第15話 夏祭り、神輿、十年の時

 この近くの豊郷青柳とよさとあおやぎ神社の方角から毎晩何かをしている音が聞こえてくる。お神輿みこしを組み立てているんだ。夏祭りが近づいている。


 このお祭りは毎年行われるものと三年に一度行われる例大祭れいたいさいがある。今年はその例大祭のある年で、それ用の大神輿が町を練り歩く。大神輿以外にも数基の神輿がありやはり同じように町中を練り歩く。もっともここの所人口が減るばかりなので、担ぎ手もなく、いわゆる「大人神輿」が「じじ神輿」になったなんて言われてる。子供も減ったので「こども神輿」も担ぎ手探しに苦労しているようだ。僕も姉も小さい頃に二回だけ担いだことがある。


 実はこれらの神輿は、僕の家の庭の真ん前を通り過ぎる。姉が病気になる前は、うちの庭がお神輿の休憩所だった。担ぎ手の人たちに飲み物や食べ物やお酒をおふるまいして、祭りの日は毎年にぎやかだった。今はそういったこともなく、お神輿はただ僕のうちの前を通り過ぎるだけだ。僕は静かなのが好きだったのでありがたい気持ちもあったが、にぎやかなことが大好きで、祭りになると少し寂しそうになる姉がちょっとかわいそうだ。

 おふるまいと言っても、さっき言ったように飲み物とお酒、そして食べ物くらいだ。食べ物は毎年巻き寿司。これなら僕たちでも作れそうだ。

 お神輿のおふるまいをやってみたら担ぎ手にも喜ばれて、そしてとにかくなにより姉が喜ぶだろう。


 早速その夜姉の部屋に行ってみる。姉はクリスマスに僕がプレゼントしたストームグラスをいじって眺めていた。あれあんまり触らない方がいいと思うんだけどな。


「よーす、どしたのゆーくん」


「あのさ、祭りしてみようかと思ったんだけどさ」


「祭り? どゆこと?」


「むかしやってたみたいにさ、食べたり飲んだりするのを置いて、休憩所みたいに止まってもらうやつ」


「おー! いいね! なんか最近寂しかったからねえ、そういうのあるとにぎやかでいいね! やろうよ、やろ! ……でも何やればいいの?」


「巻き寿司を作ればいいんじゃない? あとは買って来ればいいやつばっかりだから」


「よおーし、じゃ、いっちょ作ってみよっか。それで、巻きずしってどやって作るの?」


「知らないけど」


「…………」


 おふくろに訊いてみたら巻きずしを作ること自体は簡単だし、それ以外の用意はもっと簡単だと言う。親父は神社の氏子会に連絡しておくと言ってくれた。

 このことを姉に伝えると大喜びしてくれた。その笑顔を見るたびに僕もすっごく嬉しくなる。


 早速翌日おふくろから巻きずしの作り方を二人して教わる。きゅうり、かにかま、卵焼き、にんじん、煮あなご、茹でほうれんそう、からし菜のつくだ煮を用意する。「巻きす」の上にのりを乗せてから酢飯を均等に乗せる。この上のに等間隔に具を並べて「巻きす」ごと巻いていく。強すぎず弱すぎず巻いていくのが難しい。

 それでも一応形にはなった僕と姉の巻きずしは神輿に提供しても問題ないとおふくろのお墨付きをもらった。笑顔がこぼれる姉と僕。これで準備は万端だ。



 そしてお祭り当日。寝坊した僕が起きたのは七時過ぎだった。台所に行くと姉とおふくろがもう巻きずしを作っていた。


「ちょっとゆーくん遅刻っ」


「あ、ああ、ごめん」


 姉はこの時間からもう夏祭りにぴったりの白づくめの衣装で決めていた。ハーフの股引き、腹掛け、鯉口、手ぬぐい、法被。なんだかとっても懐かしい姿だった。十年前の姉も全く同じ格好でうちの庭を駆けずり回っていたことを思い出した。そう、姉は自由に駆け回っていたんだ。

