第一部最凶集団『レーグル』

 なんでもない日常の筈だった。

 男はとある小国に住む、ごく普通の一般市民である。その国は至って平凡な小国で、特筆すべきところはあまりない。列強国と呼ばれている国と比較すれば、取るに足らない国だ。


 特別魔術に秀でてる訳でもなく。

 騎士と呼ばれる主に対人戦闘へ特化した特殊な兵団を擁している訳でもなく。

 龍を飼っている訳でも無ければ、大陸最強の称号を得ている訳でもない。


 敢えて特殊な点を言うならば、国の民が誰も王の姿を見た事がない点だろうか。男も一度は王の住む都市に足を運んだことがあるが、しかし王の姿を見る事は叶わず、またその都市に住む者達も王の顔を知らないという。


 だがそれにしたって、ごく普通の一般市民でしかない男の生活に影響はない。王の姿を知ってようが知らなかろうが、男は平凡な日常を享受できている。妻がいて子供がいて、仕事をこなして、そんな当たり前の毎日。昔は物語の英雄譚なんてものに胸を躍らせていたりもしたが、だからといって国の兵団に志願する事もなかった。


 だからこの日も、男はごく普通の日常を過ごすのだ。自分から行動に移さなければ、日常なんてものは勝手に流れていくものだから。


 ──そう思っていた男にとって、その光景はまさに地獄だった。


「戦えない者はこの場から逃げろー! 私財など今は捨て置け! 命と比べる価値もないだろう!」

「なんだ、なんだこの魔獣共は!?」

「落ち着くんだ! 見た事も無い魔獣だが、それでも魔獣に変わりはない! 首を落として心臓を貫けば殺せる!」

「けど、この魔獣……かてえ!? なんだこれ、金属か何かか!?」

「金属だったら槍が折れて……がっ!」

「っっ!! この、魔獣如きが!」

「お、おい!」

「一人で相手をするな! 一体につき最低三人でかかれ!」

「どこからこんなに大量の魔獣が湧いてきやがる!? 今はまだ国の中にいるのは数体だが……防壁の向こうにいやがる魔獣も含めれば、二十は超え──」

「れ、列強国が魔獣を尖兵に侵略でもしに来たんじゃ……」

「口を動かす暇があったら手を動かせ! 手が落ちれば奴等の喉元を喰い千切る勢いで嚙みつけ! 一般市民を守るぞ!!」


 次々と現れる紫色のいぬのような魔獣に、それらと応戦する兵士達。


 しかし、魔獣の勢いと猛攻は収まらない。あちこちで市民を守る為に立ち向かった兵士達が重症を負い、重傷を負った兵士を庇うように出てきた兵士が傷を負う。


 家屋からは炎が燃え盛り、煙が立ち昇り、平和だった日常は、直ぐに地獄のような世界へと移り変わっていった。


 それらを見て恐怖を覚えた男は即座に逃げようとして──瓦礫の下敷きになっている少女が視界に入った。


 逃げるのが正解だ。

 自分の命以上に大切なものなんてない。

 妻や子供の安否だって心配だ。

 見知らぬ少女なんて知った事か。

 そう自分に言い聞かせて、男は走った。


 ──瓦礫の下敷きになっている、少女の方へと向かって。


「しっかりしろ! 今、瓦礫をどかしてやる!」


 幸いにして、その瓦礫は男が全力を振り絞れば動かせる重量だった。男は瓦礫をなんとかどかして、少女の身を背負って。


「────ッ!!」


 背負って、そこで男の命は終わった。



















「『天の肉体メギンギョルズ』」

 

 終わったはずだった。

 しかし、その未来は変えられた。


 男の前で、一人の青年の拳が爆発する。

 その一撃は兵士達では傷一つ付けられなかった魔獣の頭を容易く粉砕し、一瞬で魔獣を絶命させた。


「よく少女を護った。俺が認めてやる……お前は強い」


 男の心に、青年の声が響く。


「後は俺に任せとけ」


 そして、青年は戦意を周囲に放ちながら、声高々に宣言した。


「俺はヘクター! この国の王、ジルの直臣レーグルの一人! 俺が駆けつけるまで、よくぞ持ちこたえた勇士達! お前達の活躍によって、この国は救われる! 魔獣は一匹残らず、俺が蹴散らしてやるからよぉぉおおおおおお!!」


 防壁を超えてきた魔獣達を前に、青年は拳を握って立ち向かう。


 その日。

 男は、奇跡を知った。


 









