第31話 罰ゲームとシロツメクサの指輪

「もお、ゆーくんほんと下手だな。弱い。弱すぎる。手応えがなさすぎる」


 姉が言うのももっともだった。僕は姉のために買ってきたボードゲームをプレイしていたが、立て続けに六連敗していたからだ。


「くそっ」


 姉はにやにやしながら僕を見る。


「ふふー、これは罰ゲームを考えなくてはいけませんなあ」


「罰ゲーム!」


「そっ、負けた人は勝った人の言うことを聞くの」


「はあ?」


 僕は呆れた。

 姉はまるで女王様のように僕の上に君臨しており、これ以上姉が僕にさせられるようなことなんてもうないだろう。

 一方の僕は僕で病気で障害のある姉に何かをさせるなんてできるわけがない。


「そんなの無理」


「なんで?」


「僕は姉さんに罰ゲームなんてできない」


 姉は一瞬きょとんとした顔をしたが、妙に照れた顔をした。


「ま、まあ、ありがと」


「う、うん……」


「でも、それとこれとは別だから!」


 姉はかっと目を見開いた。


「じゃ、どうすんだよ」


 めんどくさいなあ。


「いいからゆーくんも罰ゲーム考えなさいよ。それぐらいの緊張感もないから勝てないの」


 むかっ。それに罰ゲームって緊張感と関係あるか?


 まあ今みたいな横暴な態度を改めさせるような罰ゲームを考案すれば姉も少しはおとなしくなるかも。


「よーし、首を洗って待ってな! 姉さんが泣いて黙るような罰ゲームを考えてやる!」


「いいね! 姉ちゃんもゆーくんが泣いて謝るような罰ゲーム用意しておくからな!」



 ……………



 負けた……

 完膚なきまでに負けたよ……

 いっそ清々しいくらいだ……


 そして僕の正面には姉。座椅子に腰かけ悪魔の笑みを浮かべた姉。僕はまさに風前の灯火だ。


「さあて、ゆーくん」


「はい」


「覚悟はいいかな」


「良くないけど諦めた」


「潔い奴め」


 姉は得意の絶頂だ。


「それじゃあね…… ゆーくんの罰ゲームはあ……」


 姉は悪魔のほほ笑みを浮かべる。


 さあ、どんな罰ゲームが出てくるか? お笑いタレントの物まねとか? それとも毎日三十分肩もみか、究極な罰ゲームとしては今後十日間姉の言うことは何でも従順に従うとかありそうだな。僕は戦々恐々として姉の言葉を待った。


「初恋の人を教えなさい!」


「は?」


 「は?」とか言ったものの僕は途方に暮れた。なぜなら僕は恋したことがないからだ。

 いや、もしかしたら、これが恋なのか? と思った感情はあるにはある。だがこれは誰にも言ってはならない気持ちだった。特に姉には絶対に。僕は何のためらいもなく嘘を吐くことに決めた。


「ごめん、僕、恋したことないんだ」


「たはー、苦し紛れな言い逃れですなあ。ゆーくんには幻滅したよー」


 姉は大げさに呆れたようなポーズをとる。


「いやほんと」


「年頃の“性”少年が恋の一つも経験していないなんて信じられませんなあ」


 ばかみたいに大げさなポーズで僕をあおる姉。時々本当にばかじゃなかろうかと思う時がある。


「人それぞれだろ、そんなの」


「なんて言うかこう、ドキッとしたり、キュンっとしたりなんていうのもないの?」


 不思議そうな顔をして言う姉。

 それはある。毎日。だから困ってるんじゃないか。


「そ、そりゃないわけじゃないけど」


「それそれ! それが恋なのだよゆーくうん」


 と、姉はしたり顔で座椅子から身を乗り出して僕を指さす。


 くそ、人の気も知らないで。


「じゃあ姉さんはないのかよ、恋」


「へっ?」


 この後の姉の顔はなかなか見ものだった。一瞬青ざめたかと思えば、僕を凝視しながら真っ赤になったり、急に照れた顔になってもじもじして目をそらしたり。


「そんな…… ゆーくんだって知ってるくせに……」


 知らないよ! 知ったらなんだかいけない扉が開きそうで知りたくないよ!


