第8話 デイラボッチ伝説

 神奈川県相模原市中央区にある鹿沼公園。


 真夜と孝介は、この公園の敷地内にある池を眺めていた。いや、真夜は眺めるどころか極めて真剣な表情で目の前の風景をスケッチブックに描いている。5Bの鉛筆と消しゴムを使い、手慣れた様子で白紙に鹿沼公園を再現してしまった。


「相変わらず絵が上手ぇなぁ、真夜」


 孝介はスケッチブックを覗き見ながら、そうつぶやく。


「こういう時、お前が羨ましくなっちまう。俺なんか、絵心の欠片すら持ってねぇから」


「偵察をするのに絵は必須の技能よ、コウ」


「偵察?」


 孝介は首を捻り、


「お前、生まれ育った国でスパイでもしてたのか?」


 と、質問した。


「ま、そんなところね」


「へぇ~……。まあ、どうせお前のことだ。一目惚れしたクラスメイトの野郎に告白したくてもできねぇから、こっそりそいつのツラ描いて部屋に貼って楽しんでたんだろ」


 孝介がそう言うと、


「ちょっ、ちょっと! それはどういう意味!?」


 と、鉛筆を持つ右手を振り上げた。孝介は「おお、怖ぇ怖ぇ」と言いながら、その場を離れる。


 2人が法律上の夫婦になってからも、この調子はまったく変化していない。孝介が余計なことを言い、真夜が腹を立て、その数十秒後に抱き合って仲直りをする関係。真夜——ヒルダは魔王からの使命を秘めつつも、孝介のツッコミ役に徹する毎日にすっかり浸っている。


 *****


 鹿沼公園の池は、「デイラボッチの足跡」と呼ばれている。


 その昔、デイラボッチという巨人がいた。


 デイラボッチは、何と富士山を背負っていた。あの巨大な独立峰である。それを運べるほどの大きさの人間……いや、怪物が存在していたらしいのだ。しかしいくら巨人と言っても、やはり富士山を運ぶのは大変だった。途中で休憩し、ひとまず体力を回復しようとした。


 ところが、休憩の最中に富士山に根が生えた。この根はガッチリ地中に伸びてしまい、デイラボッチの怪力でも動かなくなった。


 激しく地団駄を踏むデイラボッチ。その際の足跡が、鹿沼公園に限らず相模原各地に残っている。


 なるほど、確かに整合性のある話だ。が、私の目の前にあるデイラボッチの足跡は、いささか小さ過ぎないか?


 真夜はスケッチブックに鉛筆を滑らせながら、そう思案し始めた。富士山は実際に何度も見たことがあるし、2年前には孝介と一緒に頂上まで登った。体力的にはかなり辛かったが、それを吹き飛ばすほどの勇壮な雲海と日の出を眺めることができた。


 あれだけの山を運ぶことができる巨人なのだ。鹿沼公園の足跡の主は、もしかしたら異世界の巨人族の中では小さいほうではないのか?


「ねえ、コウ」


「ん?」


「これ、本当に富士山を運んだ巨人の足跡かしら? こんなサイズで、あんな大きな富士山を運べるわけがないと思うけど」


 そう問われた孝介は、


「どうだかなぁ……。今回は地域伝承の記事の取材でここまで来たんだが、実は俺は伝承だのおとぎ話だのはあんまり詳しくねぇんだ」


 と、苦笑した。


「こういうことは、ボスのほうが詳しいはずだぜ」


「ボスって、あの魔女の……?」


「そう、あの魔女の山木田美生だ。何たってボスは、もう300年くらい生きてっからなぁ。へへへへへっ!」


 さ、300年!? やはり山木田美生は、この世界屈指の魔操師だったか! いや、この寿命は魔操師どころか、もはやエルフかヴァンパイアの域である。恐るべし、山木田美生……。


「なら、いっそボスにこのこと聞いてみるか」


「え?」


「デイラボッチ伝説ってのは、何も相模原だけのもんじゃねぇんだ。ダイタラボッチだのダイラボウだのと呼び方こそ違うが、日本のあちこちに似たような伝説がある。そのあたりのことをボスに聞けば、多少のことは分かるだろ」


 孝介はそう言いながら、


「その前に、あの16号線兄ちゃんにも挨拶せんとな」


 とも付け足した。

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