「あのような遠吠えをあげねば戦えないのかあの男は? 相変わらず粗暴な事だ。……まあ、蹴散らすならば問題はない。ジル様の威光を示しさえするならば」


 そう言って、市民達を背後に庇うような形で前に躍り出たキーランは目の前にいる魔獣達を見据える。見据えて、神よりたまわった『加護』を発動させた。


「『天の采配グリトニル』」


 キーランの瞳が輝き、魔獣達を捉える。

 そして───。


「【禁則事項】は人を襲おうとすること。【罰則】は───絶命で良いだろう?」


 次の瞬間、キーランの視界に映る全ての魔獣が絶命した。


「……」


 先ほどまで猛威を振るっていた自分達ではどうしようもない地獄。それを容易く覆し自分達を守護した彼の姿に、市民の誰もが息を呑んだ。


「これが我らが神。この国を統べる王。ジル様より賜わりし『加護』だ。喜べ貴様達、我らには神の祝福がある。分かったなら信仰を捧げろ。さすればいずれ貴様達にも、神たるジル様のご加護が与えられ───」


 振り返り、神に対する信仰について市民達へと語り聞かせていたキーラン。


 直後、彼の背後の足元がせり上がる。

 大地を割って現れた魔獣は、大口を開けてキーランの頭を噛み砕こうとし、


「……不愉快な」


 魔獣の方を見向きもせずに、右手を後ろに向けたキーランの手によってその口を強制的に閉ざされた。魔獣はキーランの魔の手から逃れようと懸命に足掻あがくが、しかしキーランの手は微動だにしない。ミシミシ、と。魔獣の口元から骨のきしむ音が周囲に響いた。


「不愉快……そう、オレは不愉快だぞ、狗」


 言葉を紡ぎながら、キーランはゆっくりと右腕を動かして魔獣を自身の視界に入れる。キーランと視線を合わせた魔獣は、無いはずの恐怖を抱いた。

 

「獣風情が、土に潜った程度で私の不意を突いたつもりか? この国はジル様の所有物だぞ? であるならば、このオレの感覚内において把握出来ないものなど何一つとして存在しない。真なる信仰を有するなら当然の事であり、精神論でもなんでもなく論理的に考えて当然の理屈だ」


 真なる信仰を抱くキーランの第六感とでも言うべきものは、ジルの所有物であるこの国内部に限定されるとはいえ常軌を逸したものになる。


 今こうしている瞬間にも、彼は五メートル先の蟻の巣の内部の様子すら手に取るように把握している。流石に国全体を覆うほど彼の感覚は発達していないが、それでもこの小さな町の範囲内程度であれば彼に死角は存在しない。


「ジル様の所有物であるこの国に土足で踏み込み、荒らすなど不愉快。実に不愉快だ。ジル様の所有物を……所有物をどうこうしようなどと……故に、死ね」


 次の瞬間。魔獣の口が握り潰され、次いでキーランが懐から抜き放ったナイフで心臓を貫かれる。物言わぬ体となった魔獣をキーランは無造作に放り投げ、ナイフの血を払った。


「……あちらも終わったか」


 そして、町にいた最後の魔獣の顔面を吹き飛ばしたヘクターの方へと足を運ぶ。


「……この町にいる魔獣の殲滅は完了した。私はこれより、セオドアが足止めをしているという魔獣の殲滅を果たしてこよう。知能の低い魔獣の群れ程度、何万といようが私の『加護』を数回使えば終わるだろう。貴様は念のために、この場に残って待機だ」

「任せとけ。適材適所ってやつだからな。テメェがやる方が速いなら、それで良い」

「……戦場であれば物分かりが良いと見えるな、

「うるせえよ、

「私を知るか、千人殺しのヘクター。異名だけ見れば、どっちが殺し屋か分かったもんではないが」

「たりめぇだろ。こっちは元傭兵だぞ? そういうテメェこそ、俺を知ってるじゃねえか」

「裏の手配書に、貴様の名前があったからな。今は昔の話だが」

「……裏、か。テメェはこれをどう見る?」

「何かしらの思惑は絡んでいるだろう」


 そう言い残して、キーランは高速で走り去っていく。キーランの後ろ姿を暫く眺めていたヘクターは息を吐くと、呆然とした様子の市民達に笑いかけた。

 

「終わったぜ。なに、国の外にいる魔獣はアイツが片付けるし、万が一が起こっても俺が守ってやる。だから心配すんな」


 こうして、最終的に魔獣の殲滅は呆気なく終了する。レーグルと名乗る彼らが発揮した人智の及ばぬ領域の力を、誰かが"奇跡"と呼んだ。


 ◆◆◆


『結論から言うと謎の魔獣が国を襲おうとしている。神狼を出せばどうにかなるが、それだとどっちにしろ結果として国は滅ぶだろうし、お互いに本意ではないだろう? どうにかしてくれないかな、ジル殿』


