第25話 河童と水路工事

 翌日、松島夫妻は台東区に足を運んだ。


 浅草寺の西方、上野御徒町エリアの東方にある『かっぱ橋道具街』。


 みかみの仙次を始め、首都圏に住まう板前は必ずこの街へ足を運ぶ。何しろここは「台所用品なら何でも揃う街」だ。職人が使う包丁だけを取り扱う店舗も存在する。真夜はキョロキョロと周囲を見回しながら、


「へぇ~……こんなところがあるなんて知らなかったわ」


 と、感心しがちにつぶやく。


「ねえ、ほらこれ! センが使ってるのと同じ包丁よ!」


「ああ、こりゃ柳葉包丁だな。仙次はこれで刺身を切るんだ」


「やっぱり肉を切るのと魚を切るのとじゃ、包丁も全然違うわね。……私の育った国は、魚を生で食べる習慣なんてないから」


「魚を生で食べるのは日本人くらいだ」


 夫妻はそう語り合いながら、刃物専門店のショーウィンドウを眺める。美しい輝きの包丁が幾本も陳列され、種類も豊富に揃っている。私も新しい包丁を1本買っていこうかしら……と真夜は一瞬考えたが、それを振り払って孝介にこう告げる。


「でも、ここが河童とどう関わりがあるの? まさか名前がたまたま“かっぱ”だから、というわけじゃないでしょうね?」


「そうじゃねぇよ。このあたりはな、200年ほど前に合羽屋喜八という商人が水路を作った場所なんだと。その当時は湿地帯で、水捌けが悪いってんで合羽屋喜八が私財を投じて掘割を建設した。で、その時工事に協力したのが隅田川の河童たちだった……という言い伝えがある」


「河童が水路の工事に携わっていた、ということ?」


「まあ、そうだな。もっともこれはあくまでもひとつの説だが——」


「凄いわね!」


 真夜は孝介の話を遮り、


「人間の事業のために魔物を動員した、ということよね? 大した召喚士ね、その合羽屋喜八って人。名前からして、元々河童を操る職業だったのかしら?」


「いや、単にレインコートを売る商売だったから合羽屋だって話でな——」


「それは表向きの職業でしょう? 恐らく、ううん、間違いなくその人は、最初から河童たちを操る魔術を習得していたのよ」


 真夜はそう言い切った。もちろん、その論説には根拠がある。


 真夜自身、サハギンやリザードマンを呼び出して操る魔術を身に着けているからだ。


 水棲の魔物は元来従属させやすい生物で、しかも繁殖能力に優れているため一度にまとまった数を戦力として動員することができる。河童もそのような生態である可能性は低くない。現にこの魔物は、人間の商人に従属して水路工事に参加したそうではないか。


「で、その河童は今でもこのあたりに生息してるの?」


 真夜は期待に胸躍らせながら孝介に質問した。


「……さあ、どうだかな。とりあえず、現地に行って見てみるか」


 孝介はそう言うと、真夜の右手を優しく掴んでそれを引いた。


「あっ! ちょっと待って」


「何だ?」


「あのね、さっき見かけたお店で可愛いお茶碗が売られていたの。木でできたもので、猫のシルエットが彫られてるやつ。……私の分とコウの分、ちょうどふたつあったから」


 真夜は頬を火照らせながら俯きがちに、


「コウのお茶碗も買ってあげるのよ。感謝なさい」


 と、言い放った。

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