第35話 紅葉浴びて浅き眠り
紅葉狩り。僕が小さなころから我が家では恒例の行事だ。家業である農業の繁忙期の合間を縫って一日だけ休みをあけた。土曜日だったので僕も参加できる。僕が参加できないと姉も参加しないと言い出すだろうから親父とおふくろも何とか日程を調整したのだろう。
日当たりのいい斜面に何本ものモミジが生えている場所がある。僕たちはそこへ向かった。近頃、姉の運動機能は飛躍的に改善しているようだけど、念のため杖も持って行った。
目的地に到着するとのんびりお茶をする。おふくろと姉が作ってくれたおはぎを僕たちはゆっくりと食べた。
近すぎるくらい隣にいる姉が僕に言った。
「ゆーくんまた最近背伸びたよね」
「そうか?」
「ね、ちょっと立ってみて」
仕方ないのでおはぎを食べながら立つ。親父がコンベックスをポケットから取り出して僕の背を測った。なんでそんなもん持ってるんだよ。
173.3cmだった。
「えー、結構高くない? ゆーくんかっこいい」
「まあ、確かに学校でも高い方だけど……」
妙に感激している姉の眼差しがこそばゆい。しかし、姉は高身長が好みだったのか?
姉の身長を測ろうと言ったら、失礼なことをするなと怒られた。失礼だったかな。姉だって身長は高い方だと思うけど……
お茶をしたら姉が探検に出かけようという。念には念を入れて鈴を持ち僕が姉の杖の一本を、姉自身がもう一本を突いて木々のまばらな場所を歩んでゆく。姉は双眼鏡も忘れず持ってきていた。
「しっ」
姉がそっと身をかがめ僕にも身をかがめるよう手で合図する。何か見つけたんだ。
姉が双眼鏡を構える。
「なにがいるの?」
僕も小声でささやく
「シロハラちゃんがいた」
姉は僕に双眼鏡を渡す。姉が指し示す方を見てみるとそこには茶色っぽい体に白っぽいおなかの鳥がいた。
「ここら辺茂みが多いじゃない、だからああいった子がいられるのよ。これはいいとこに来たかもしれないなあ」
と姉はにんまりする。まあ、僕にはあまり関係のないことだけど、姉が喜んでくれるならいいか。
その後も青い体にオレンジのおなかのルリビタキとか細い声で鳴くオレンジと灰色のヤマガラとか見つけて姉は喜んでいる。
突然
「キチキチキチキチ」
という鳥の鳴き声がした途端、周辺から鳥の気配が消えた。
「あーあ、モズが来ちゃった」
と言いながら姉は双眼鏡で高いところを探す。
「あー、いた。モズってああいった鳥を食べるのよ。だからモズの声を聞いたらみんなササッて隠れるわけ」
なるほど。
姉から野鳥観察の手ほどきを受けながら探検は続き、「ベースキャンプ」に戻ってきたのはちょうど昼食時だった。
おふくろと姉が作ったというお弁当のふたを開ける。
わっぱに詰めたちらし寿しの上に、紅葉やイチョウの形に抜いた赤や黄色のニンジンが散りばめられている。親父も嬉しそうだ。でも僕ニンジン苦手なんだよな。
「はいあーん」
姉が紅葉型のニンジンを箸でつまんで僕の口の前に持ってくる。
「あーん、ってなんだよ」
眉間にしわを寄せて断固拒否の態度を取る僕。
「だからあーん」
姉はしつこく僕の口にニンジンを近づける。
「だからなに」
「だから食べるの」
「やだよ」
「やだよ? やだよだってお母さん! 私たちが懸命に作ったのに!」
「いや、自分で食べるから」
「だめ信用できない。ゆーくんニンジン嫌いだから、そこらへんにポイって捨てるんじゃないかって」
「食べるって」
「じゃあ、あーん」
「どうして僕が姉さ――」
しゃべってるところにニンジンを放り込まれた! えも言われぬ苦み、臭み、えぐみ、そしてそれらの味とアンバランスな甘み。これらが混然一体となって僕の口の中に一気に広がる。
「!!!」
僕は口を押えて悶絶した。
姉だけじゃない。親父もおふくろも大笑いをしている。僕は急いでから揚げを食べて口の中の味を中和した。
結局僕は姉に無理矢理ニンジンを完食させられた。
でも、あーん、ってされるのちょっといいかも。
午後になると親父は酔っぱらって横になり、おふくろもそのそばで赤や黄色の紅葉を眺めている。僕たちは新たなる探検の地へ向かった。
周りにきれいなモミジが生えている開けた場所を見つけた。今の場所よりずっといい。来年はここにしようか、と姉と笑顔で話す。来年があればの話だが、と僕の心にちくりとした棘が刺さった。
モミジの絨毯の上に姉があおむけに寝っ転がる。少し息が上がっている姉の白いセーターの上にはらはらと真っ赤なモミジが舞い落ちてきれいだ。僕も仰向けに寝て、青空と赤と黄色のコントラストを楽しむ。
姉が僕の手をきゅっと握ってきた。僕はびっくりしたがその手を振りほどくことができない。
しばらく二人で手を握り合ったまま空とモミジを眺めていた。
しばらくすると姉が起き上がって座る。僕も起きようとしたら、「ゆーくんはそのままでいいから」と押さえ込まれ、気が付くとあろうことか膝枕の状態になった。
「いつもお世話になってるからサービスしなきゃね」
と姉は言う。初めて聞く殊勝な言葉だ。そこには最近時折見せるあの切なげな表情があった。僕は思わず目をそらした。やめてくれ。これじゃまるでカップルみたいじゃん。そう思ったけど姉の足の感触にどきどきしていた僕は何も言えなかった。
僕は苦労して姉から視線を離し、空や木々を眺めていた。小さな雲が流れては消え、僕たちを照らすひだまりはどこまでも温かった。思わず眠気を催した僕がそっと姉を見ると、姉はすっかり眠りこけ舟をこいでいた。
僕は体を起こして姉をゆすって起こす。そして僕の足を指し示した。
「ほら、今度は姉さんが」
「んうー」
寝ぼけ眼の姉は素直に僕に膝枕された。僕は姉の額に触れた。
「んっ」
姉はつぶやいたが起きる気配はない。
僕は姉に聞こえないように言った
「今まで生きてくれててありがとう。これからも少しでも長く、ずっと……」
僕にも眠気が襲い掛かりゆっくりと意識が途切れていった。
僕たち姉弟はいつまでも秋の日差しに照らされまどろむ。
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