第5話 粉雪ちらつく年の瀬
門松やお飾りの飾りつけも終え、粉雪がちらつき始めた大みそかの夜、親父が紅白歌合戦を点ける。僕や姉としては裏番組のお笑いを観たかったんだけど、うちでは紅白を流すのが恒例になってしまっていた。
僕がカセットコンロを持ってきておふくろが鉄鍋をそれに乗せる。うちでは大みそかにすき焼きを食べるのがもう一つの恒例となっている。僕が姉を呼びに行くと、姉は眠い目をこすりながらベッドから起き上がり、両手に杖を突いて居間にまでやってきた。
この日だけはやけに仰々しく手を合わせていただきますをしてすき焼きに箸を伸ばす。肉は松坂牛に引けを取らない、と豪語する地元産の牛肉で、卵だって新鮮で美味い。僕と姉は肉を奪い合いながら、それでも結局僕が大幅に譲歩して姉に肉を引き渡した。すき焼きを食べてテレビを観ながら、あの歌手はうまいだの下手だの偉そうに評論する。
姉はすぐ、
「あっ、この人好きー」
と言う。
なんでか聞いてみると、だってイケメンなんだもん、としょうもない答えが返ってくる。その答えになんだかゾワゾワして嫌な感じがする。もやもやしながら姉を見るとなぜかドヤ顔で僕を見ていた。それがなぜかすごく悔しい。僕は姉から目を逸らした。
僕は仕返しにある女性歌手を褒めてみた。そして、だってすごい美人だから、と姉に良く聞こえるように言ってやる。
姉の方を見たらすごい嫌そうな顔をしていた。へへっ、仕返し成功だ。
このあと、僕が女性歌手やタレントを、姉が男性歌手やタレントをむやみにほめあってお互いもやもやしまくるうちに紅白も終わった。
シメと言えばいいのか、おふくろがそばをゆでて持ってくる。言わずと知れた年越しそばだ。
なんてことないかけそばに、ネギと一味を散らしただけのこのそばがうまい。さっきまでわいわいと騒々しかった一家四人は、今度は無言で年越しそばをすする。
細く、長く。そのように生きたいという願いから年の瀬にそばを食べるのだと親父は言う。僕は太かろうが細かろうが、それこそそうめんよりも糸よりも細かろうが、姉には長く、1mmでも長く生きていって欲しいと毎年黙って祈りながら年越しそばをすする。なんだか涙が出そうになる。
親父は年越しそばを食べている時でも日本酒とビールを飲み続け、そばを食べ終わったころには酔いつぶれて爆睡するのが毎年のパターンだ。
おふくろは親父を置いていけないから、あんたたちだけでも先にお参りに行ってらっしゃい、と五円玉二枚を渡してくれる。
僕たちは二人連れ立って近所の神社にお参りに行くことにした。
外は風もなく粉雪がはらりはらりと舞っていてきれいだった。
最近の姉は両手に杖を突けば短い距離なら何とか歩いていける。きついリハビリのおかげだろうか、どうかこのまま良くなってくれないものか、と僕は神社に行く前から願い事をしてしまった。
ゆるやかに舞い落ちる粉雪を浴びながら僕らは小さな神社にたどり着いた。もうずいぶんな行列だ。境内の周りには夜店が並んでいる。
姉がごくりと喉を鳴らしたのがわかる。普段は食欲がない癖にこの食い意地は一体どこから来るのだろうか、と僕は不思議に思った。
「何か食べたいの?」
「や、焼き鳥があ……」
姉は何かをこらえるように一点を見つめている。そう言えば境内の入り口近くの夜店で、焼き鳥を焼く香ばしい香りが漂っていたなあ。
しかし、食い意地どんだけだよ。しかも焼き鳥だぞ。おっさんかよ。うちの親父かよ。
「じゃあ、お参りが終わったらね。今せっかく並んでるんだしさ」
「うん……」
僕は色々と言いたかったことをぐっと飲みこみ、努めて紳士に答えた。
「でも……」
でもなんだよ。
「お腹減った……」
ああもう!