 あの頃の姉は僕より背が高くて、僕より足が速くて僕より力もあった。

 十年たった今、姉は口ばっかり達者なままだけど、あんなに痩せて、やつれて、僕よりもずっと背が低い。そう思うと懐かしさだけではない、胸の苦しさが僕の中で澱む感じがしてつらかった。

 とにかく僕も巻きずし作りを手伝う。意外と姉は手際が良くて、もしかしたら料理の才能があるんじゃないだろうか、と僕は思った。


 サイダー、水、お酒、冷やした手ぬぐい、水を張った木桶に木のひしゃくなどを庭先に用意しておく。あとはお神輿が来るのを待つばかりだ。

 調べてみたところ、今日は四回お神輿が来る予定だ。僕は自分で作った神輿到着予定表を見る。まず十時半頃にこども神輿が来るはずだ。夏休みの日曜だからきっと盛況だぞ。


「ふうん、ゆーくんそんな紙作ってたの」


「便利だろ」


「ほんとそういうチマチマした細かいことが好きねえ」


「チマチマで悪かったな。僕は姉さんと違って繊細なんだ」


「へえ、繊細ねえ」


 姉はニヤニヤ笑う。


 そうこうするうちに「よいやさ、よいやさ」とのにぎやかな掛け声がはじめは小さく、次第に大きく聞こえてきた。


 縁側にいて暑さをしのいでいた姉は早速足袋に履き替え、両手に杖を突いて僕の介助を受けながら庭の縁台えんだいに腰かける。


 神輿がうちの前まで来ると、それを何度も高く掲げひと際大きくを掛け声をあげる。僕たちが木桶の中の水を木のひしゃくですくって神輿にかけると、きゃーきゃーと子供たちの歓声があがる。


 すると生垣の間にある入り口を通って子供たちが、中には子供らしからぬ身長の人も庭に入ってきて、みんなで僕たちのおふるまいを口にする。

 子供たちが本当に嬉しそうに飲んだり食べたりするのが見てて嬉しくもありかわいくもあった。

 そんな中で僕に背を向けてこっそり水を飲んでいる人影を見つけた。あの背格好とスクールボブには見覚えがある。間違いない。僕に告白してあっけなく爆砕した“委員長”だ。僕は彼女に近づいて声をかけた。


「あの」


 彼女はギクッと身体を固まらせた。


「あの、こっちにサイダーと巻きずしあるからどう?」


「あっ、ああっ、そっ、そうですねっ、い、いただこうかなっ……」


「まだ結構な道のりがあるから何か食べないときついよきっと」


「あああ、ありがとうっ、優しいのねっ」


 彼女は異常に緊張しているのが丸わかりな顔で、この間と同じく右手と右足を同時に前に出す器用な歩き方でぎくしゃくと縁台まで歩いて行った。僕はホオズキ市で少しきつい言葉を口にしたことを少し後悔した。


「どう? 美味い? それ僕が作ったんだ」


 ちょうど彼女がほおばった巻きずしは僕が一人で作ったものだった。


「えっ…… うんっ、すごく美味しい! 私が作るよりおいしいかも。こんなのが作れるなんてすごい。偉いのね」


「いっいやあ、それほどのことじゃあ……」


 褒められてすっかり鼻が高い僕。


「もう一ついただいていい?」


「もちろん、いくらでもどうぞ!」


 さっきまでの緊張も少し解けた彼女の横顔に、僕はドキッとした。はっぴ姿の委員長を少しだけ、ほんの少しだけだけどかわいいと思った。


 姉以外の女性をほんの少しでもかわいいと思ったのは生まれて初めてだった。


 彼女は努めて平常心を保って僕と接してくれている。そんな彼女を見て僕の心の中に申し訳なさが生まれた。


「あ、あのさ」


 僕は気まずい口調で彼女に声をかけた。


「なに?」


「この間は変なこと言ってごめん……」


「えっ」


「ほ、ほら、ホオズキ市のこと」


「ああ」


「ついカッとなって……」


「ううん、気にしてない」


「ホントに?」


「うん、だからお姉さんのことも誰にも言わない」


 彼女は遠くの姉に目を向けながら言った。姉は小学生の子供たちとふざけあっていた。


「えっ」


「あんなすてきなお姉さんなんですもの、私だってあこがれちゃうな」


「すっ、すてきっ?」


「うん、だから心配しないで」


「……」


 僕が姉に対して持っている感情について、委員長は何か誤解をしているみたいに思えて気になった。でもまあ、僕と姉のことを誰にも言わないと言うのなら、それだけでも充分かも知れない。


