠唱で、超級魔術なんてものを扱えてしまうほどに。


 私は。

 私は───。


 ◆◆◆


 闇がエミリーを呑み込んだのを確認したサンジェルは、不愉快そうに口を歪める。

 歪めながら、言った。


「全く、届かぬモノに手を伸ばし、足掻く事しか出来ない無能めが。滑稽極まる。『氷の魔女』への保険として人質に利用したかったですが……まあ良いです。どうせ、私の不死性は突破出来ない。では貴方達も───」















「───ほう。届かぬモノに手を伸ばし、足掻く様が滑稽か。随分と愉快な事を口にするではないか……魔王の眷属道化
















 世界が割れた。


 紅く染まっていた天は蒼天と化し、地を覆う闇が黄金の光によって吹き飛ばされる。


「………………ッッッ!?」


 一瞬の出来事にポカンとした間抜け面を晒していたサンジェルだったが、次の瞬間身体を襲ってきた重圧に目を剥き、勢いよく空を見上げた。


 そこに、


「生憎と、私は貴様とは異なる見解を有していてな。故に、ここで決しようではないか。届かぬ最強モノに手を伸ばし、見果てぬ夢を追い求めて足掻く事が嘲笑に値するか否かをな」


 そこに、エミリーを横向きに抱いた状態でこちらを睥睨へいげいする、絶対者が君臨していた。

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