第24話 締めは仙次の梅茶漬け

 光の地には5つの王国が存在する。


 緋村玲人のパーティーは、光の地の中で最も領土の小さいキシロヌ王国に所属する。が、既に数々の魔王軍幹部を討伐し、さらに魔王軍によってダンジョン化したキシロヌ王国領を攻略・奪還したため、玲人とパーティーメンバーの名は今や光の地全体に轟いている。


 そして今夜は、魔王軍幹部の闇の魔操師リディアに勝利した記念として、馴染みの酒場で祝杯を挙げる。


「かんぱーい!」


 木製のジョッキが4つ、丸テーブルの真上でコツンとぶつかり合った。


 そのテーブルの上には、4人では食べ切れそうにないほどの料理が並べられている。中央には鶏の丸焼き、その周囲にはポテトと揚げ物とソーセージ、スパゲッティのような光の地の麺類、サラダ、果物、そしてシチュー。魔王軍の幹部を討伐した時、彼らは必ずこうして祝賀会を行う。


「いや~、ようやくリディアを倒すことができて本当によかった!」


 玲人はそう言葉を発しながら、ジョッキの中のビールを豪快に飲む。ちなみに、光の地のビールはノンアルコールで、何杯飲んでも酔うことはない。


「あいつがコールドブレスを出してきた時はヤバいと思ったけど、グレゴリーが飛び出してきてくれたから何とかなった。グレゴリー、もう一度礼を言うよ。ありがとう!」


 と、玲人は鎧を脱いで身軽な姿になったグレゴリーに頭を下げた。


「はははは、俺は自分の役目を果たしただけさ。それよりも、セシリアの剣技を褒めてやってくれ。あのリディアも、セシリアのレイピアに圧倒されてたからな!」


「私はどんな時でも剣で戦う。たとえ相手が闇の魔術師でも、な」


 セシリアはジョッキに口をつけつつ、ニヒルに微笑む。


「魔術を否定するわけではないが、最後に物を言うのはやはり剣技だ。これから誰が挑んでこようとも……無論、それが魔王デルガドであろうと私は剣を取って戦う」


「頼りにしてるぞ、セシリア!」


 玲人はそう言いながら、セシリアの肩を叩いた。そしてグレゴリーを含めた3人で、幸せそうな笑い声を上げる。


 ヒューはそれを、疑念の目で見ている。


 考えてみれば、このパーティーはいつもこの酒場で祝賀会を行ってきた。初めて魔物を倒した後も、闇の騎士や魔操師の侵略を阻止した時も、王国領を取り返した時も、必ずと言っていいほどの確率でここで食って飲んで騒いで笑った。ヒューはその瞬間が最高に楽しく幸せだと思っていたし、今現在の3人も同じ気分のはずだ。


 が、今回は違う。


 俺、こんなことやってていいのか?


 ヒューの母親は光の地の魔操師だが、父親は異世界の国日本出身の勇者。つまり彼は、今の玲人と同じ境遇だった人物の子である。そしてヒュー自身、2つの世界を往復できる「橋」を作り出せる魔操師だ。


 これができるのは、彼以外には闇の魔操師ヒルダしかいない。そしてヒルダを含む闇の地の住人……いや、この世界の人々はヒューが「橋作り」の能力を持っていることを知らない。もし知っていれば、真っ先にヒューを拉致するはずだからだ。


 その上、ヒルダの「橋」は自分ひとりしか異世界へ行けないが、ヒューのそれは複数人の移動が可能。これは魔王軍が喉から手が出るほど欲しがっている技術である。だからこそ、尚更ヒューの能力を知られてはいけない。「最高機密」を知っているのは、パーティーのメンバーとキシロヌ国王、そして数人の大臣のみ。


 それはともかく。


 ヒューは日本での生活基盤を持っている。冒険の合間に「橋」を渡って日本へ行き、向こうでごく普通の19歳の青年として過ごしている。「篠原竜也」という日本人としての名前も持っている。自宅は父親の実家だ。


 去年通信制の高校を卒業して、今は進学するわけでも就職するわけでもなくブラブラしている。単刀直入に言えば、無職だ。


 俺、本当にこれでいいのか?