 ほっとしたところで僕たちはしばし沈黙した。頭の中で一生懸命に話題を探す。


「あ、ああそうだ、どうしてこども神輿に?」


 うちのお祭りではこども神輿は小学生までだった。


「ああ、うん、簡単な話。私は担ぎ手じゃなくて付き添い。子供たちが重くて持ちきれなかったら代わりに持ってあげたりするの。お父さんに頼まれちゃって」


「へえ、頼まれごとが多いから委員長も色々大変だ」


 彼女は人がいいので頼まれたことは断れない。それをいい事に生徒も教師も彼女に色々な雑事を押し付ける。これまでだって僕が手伝ってやらなかったら彼女はパンクしていたはずだ。


「もう、だから委員長って言うのはやめて……」


 困った顔をする委員長。



 彼女たちのこども神輿が遠ざかる。その様子を眺める姉の横顔を僕は見つめていた。

 やっぱり僕にとっては姉が一番かわいいし一番きれいだ。


 神輿が去るとうちの広い庭はまた静かになる。


 庭に静寂が訪れると縁台に座ったままの姉が探るような目で僕に話しかける。誰もいないのになぜかささやき声だ。


「ね、さっきのあの子、ホオズキ市で見た子じゃない?」


 どうしてそんなに無駄に記憶力がいいんだよ。


「何話してたの?」


「何にも。巻きずし作ったとか、そんなの」


「なんだ、つまーんなーいー」


「つまんなくても、その程度の話しかしなかったって」


 姉はまた何かを探るような目になってささやく。


「あんなかわいいのになんで振っちゃったのさ。もったいない」


「いや……」


「いや?」


 僕は思わずつぶやいた。


「…………から」


 姉が耳をこっちに近づけてくる。細い首とおくれ毛が僕の目に入り僕は胸がきゅっとする。


「は? 何? 聞こえないんですけど」


「姉さんの方がかわいいからっ」


 僕はぶっきらぼうにそういうと家の冷蔵庫へ行って追加のサイダーを取りに行った。


 サイダーを持って庭に戻ると、姉は妙にもじもじして赤い顔でニタニタしていた。




 次におんな神輿がやってくる。


 僕たち二人で水をかけてやると神輿を止めうちの庭でくつろぐ。こども神輿のにぎやかさとは違って華やかな感じがする。年齢も様々だ。


 ここで縁台に座っていた姉が突然思ってもいない行動に出た。


「さなえちゃ――」


 いつになく明るい声をあげて縁台からふらっと立ち上がりそして一歩踏み出した。まるで普通の人と同じように。


 すぐ隣にいてこれはまずいと思った僕は姉を受け止めようとした。


 案の定姉はそのまま崩れ落ちるようにして倒れる。僕は姉と地面との間に滑り込む。ずしっと姉の重みが僕の胸にのしかかり、僕は息がつまる。かろうじて姉は地面との激突は避けることができた。

 周囲に女性の担ぎ手が群がってきて声をかけたり心配したりしてくれている。やがて姉は彼女たちに抱え起こされ縁台の上に座らされた。


 僕は姉の前にひざまずいて姉の目を見て声をかける。姉は動揺が激しいのが手に取るように分かった。


「痛いところはない? 脚はちゃんと動く?」


「う、うん……」


 姉が足を動かすと、それは問題なさそうだった。しかしその時僕たちは姉の膝に大きな擦り傷があるを見つけた。

 僕は大急ぎで居間に置いてある薬箱を持ってきた。姉の膝をスプレー式の消毒液でしつこいくらい洗い流す。姉は抵抗力が落ちており充分な消毒が必要だった。そして傷口に粉末式の止血剤を振りかける。姉は血が止まりにくいのでこうした擦り傷でも止血剤が必要だった。