 突然告げられたセオドアの情報に、俺は眼を細めた。魔獣による国の襲撃。それは決してない訳ではないが、まず起こり得ない事態である。


 何故なら大抵の場合、人類の生存圏に入る前に冒険者や国の保有する戦力によって駆除されるからだ。大国やある程度国力を有している国であれば軍が、小国であれば冒険者が、それぞれ生存圏付近にやってきた魔獣の討伐を行なっている。日本で言えば山を降りて人間のいる町に入ってきてしまった熊を討伐する感覚に近い。


 そして俺の国はある程度国力を有しているので、戦士団を定期的に派遣して魔獣の討伐を行なっている。念の為にと普段は監視の目だって魔術で敷いているし、今回はその任をセオドアに任せておいた。


 まあ幸いにして俺の国の付近はそもそも強力な個体の魔獣が湧かないので、物語でいうところのモブみたいな連中でもどうにかなるのだが。


 だというのに、国が滅ぶような魔獣が攻め込んでくる?バカを言うな。そんな危険な魔獣がセオドアの目を盗んで突然湧いて出て国を襲ってくるなんてあってたまるか。


 では遠くから移動してきた? それならそれでそこまで危険な魔獣であれば移動している最中に冒険者や大国の軍がその魔獣とやらを発見し、強者連中によって討伐されているだろう。


 万が一。万が一だ。

 そんな悪すぎる偶然が起こっていたとしても、更にはセオドアの手に負えないレベルだと……?


「……その突如現れた謎の魔獣とやらが、貴様の改造魔獣や神獣に優ると? 如何に未知の魔獣とて……アレを出さずとも、大半の魔獣であれば貴様一人で制圧可能であろう」


 セオドア単体の戦闘能力はレーグル最弱だ。

 だが『加護』を用いればその限りではない。魔獣や神獣を産み出し続ける彼の戦闘スタイルは一人軍隊のようなもの。加えてその魔獣や神獣は彼が改造を施しているので、通常の個体より強力。そんな魔獣や神獣でも手が負えず、神狼を出す必要がある? 


 バカを言うな。そんなもの、大国でも最高戦力を派遣する必要があるレベルの事態だ。即ち、アニメ第一部においてボス格であるレーグルによる襲撃に等しい災厄である。


『ああ。アレを除けば最高傑作である神獣の猪を扱えば、この世界に存在する殆どの魔獣は制圧可能さ。……だが今回は運が悪かった。例外が攻めてきたのだよ』

「……」

 

 無言の俺に対して、セオドアは言葉を続ける。


『軍勢。そう、厄介なことに魔獣の軍勢なんだ。二千を優に超える魔獣の軍勢。これの大半を私は防壁から幾らか離れた地点で『加護』で召喚した魔獣や神獣どもを用いて食い止めているが、それでも三十前後は国に漏れる。私の加護は貧弱な魔獣神獣であれば無限に等しい数を産み出せるが、一定以上の力を持つ個体となると話は変わる。私が保たないからだ』


 魔獣の軍勢。

 それも一体一体が強力な魔獣の軍勢であるということか。


「……その魔獣の軍勢は、それぞれが一定以上の力を有し、更に個体数が膨大だと?」

『その通りだジル殿。はっきり言って、一般の兵士じゃ歯が立たないだろう。単純な膂力の問題もあるが、装備があまりに力不足だ』


 軍勢、軍勢か。

 軍勢の移動なら尚更、大国や冒険者であればそれなりに速い段階で発見可能だと思うのだがな。軍勢なんてアホな事態になるなんて、そんな異常な繁殖速度────。


「……成る程。直ぐ様キーランとヘクターを向かわせよう。して、セオドアよ」

『何かね?』

「セオドア、貴様はこう言っていたな? 謎の魔獣が攻め込んでいると。謎の魔獣のではなく、謎の魔獣と言った。……情報があるなら早々に教えるが良い。これは命令だ。拒絶するのであれば、まずは貴様を殺す」

『……やれやれ、ジル殿は頭が回る。私としては、中々に興味深い魔獣だったのだがね。ともすればあの魔獣は───』


 セオドアの言葉を聞き終えた俺は、キーランとヘクターに国を守るよう指示を出す。キーランは膝を突いて深く頭を下げ、ヘクターは軽く頷き、俺の視界から消え去った。


 ……ここからだと、本気で急いでギリギリ間に合うか間に合わないかくらいか。国に関しては、二人に任せる他ない。俺がやるべきは、原因となった存在を断つ事だ。




 


 






 薄紫色のソレのはらから、魔獣が産まれ堕ちる。産み出された魔獣はその時点で成体であり、何かに取りかれたかのようにとある方向に向かって走り去って行く。


 ソレは、ただただその作業を続けていた。

 胎から魔獣を産み、魔獣に国を襲わせる。ただそれだけを。それだけの事を、尋常じゃない速度で、只管ひたすらに続けていたのだ。


「……」


 その様子を。


「……みにくいな」


 その様子を、俺は飛行魔術を用いてそれの頭上から睥睨へいげいしていた。

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