 光の地へ戻ったら玲人たちのパーティーに合流し、迫りくる魔王軍と戦いながら時々恋愛もする。この前までは、パーティーに一時参加していたヒーラーの女の子といい線まで行った。もっとも、そのヒーラーは別のパーティーに正メンバーとして呼ばれたきり、ヒューに見向きもしなくなったが。


 それに対する恨み言……というわけではない。が、ヒューは今の生活が将来の自分にとって良い方向に作用するのか、もしかしたら時間を浪費しているだけではないかと思うようになった。


 この酒場で飲み食いしていることもそうだ。


 ここは安くて美味くてボリューム満点の料理を出す店だから、自分たちだけでなく他のパーティーも常連客として訪れている。冒険を始めたばかりの者にとっても通いやすい店、という評判だ。しかしそれは、日本で言うところのファミリーレストランみたいな店ということではないか?


 そんな店にばかり通っていても、人生経験の足しにはならないのでは?


 日本の高級料亭……とはいかないまでも、ちょっと値の張る小料理屋か割烹みたいな店に1回でも訪れるほうが、俺の人生にとってはプラスになる気がする。


 本当にこのままでいいのか、俺?


 それに——。


「どうしたんだ、ヒュー? 元気ないぞ。ほら、もっと食えよ」


 落ち込み気味なヒューを見かねた玲人が、小皿に料理を分けてそれを渡した。


「ありがとう、レイト」


 ヒューは玲人に感謝しながらも、あることを思い出す。


 今日倒した闇の魔操師リディアの最期だ。


 ヒューの攻撃魔術ヒートウィンドが致命打となり、リディアは消滅した。その時の彼女の顔と言葉を、ヒューは脳内で再生してしまったのだ。


「嫌っ! 助けて……死にたくない! 死にたくない!」


 リディアは涙をこぼしながらそう言った。そして、髪の毛1本も残さず消滅した。


 俺はもしかしたら——。


 もしかしたら、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。


 なのに他の3人は、呑気な様子で安い料理を食って笑っている。


 *****


 三朝正宗の熱燗は、既に4本目だ。刺身の大皿もすっかり綺麗になってしまった。


 締めは仙次の作った梅茶漬けである。月に2度はみかみで食事をする松島夫妻だが、この店で茶漬けを食べるのは初めての経験。麻由子曰く「先月お品書きに加えたばかり」らしい。


「このお茶漬けのわさび、チューブの西洋わさびじゃなくて静岡産の本物よ。裏でセンちゃんが卸したの。熱燗と相性がいいから、食べてみて」


 そう勧められながら、夫妻は茶漬けを一口すすってみた。


「こりゃあ……美味ぇや!」


「ああぁぁ……最っ高!」


 夫妻は至福の溜め息に近い言葉を発した。その様子を窺う麻由子はくすくすと笑いながら、


「ね、美味しいでしょ? 実はこれがセンちゃん最大の武器だったりするのよ」


 そう解説した。仙次は「いやぁ」と照れつつ、


「女将さんにそう言っていただけると、あたしも助かります。これはね、あたしの最初の師匠が教えてくれたことでして。“下戸でない限り、美味い熱燗と美味い茶漬けに逆らえる奴はいない”というのが師匠の口癖だったんでさ」


 と、話した。それに対して孝介は漆器のさじを動かしながら微笑み、


「お前はいい師匠を持ったんだな、仙次」


「へい、おかげ様で。ロクデナシだったあたしが包丁1本で何とか食える身分になったのは、その師匠があってこそで。へい」


「そのあたり、お前が羨ましいぜ。俺なんてなぁ……」


 ここで孝介は言葉を止め、


「いや、いい。ともかく、俺は師匠には恵まれなかったってことさね」


 と、自分に対してせせら笑った。

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