第20話 闇の魔操師は絵本作家

 真夜の左手は、まだ少し痛んでいる。


 あの時、異世界人のライトニングスピアを左手の甲に受けてしまい、真夜は負傷した。ポーションを飲めば何とかなる程度の軽い傷とはいえ、どうしても痛みは残るものだ。


 悶絶するほどの激痛ではないが……いや、だからこそ筋肉に圧しかかるような疼痛が尚更気になってしまう。それは真夜の仕事を阻害するほどだった。せっかくこの世界で職業を持てたというのに——。


 もっとも、負傷したのが左手というのはむしろ幸運だったかもしれない。これが右手だったら、それこそ仕事ができなくなってしまうのだから。


 *****


 あのデイラボッチの絵を、孝介は大衆文芸館の児童書担当編集部に持っていった。


 この編集部の責任者は、何でも大相撲のファンで孝介とも仲がいいとのことだ。しかしそれ以上に、この人物は真夜の描いた絵に魅せられてしまったらしい。「これは幼児用絵本として書籍化できるのではないか」という話になり、そのために会議まで開いた。


 検討の結果、ある条件と引き換えに真夜に対して報酬が発生する運びとなった。


 その条件とは、製本を前提にした絵をあと4ページ分描くこと。そして絵が全て完成した暁には、印税ではなく原稿料の形で報酬を受け取ってほしいという内容だ。


 印税と原稿料、この両者の違いは本の売り上げに連動しているかそうでないかだ。平たく言えば、原稿料は一度きりの報酬である。それを受け取れば、あとは本がどんなに売れようともインセンティブは発生しない。


 その上で大衆文芸館は、真夜に対して相場以上の原稿料を提示した。


 当初、真夜はこの話に消極的だった。それはそうだろう。彼女がデイラボッチの絵を描いた理由は、魔王デルガドに提出する報告書にプラスアルファするためだ。せっかく描いた絵を、異世界人の子供が読む絵本にしてたまるか! そもそも、私はこの世界の子供には深い因縁がある。図書館の児童書コーナーで膝裏に飛び蹴りを食らわされた恨みは、決して忘れない。


 が、それはそれとして「異世界で絵本作家になる」というのは、実は悪くない選択ではないかと感じるようにもなった。


 まず、この世界での隠れ蓑がより強固なものとなる。そしてこの世界で偵察するための活動資金を、孝介の経済力に頼ることなく得ることができる。さらに魔王軍がこの世界を完全占領した時、子供たちに魔王の偉大さを絵本で教育してやれる。考えれば考えるほど、自分が絵本作家になることは利点だらけだと思えるようになった。


 さらに編集部は真夜に、


「デイラボッチの絵本の報酬は原稿料という形ですが、評価が良ければ次回作からは印税で対応させていただきます」


 と、告げた。印税なら、絵本が売れれば売れるほど真夜の実入りになっていく。


 闇の魔操師のやる気に火がついた。


 *****


「ねえ、コウ……もっと湿布買ってきて。まだちょっと痛みが引かないわ」


 真夜は未だ痛む左手の甲をマッサージしながら、孝介にそう言い渡した。


「何でぇ、真夜。机の角にぶつけたとかっていう怪我はまだ治らねぇのか?」


「ええ、まあ。強い痛みじゃないけれど、ちょっと疼く感じね」


「あんまり長引くようなら、医者に見せたほうがいいかもしれねぇな。俺たちも、もう若くはねぇしよ」


 孝介がそう言うと、


「何よ、それは私が女として歳を取り過ぎたって言いたいの?」


 真夜は眉間に皺を寄せた。


「そうじゃねぇよ。……ったく、お前は何でも妙な方向に解釈しやがる。それじゃ人生面白くねぇぞ」


「大きなお世話よ。私はね、コウ。もう年齢なんて一切気にしないことにしたのよ」


「ほう?」


「20代だろうと40代だろうと、何かを始めるに遅いことなんてないの。現に私は、35歳で新しい仕事を得ることができたわ。なのに若いだの若くないだの言ってるコウは、やっぱり器の小さな男ね」


 そう言われてしまった孝介は、


「はっ! やっぱり真夜はおめでたい女だぜ」


 と、笑い飛ばした。


「……ところで話は変わるが、真夜」


「何?」


「この前のデイラボッチの記事、3日前に趣味歴で配信したんだ」


「ふぅん」


「喜べよ、真夜。あの記事結構拡散されたらしくてな、俺にインセンティブが出ることになった。“デイラボッチは存在した”というトーンで書いてみたのがウケたのかねぇ」


「トーンも何も、デイラボッチは存在した生き物じゃないの?」


「まあ、敢えてそう考えていりゃあ気軽な人生を送れるのかもな。オカルトも悪いもんじゃねぇさ。明日を生きるためのガス抜きになるってもんだ」


 孝介は真夜の肩に腕を回し、


「で、ここからなんだが……読者からこんな要望が来てるんだ。“今度は河童伝説について調査してほしい”とな」


 と、耳元で告げた。

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