「だから参拝終わったらいくらでも食べて――」
「い く ら で も ?」
姉の顔がぱあっと輝く。
しまった。僕は小遣いの残額を必死に計算した。
「ま、まあ僕の小遣いの範囲で」
「そっか。じゃ、全然期待できないね」
途端につまんなさそうな顔になる姉。
なにおう。
除夜の鐘をBGMにそんな話をしているうちに僕たちの順番が回ってくる。
お賽銭を入れて大きな鈴を鳴らして二礼二拍手一礼。姉は口をもごもごさせてずいぶん色々願い事を真剣な表情で唱えていた。
僕はと言えば親父とおふくろを差し置いて姉のことばかり祈っていた。
どうかとてつもない奇跡でも起きて姉の病気が治りますように。治らないまでも少しでも、一日でも一時間でも長く生きていられますように。そのためになら僕はなんでもします。本当に何でもしますから。
僕は懸命に祈った。
お参りが終わると大人たちにはお
「姉さんは何お祈りしてたの」
と姉に訊くと、姉はニヤッと笑って
「秘密。ゆーくんは?」
「姉さんの病気が治りますように」
冷たい石畳を踏みしめながら僕はつぶやいた。
「そのためになら僕は何でもします、って」
「えっ」
姉は少しびっくりしたような顔をした。
「ほら焼き鳥買いたいんでしょ。行こ行こっ」
「う、うん」
僕は何か言いたそうな姉を放っておいて、夜店の焼鳥屋まで行く。
「何本買ってく?」
「うん、十本くらい?」
「は?」
そんなお金ないぞ。
「うそうそ。じゃあお土産含めて一人一本ずつ」
それならまあなんとか。
僕たちは
結局姉はねぎまを買った、いやお金を出したのは僕だけど。姉がはふはふ言いながらおいしそうに熱々焼き立ての焼き鳥を食べる表情が面白い。
「あひ、あふ、あち、はふはふ、んぐ」
「くす」
つい僕は悲しくほほ笑む。僕や親父やおふくろは、この表情を来年も見られるのだろうか。それは誰にもわからない。
「なに? なに? なに笑ってるむぐ?」
不思議そうな顔をしてこっちをのぞき込む姉。
「なんでもない、それ食べたら帰ろ」
「んむ」
姉が杖を突いて、僕がその速さに合わせて自宅までゆっくりゆっくり歩いた。
風もなくはらはらと粉雪が舞い散る中僕たち
「うーっ、寒いっ」
姉が歯を鳴らして寒がる。
「あと少しだから。そしたら風呂浴びてきなよ」
「えっ、ゆーくんと一緒に?」
姉がいたずらっぽい顔を向ける。
「ばかっ」
僕はそんな姉の顔から目をそらす。
帰宅してすぐ姉は風呂に入った。もちろん一人で。きっと紅白で覚えた歌だろう、風呂場から調子っぱずれな姉の歌声が聞こえる。でも声はきれいだ。おふくろは焼き鳥の土産はいまいち気にいらなかったみたい。これで親父がまた一杯やりたくなるんじゃないか、って思ったようだ。そのおふくろは歌手のトーク番組を見ながら自分の分のねぎまをうまそうに平らげた。
姉が風呂からあがると、そのほかほかの状態のまま自室に行って寝ることになり、僕もそれに合わせて寝ることにする。ところが、僕がもう寝ようかと布団に入って明かりを消したとき、姉がいきなり僕の部屋に入ってきた。
「だからノックしろっていつもあれほど――」
「ごめんね」
「は?」
姉が何を謝っているのかわからなかった。さっき焼き鳥をねだったことか?
「いいんだよ。ゆーくんはゆーくんの願い事をして」
「えーと?」
「姉ちゃんのことばっか考えてないで、もっと自分のこと考えてもいいんだよ」
「……」
「それじゃね」
僕は部屋を出ようとする姉の後ろ姿に声をかけた。
「僕のことなんてどうでもいいんだ。姉さんがいつまでも元気でいるのが僕の望みなんだ。僕はいつもいつもそのことだけ考えてる。今までだって、これからだって」
姉は何も言わずに杖を突いて部屋を出ていった。廊下で杖をつく姉の足音がなんだか悲し気に聞こえた。
その夜僕は粉雪ちらつく月夜の下、杖も突かないで歩く姉と身を寄せ合い、ゆっくり黙って歩みを進める夢を見た。
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