 僕が姉の傷の処置を施してる間二人とも無言だった。明日の通院で改めて診てもらわなくてはいけない。だが姉の表情は僕が思った以上に固かった。傷口に大きな絆創膏を張って包帯をきつめに巻いた後、ようやく姉はさっき声をかけたさなえちゃんと一言二言言葉を交わした。本当に一言二言だった。さっきはあんな笑顔で駆け出してしまいそうなくらいだったのに。

 おそらく姉は十年前と同じ気持ちだったのではないか。十年前と同じお祭り、十年前と同じ法被、十年前と同じ友達。姉は十年間と同じ気持ちでつい足を踏み出してしまったのではないか。そう思うと僕は時間の流れと姉をむしばむ病を憎悪した。


 さなえちゃんとの話を終えて、おんな神輿が去った後も姉はずっとうつむいたままだった。


「姉さん」


「うん?」


「ちょっとこけたくらいで気にするなって」


 姉は何か言いたそうな顔をしたが、ちょっと間をおいて、僕から視線を離す。


「うん、ありがと」


 じりじりと熱い庭に沈黙が続く。


「ゆーくんさ、ありがとね」


「いやいや、そんなことないって」


 姉の横顔がすっと悲しげなものになる。


「姉ちゃんさ、だめだね。もう歩けなかったの忘れててさ、ばかみたいにこけちゃったよ…… ばかだよね……」


「そんなことないっ! 仕方ないって! 姉さんはばかじゃないよ!」


 僕は思わず強い口調で言ってしまった。そんな弱気なことを姉が言うなんて信じられなくて、びっくりした。


 だけど姉は弱々しく、


「うん、ありがと」


 とつぶやくように言うばかりだった。


 このあと二回神輿が来たけれど、姉はずっと縁台に座ったまま、寂しそうな顔で僕がおふるまいをするのを見ているだけだった。


 お祭りが終わったあと、夕ご飯時まで姉は元気を取り戻さなかった。親父とおふくろも不思議そうな顔をしていた。

 姉が寝るために杖を突いて部屋へ入った後、僕は姉の部屋に行った。


 僕は珍しくいじいじする姉に少しいらだっていた。部屋の中でベッドに寝てタブレットをいじっている姉に向かって言う。


「あのさ、なんでだか知んないけどちょっとこけたくらいで、なにそんなにへこんでんのさ。姉さんらしくない」


「えっ」


「こけることくらい、いくらでもあったじゃん。でもそれをものともしないで立ち上がってきたじゃんか、姉さんは」


 姉は黙って僕を見つめていたが、間をおいて一言、


「そっか、ゆーくんの目に姉ちゃんはそんな風に映ってたんだ」


 と寂しそうに言った。


「どういうこと?」


「今日はね、あー、あたし、もう足が動かないんだ、って思っちゃったんだ。今の姉ちゃんはもう十年前のさなえちゃんたちと駆けずり回っていた頃とは別人になっちゃってたんだ、ってね。」


 僕は言葉を失った。あの時僕が思っていた通りのことをやはり姉も感じていたのか。

 姉は息を吸って言葉を吐き出す。


「あたし、もうお神輿担げない身体になっちゃってるんだ……って」


 こんな寂し気な姉の目は見たことがない。


「ばっ、ばかっ。そ、そんなことない、そんなことないっ、姉さんは絶対病気に勝てるっ! 勝てるんだっ! お神輿だって担げるようになる!」


 僕の目がしらが熱くなる、鼻がツンとなる。


「うん。でも姉ちゃん少し疲れてきたかも……」


「そっ、そんなことっ、言うなよっ!」


「ありがと、ゆーくん。でも姉ちゃん疲れたから今日はもう休まして、ね?」


「う…… あ、ああ」


 僕は少しだけ泣きながら部屋を出た。


 僕は、僕の願いは、姉には重すぎるものだったのだろうか。僕が今まで頑張ってきたことは、姉にとっては重荷に過ぎなかったのだろうか。いくら自問自答しても答えは出ない。


 この翌日からしばらくの間、姉の様子は一見いつもと同じだったけど、それに加えてどこかはかなげで寂し気な影が漂うのを感じる時が増えていった。

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