「そ、そんなことより、ゆーくんだゆーくん。ゆーくんの好きな人を教えなさい! 今質問しているのは姉ちゃんだ!」


「微妙に話が違ってるじゃねーか!」


「いいからいいから、誰にも言わないから、ね?」


 姉は両手でわきわきと手ぐすね引いて僕の言葉を待っている。僕はやはりしらを切りとおすかなかった。


「やっぱり僕は胸がキュンとしたりドキッとしたりはあっても、恋したことはない。だから初恋なんてない」


「……そっか。そう、なんだ」


 急にしょんぼりする姉。なんだその寂しそうな顔は。宙に浮いた手はそっと膝の上に戻る。僕はうそを吐いたことにものすごい罪悪感を覚えた。

 いやこれでいい。これでいいんだ。本当のことを言ったらきっと何もかもめちゃくちゃになる。だからこれでいいんだ。


 でも、姉はどうなんだろう。さっき姉に問いかけたことを思い出した。姉は誰かに恋したことはあるのだろうか。姉の初恋の人は誰なんだろうか。


 姉は僕のことをどう思っているのだろうか。ただの弟なんだろうか。それとも。


「姉さんの方こそどうなのさ」


「へっ?」


 姉はまた素っ頓狂な声をあげた


「だから、初恋」


「うっ……うー」


 何かものすごく考え込んでいるぞ。面白い顔だ。

 しばし考え込んでいたあと、ぱっと顔を上げて笑顔で言う。


「姉ちゃんはゆーくんがいれば恋なんていらないよ」


「なっ!」


 この意表を突いた攻撃に僕は身体が硬直した。姉は満面の笑みを浮かべている。

 一方ひきつった顔の僕は


「そ、そういう問題じゃないだろっ」


 と言い返すのが精いっぱいだった。


 この時の姉は、いつもの意地の悪いニヤニヤ笑いとか「勝者の笑顔」ではなく、満面の笑みで僕を見つめていた。

 その後の僕たちは罰ゲームをかけて戦った。だが僕の奮闘空しく三勝七敗。やはり姉の圧勝だった。


「まあ、三勝とは君にしてはよくやったのではないかね」


 誰の物まねだかわからないけれど、そんな言葉を吐きつつ得意の絶頂の姉。僕は案の定お笑いタレントの物まねやら、今後呼んだらすぐに来て何でも言うことを聞くとか無茶な命令を受けることになった。疲れた。本当に疲れた。

 僕はいい罰ゲームが思いつかなかったし、そもそも姉に罰ゲームをさせるのに抵抗があったので、何か思いついたら改めて姉に命令することで同意した。でもたぶん僕がその権利を行使することはないだろう。


 ゲームを終わらせたあと座椅子にかけた姉を後ろから抱え上げて立たせ、姉が杖を突いて風呂まで行くのを介助した。そりゃもちろん風呂は別々に入る。


 風呂からあがって明日の準備をしたあと、僕は自分のベッドに一人潜り込んだ。


 ベッドの中で丸まって僕は思い出す。五年前、姉がシロツメクサで作ってくれた指輪を。僕はこれを姉から指にはめられた時、確かに胸がキュンとした。ドキッとした。まだ九歳だったのに。その指輪はもうとうにどこかにいってしまったが、僕の記憶にははっきり残っている。

 僕はその頃の記憶を胸に抱いてゆっくり眠りに落ちていった。


 もしかしたらそれは僕が初恋に落ちた瞬間だったのかもしれない。そう考えると僕の胸の中に甘い感情と苦い感情が同時に湧き上がってくるのだった。

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