【閑話 ジルの力】 vs狂気の科学者

 ──時は、俺が教会に乗り込む前にまでさかのぼる。


 俺は、書斎しょさいで腕を組みながら思考を巡らせていた。


(教会勢力と接触を図る前に、やっておくべきことがあるな……)


 俺がやっておくべきこと。それは、自分の実力を知っておくことだ。


 万が一戦闘することになった場合、力に振り回されて自爆するという無様な結末や、俺がビビっちゃって動けなくなる……みたいな事態は避けたい。


 なので、自分がどれだけの戦闘力を有しているかを把握する必要がある。そのために必要なものはズバリ、対戦相手だ。


 可能であれば同格な存在との対人戦闘を望みたかったが、ジルと同格の存在なんて、この大陸には存在しない。


 この世界には列強国と称される四つの大国があり、各国にはそれぞれ突出した実力者が君臨している。


 氷の魔女。

 騎士団長。

 龍帝。

 そして、人類最強。


 彼らこそ、大陸の頂点に位置する者たち。大陸の覇権は、彼らが握っていると言っても過言ではない。


 しかしそんな彼らでも、ジルと同格ではない。なにせ大陸最強国家と謳われている大国所属の『人類最強』でさえ、ジルを倒すには至らなかったのだから。


 まあ別に、自分の実力を知るだけなら格下の人間を相手にしても問題ないだろう。それこそ、大陸有数の強者揃いの『レーグル』なんて俺の実力を測るのに都合の良い存在かもしれないが──万が一殺してしまった場合はとても不都合なので、無しである。


 ならば他国の人間を……とは一瞬考えたが。


(ここで俺が悪目立ちをした結果、万が一『神の力』を集めるのに支障が出たらジルの強化が不完全に終わる。その状態で神々の相手をする? 無理に決まってんだろ……)


 『神の力』を全て取り込んだジルでも勝てない神々の相手をする予定だというのに、『神の力』を全て取り込むことができなければどうなるかなど自明の理。


 だから俺は、慎重に行動する必要がある。


(となると、魔獣なんかを倒して力を試すのが手っ取り早いか?)


 国の外に出て、人類の活動圏外に行けばそれこそ魔獣を狩るには困らないだろう。だがそうすると冒険者とエンカウントする可能性が浮上するし、場所によっては『騎士団長』や『龍帝』辺りと予期せぬ接触が起こる可能性もある。


 そうなってくると非常に面倒であるが──いや待て、そうか。魔獣か。


(ちょうど良いやつがいるじゃないか)


 頭の中に、『レーグル』に属するとある男を思い浮かべる。性格に難のある人物だが、それでも上下関係が成立しているのは把握済み。


 であれば、利用しない手はないだろう。


 ◆◆◆


「ジル殿。何故私は呼び出されたのかね?」


 ジルの前に、一人の年若い見た目の男が立っていた。


 縁の無い丸眼鏡をかけ、白衣を纏った緑色の髪を持つ男──名を、セオドアという。


 その見た目から連想させるイメージ通り、彼の直接的な戦闘能力はあまり高くない。あくまでも研究者でしかない彼は、肉体的にはレーグルの中で最弱といっても過言ではないだろう。


 にも関わらず、セオドアに臆した様子は見受けられなかった。その慇懃無礼いんきんぶれいな態度をキーラン辺りが見れば激怒しそうなものだが、しかしジルはそれをとがめることなく口を開く。


「なに、貴様の加護を試したくてな。遠慮はいらん。私を殺すつもりで加護を使え」


 そう言ってセオドアから背を向け、距離をあけるために歩き始めたジル。眼鏡の奥からその背中を眺めつつ、セオドアは眉を僅かにひそめる。


(……今更私の加護を試したい、か)


 セオドアは優秀な研究者だ。それこそ、自らの肉体をいじることで老化を抑えている程度には。しかしその優秀さと大胆さ故にか、危険思想を持ち合わせている可能性があるという理由で投獄された過去を持つ。


 だが、ジルにとっては危険思想を有しているかどうかなんてどうでも良いことだった。大事なのは、使える人間であるかという一点のみ。


 ゆえにセオドアの頭脳を評価したジルは、王としての権力を利用し、密かに彼を牢獄から引きずり出したという経緯がある。その際に、彼も他のレーグルと同じように『加護』を付与されたのだ。


(その時は私の『加護』に関しては興味が無かったはず。彼が必要としていたのは私の研究者としての側面であり、『加護』の能力に関してはなんの興味もいだいていなかったはずなのだがね……)


 まあ別に、『加護』を試されること自体は問題ない。いやそれどころか、加護を用いた実験ができるのでセオドアとしても好都合だ。


(……城の地下にこのような広々とした空間があることを知れたのも好都合。今後は、ここで実験をさせてもらおうか)


