第9話 伝承に根拠は存在する

 プロレスラーのマックス流子、ライターの綾部勝明母子が住むマンションは、JR橋本駅から程近い距離にある。


 孝介が出入口のインターフォンを押すと、


「はいはい、どなたですか~?」


 という、やや間の抜けた男の声がした。


「俺だ、松島だ。宣言通り、来てやったぞ」


「ああ、マツコー先生。今開けます」


 直後、出入口のガラスドアがガチャリと開錠。松島夫婦はそのまま奥へ進む。


 *****


「どうもです、マツコー先生」


「こんにちは、コウスケ先生とマヨさん」


「今日も元気か、関取」


 松島夫妻を迎えたのは3人、流子と勝明、そして勝明の恋人のメアリー・ホイットレーだ。


 世界的名門科学・地理学雑誌『ニューワールド・サイエンス』の記者でもあるメアリーが綾部母子と同棲を始めた、という話は孝介も噂に聞いている。今回の訪問は、それを確認する意味もあった。平たく言えば、冷やかしだ。


「噂は本当みたいだな、兄ちゃん。お前が彼女を住まわせて、母ちゃんの部屋の隣で毎夜毎夜ズッコンバッコンハメまくってるっていう話だ」


「そ、そりゃまあ間違いではないんですが……。そんな噂、どこで聞いたんですか?」


「風の噂ってやつだ。子供ができたら下ろさず育てろよ」


 孝介は勝明の肩を叩きながら、


「ほれ、土産だ」


 と、手にしていた紙袋を勝明に渡した。


「あ、どうもすいません。菓子折りか何かですか?」


「菓子折り? 俺がそんな昭和止まりのセンスの持ち主だと思うか。開けてみな」


 孝介にそう促され、勝明は正方形の箱の包み紙を解いた。


 中を覗くと、出てきたのは有名ブランドの男性用オナホールである。ご丁寧にもこれは、オナホールの贈呈用豪華詰め合わせセットだ。ローションと精力増強栄養ドリンクまで入っている。


「メアリーがいねぇ時は寂しいんじゃねぇかと思ってよ、気ぃ利かせて持ってきてやったぜ。感謝しな」


 孝介がそう言うと、


「ワオッ! これが日本のアダルトグッズね。うふふ、これって私と交わっている時でも使えるんでしょう? 早速今夜、これ使ってアキをいじめてあげようかしら」


 メアリーはオナホールを手に取り、勝明の股間にあてがって振り回す仕草を見せた。


「……えらく余計なお世話を焼いてくれやがってありがとうございます、マツコー先生」


「いいってことよ」


 *****


「なるほど、巨人伝説か。そんな迷信をあんたが調べるとはな、関取」


 流子は半ば感心しながら、カップの紅茶を一口飲んだ。


「まあ、今回の仕事は安請け合いしちまったもんなんだがな。ところが、俺のスケが迷信にものすげぇ興味を持ってるんだよ」


「へぇ」


「鹿沼公園のデイラボッチの池も、熱心にスケッチを描いてたしな」


 それを聞いた真夜は、


「迷信と言われているものにも、ちゃんと根拠はあるわ」


 と、孝介に反論した。


「私は巨人は存在する前提で調べてるの。でなければ、あんな話も伝承として語り継がれていないはずよ」


「あんた、デイラボッチはいると思ってるのか?」


「ええ、います。いえ、もしかしたら今は絶滅しているのかもしれませんけど、歴史上に存在していたことは確かです」


 真夜は流子に対し、胸を張ってそう答えた。


 そして流子も勝明もメアリーも、こういう場面で「そんな馬鹿な」と真夜を笑う人間ではない。むしろ彼らは真剣に考え込み、


「確かに、あり得るかもしれないね」


「伝承自体はちゃんとあるんだからな」


「地域の伝説は、真面目に検証しないといけない事項ね」


 と、口を揃える。


「佐藤春夫だったかな? “小説は根も葉もある嘘八百”って言った物書きがいたんですけど、伝説も伝承も迷信も何かしらの実話を基にしてその話が作られたはずだからしっかり検証するべきなんですよね。だからデイラボッチ伝説も、必ず根拠になる実話が存在すると僕も思います」


 勝明は松島夫妻にそう述べた。直後、


「イギリスにも『ブリタニア列王史』という偽史書があります。歴史文献としては無価値ですけれど、それでもまったく根拠のないところからあれだけ壮大な話を書けるわけがないのですから、やはり学術的に研究する意義は大いにあります」


 と、発言したのはメアリーだ。


「ニューワールド・サイエンスでも、しばしば各国の伝承について取り上げます。それは結局、歴史や宗教や文化にもつながっていく話なのですから、無視することはできません」


「民俗学ってやつだな」


「そうです。なぜそのような伝承がその地域にあるのか、他の地域にある類似した伝承との差異はどこか……ということを研究すると、時として驚くべき事実を発見することもありますから」


 メアリーの言葉に、孝介は深く頷く。が、それ以上に感心しているのは真夜だ。


 やはり、伝承は事実に基づいた話ということか。イギリスの魔術研究家が言うのだから、間違いないだろう。


 真夜の意識では、メアリーは「日本とは異なる国の魔術研究家」である。この世界は東洋と西洋に分かれていて、日本は東洋に属しているということは既に知っている。一方、イギリスは西洋だ。西洋の国々には東洋にはない魔術や魔操師が存在し、それを教える学校まであるということを真夜は図書館の児童書コーナーで調べている。メアリーの魔力は未知数だが、西洋魔術の知識に精通していることは間違いないだろう。


 そしてメアリーの言葉に、上級ゴブリンのマックス流子も太鼓判を押しているのだ。


 やはりデイラボッチは存在する! 真夜の探求心に火が灯った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る