 そこまで思考をまとめた彼は、ゆっくりと『加護』を発動する。

 彼とジルの間の空間に紫色の魔法陣が展開され、そこからおびただしい数の蛇が飛び出し、波となってジルに襲いかかった。


 『天の悪戯フヴェズルング』。


 それが、セオドアの有する『加護』の名前。その能力はあらゆる魔獣神獣を召喚し、使役するというもの。彼はこの『加護』を使って召喚した魔獣や神獣を解体し、研究に研究を重ねていた。外に出て捕獲するなどの手間が省けるので、重宝していることは言うまでもない。


 そして今回彼が召喚した魔蛇は、元々は強力な毒を持っただけの魔蛇だった。それにセオドアが直々に改造を施した結果生まれたのが、今回召喚した特異個体の軍勢であり、その牙には彼が調合した自然界には存在しない猛毒が秘められている。


 そんな魔蛇が視界を覆い尽くす程に召喚され、襲いかかってくる地獄。屈強な兵士であろうと死が避けられない最悪の事態に、しかしジルは一切の抵抗を見せなかった。


「魔獣か。それならこれで終わるぞ」


 否、抵抗を見せる必要がなかったのだとセオドアは瞬時に悟った。ジルを呑み込もうとしていた蛇の波が、ジルを避けるように不自然な動きで割れる。


(……なんだ、今の現象は。魔力で構成した障壁? いや、それであるならば私のこの眼鏡に映し出される。では『神の力』とやらで構成した障壁か? いや、神の力の発動には神威が放たれるはず)


 不可解な現象だ。

 未知の現象だ。

 それを見たセオドアの頭脳が、高速で回転を開始した。


(私に『加護』を与えた彼がそれに類似する、あるいはそれを凌駕する力を使えるのは道理。あらゆる物質や現象による干渉を弾く『何か』を展開したのか……? いやそれは違うな。そんなことをすれば彼はこの地に立つことさえ──そもそも彼は『魔獣ならこれで終わるぞ』と言った。であれば……それ以外なら話は変わるということか?)


 ジルが眼前に手をかざし、口を動かす。

 途端。大地を炎がはしり、無数の蛇を燃やし尽くした。


「流石、と言ったところか。ではこれはどうかね?」


 炎が消え去った瞬間を見逃さず、セオドアはジルの両隣に巨大な猪を召喚した。その猪がまとっているのは──セオドアが加護を発動した時に生じる魔法陣と同質の力。


 巨大な猪は標的ジルを見据えると雄叫びを上げ、その脚をジルに向かって振り下ろした。


(加護を付与した神獣しんじゅうの一撃。その一撃はかの王国の騎士団中隊長に支給される防具ですら軽々と踏み抜くが……)

 

 それはこの世界に存在する大半の防具、魔術障壁、結界を打ち破る一撃。

 大地をも穿うが暴威ぼういに、しかしジルは──。


「……ジル殿。君は、本当に人間かね?」


 しかしジルは、その両の手で神獣の一撃を受け止めていた。足元は深く陥没かんぼつしている。それこそ、ジルの膝下まで覆い隠す程に深いクレーターが出来ている。


 だが、ジルの涼しげな表情は変わらない。苦悶の声をあげる神獣を軽く見据えたジルは、ゆっくりと口を開いた。


「早々に『■■■■■アースガルズ』に通じる攻撃に切り替えたか。その分析力……やはり貴様の頭脳は優秀なようだな」


 そう言って、彼は二体の神獣の脚を握り潰す。

 鮮血が豪雨のように降り注ぐが、しかしジルの姿は既に神獣の上にあった。


(……音速の十倍であろうと感知するセンサーでも彼の動きは捉えられないか。加えて魔力感知にも反応なし。つまり、魔術による身体強化は行なっていないということ。……ふむ。純粋な身体能力だけでこれか……天は彼に二物を与えたようだ)


 そして次の瞬間、二体の神獣はその身をプレスで押し潰されたかのように叩き潰された。


 腕を振り下ろしたような姿勢から推測するに、ジルは中空から神獣を殴ったのだろう。だがどれほどの力で、どれほどの速度で拳を振り抜いたのかが、全く読み取れない。


「……ここまで私がしたこと程度であれば、騎士団長や氷の魔女でも容易い。セオドア。貴様の加護の完成度は、その程度か? 大陸最強格の本気も引き出せない程度の成果で、この私を満足させられるとでも?」


 さらりと「自分は世界の頂点に位置する人間達と同格以上である」と告げたジルに、しかしセオドアは驚きを示さなかった。


 魔獣や神獣を、それこそ下級であれば無限にも等しい個体数を召喚できる加護。そんな常識外れな力を簡単に付与してくるような存在なのだから、世界に名を馳せる稀代の天才達と同じかそれ以上の領域に立っているのだろうと、元より推測していたからだ。


(……成る程、ジル殿)


 そんな彼の眼鏡が、怪しげに光る。

 そして次の瞬間、セオドアの背後に神々しい光を纏った巨大な狼が召喚されていた。


「……それは」


 そしてそれを見た、ジルの眼が薄く細まる。

 そんなジルの様子に何を思ったのか、セオドアは白衣のポケットに両の手を突っ込み、微笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。


「くく……なに、これも神獣だよ。だが、現在には存在しない神獣だ。太古の時代には存在したかもしれない……そんな、ほとんど架空の存在と言っても過言ではないものだがね。研究に研究を重ね、なんとか再現したと言ったところか。……とはいえ、推測でしかないが本来のそれと比較すれば矮小だ。この大きさでもおそらく幼体なのだろうが、幼体としても本来のそれに遠く及ばない。不出来な存在だ」


 これが文字通りの、セオドアの切り札。本来であれば「未完成なものを世に出すのは嫌だ」という理由で、この世界に顕現するはずが無かったはずの怪物。


 だが、セオドアはこれを呼び出した。


 これは、伝説の一端でしかない。神の基準で考えれば、大したことのない完成度の獣でしかない。


 だが、只人ただひとの身で神話の一端を再現したという事実に変わりはない。


 教会勢力が見れば眼をくような事態が、この小さな空間で起こっていた。


「────────ッッッ!!!」


 神狼じんろうが遠吠えをあげた。

 空間が震撼し、大地がヒビ割れる。

 この空間とセオドアにはジルが防壁の魔術を貼っているが、しかし世界の許容量を超えた力に空間が悲鳴をあげていた。


「……!」


 そして次の瞬間、神速で移動した神狼とジルが衝突する。

 両者のぶつかり合いで発生した衝撃が空間を蹂躙し、発生した爆風が防壁ごとセオドアを吹き飛ばした。


(……ッ!)


 吹き飛ばされたセオドアが、しかしジルの手によって展開されていた防壁のおかげで痛みはない。


 セオドアはすぐ様視線を轟音が鳴り響く箇所に向けるが、しかし彼に見えるのは両者の激突によって発生する余波だけだ。


(……なんという事だ)


 雷撃がほとばしった。炎のうずが立ちのぼった。ドーム状の衝撃波が形成され、大地がくだけ散る。謎の力場が発生しているのか、眼鏡が何も映し出さない地点まで存在していた。


(まさに、神話の再現……)


 これがもし、結界が無ければ。


 これがもし、外で行われていれば。


 文字通り、世界が揺れる新たな歴史の一幕となっていたに違いない……とセオドアはもはや機能していない計測器を横目に見ながら確信する。


 神狼を戦わせたのは初めてのことだったが、噂に聞く制限を解除した騎士団長や、禁術を行使する氷の魔術師をも凌駕する戦力のはずだと推測している。それは神狼を世界に放てば、間違いなく大陸の勢力図が塗り変わる災害であることを意味していた。


 だというのに。


(ああ……)


 だというのに、セオドアの胸に去来するのは、有り余る空虚さだけだった。


(ああ……なんと……)


 一瞬だけ見えた、ジルの顔を脳裏に浮かべる。


 この実験を地上で行っていれば、大陸の地図を書き換える結果になるのだろう。そう思わせるだけの規模の戦闘を繰り広げながら──しかし、かの王の顔色は何も変わっていなかった。


「……」


 体感では何時間も経過した気分だった。しかし、現実には数分も経っていない時間だった。


「────」


 神狼の動きを封じたジルが詠唱を唱える。

 それは、神域の天才とされる術師でも無ければ到達不可能とされる超次元の魔術。


 扱える術師はそれこそ歴史でも数えるほどしかいないであろうそれを、しかしジルはなんの準備もなしに、短縮した詠唱で行使できる。


「……」


 別に魔術のみを極めようとしている人間でもないだろうに。彼は一流の魔術師が到達できる次元を、軽々と凌駕りょうがする。ほぼ全てにおいて人類最高峰の才能を有しているその規格外さに、セオドアは思わず笑っていた。


 そして。


「……」

 

 音が飛んだ。

 視界が白く染まった。


 やがて光が止んだ世界にいたのは──即ち、勝利したのはジルであり、世界から消滅することで敗北したのは神狼。


 しかも、ジルは無傷。


 上半身の服こそ消失しているが、肉体にダメージはおそらくほとんどない。それはつまり、先の戦闘では彼の本気を引き出せなかったのだろう。


 それを見て。


「……」


 それを見て、セオドアは思う。


(……不出来とはいえ、神代の一端を掴んだと思っていたのだが)


 そして眼鏡を怪しく光らせ、


(君の肉体に、興味が湧いたよ)


 その口元に、弧を描いていた。


 ◆◆◆


 ──セオドア……お前……あんなもん召喚できたんか……。


 あの狼。間違いなく数多くのバトルファンタジー作品に出てくる某神殺しの牙を持つ狼の未完成体である。元々のスペックも非常に高いのに加えて、神々への特攻効果を持つ牙の一撃。当然ながら、自らを殺傷し得る可能性を有する存在にジルも肝が冷えた。


 ──単純なカタログスペックならこの肉体より低いけど、神の力への特攻のせいなのか常時ダメージが入ってきたのが面倒くさかったな。


 しかし、とジルは思う。

 あの神獣が完成すれば、神々に対する切り札のひとつになるのではないか、と。


「……」


 ──頑張れセオドア。超頑張れ。


 この日、セオドアの研究室に回される予算が大幅に増した。

 

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