結婚相手は魔王の尖兵!
ジャワカレー澤田
スケルトンの眠る海岸
第1話 闇の魔操師ヒルダ
この世界には「光の地」と「闇の地」が存在する。
闇の地に君臨する魔王デルガドは、半年前に玉座に就いたばかりだ。
デルガドが魔王に君臨した日に、光の地への侵略が始まった。130年ぶりの光と闇の全面戦争である。光の地の王たちはあらゆる手段を用いて屈強な勇者を招聘し、さらに魔操師や賢者、戦士も繰り出して闇の軍勢に対抗した。
多くの犠牲を伴ったこの抵抗により、光と闇の戦争は小康状態になった。
が、デルガドはさらなる一手を既に実行している。
もうひとつの世界——俗に言う「異世界」への侵略を開始したのだ。
もっとも、現時点で異世界に対する本格的な攻撃は行われていない。
「橋」と呼ばれる、この世界と異世界をつなぐ通路がまだ存在しない上、異世界の者たちも決して馬鹿ではないはずだ。侵略されていることが判明したら、間違いなく軍を編成して反撃に出るだろう。
しかし、異世界の軍というものがどういうものなのか、或いはどのような魔物や聖獣がいるのか、闇の地の者にも分からない。
そこでデルガドは、闇の魔操師ヒルダを呼び出した。
ヒルダはこの世界で唯一、2つの世界を自在に行き来できる能力を持つ魔操師だ。
*****
「ヒルダよ、面を上げよ」
デルガドの玉座の前に片膝を突くヒルダは、その言葉を受けてゆっくりと顔を上げた。
漆黒の長髪を蓄えたヒルダは、露出度の高い魔操服を身にまとっている。光の地の男どもが鼻の下を伸ばしながら気安く「レオタード」と呼んでいるその服は、闇の地の魔操師にとっては至って標準的、かつ高尚なデザインの衣装だ。光の魔操師が好んで着るローブよりも動きやすく、いざとなれば剣を取って俊敏に戦うこともできる。
それはさておき。
ヒルダは先祖代々、「橋」を作り出す魔術を受け継いでいる。しかもそれは魔力を殆ど消費せず、いつでもどこにいても創出することができるものだ。
しかし、「橋」はそれを作った者しか受け入れない。魔王デルガドですらも、ヒルダの「橋」を通ることができない。ヒルダの「橋」は、本当にヒルダだけのものなのだ。故に、「橋」はまだ存在しないに等しい。闇の地の誰しもがそれを渡れなければ意味がないからだ。
無論、「橋」の研究は着実に進められている。闇の地の誰もが異世界へ転移できるだけの大きな「橋」は、いずれ具現化するはずだ。
「ヒルダよ、お前は余の尖兵となるのだ」
デルガドはヒルダにそう伝えた。そして、
「異世界の者がどのような力を持っているのか、彼の地の軍勢がいかなる力を持っているのか、お前は命を賭して調べるのだ。よいか、この使命は我々闇の地の者の繁栄がかかっているものと思え。失敗は許されぬ——」
デルガドは玉座から立ち上がり、跪くヒルダの目前に歩み寄った。
「余のために命を捨てよ、ヒルダ」
そう言いながら、デルガドはヒルダの顎に指を当てて軽く上に向けた。
ヒルダは吐息と共に、
「仰せのままに」
と、返答した。直後、ヒルダの身体が闇に包まれ、そのまま消えた。
異世界につながる「橋」を渡ったのだ。
*****
異世界では大胆な露出の魔操服を着続けるわけにはいかない。ここにいる時のヒルダは、白いブラウスにタイトスカートという格好でいることが多い。
ついでに、名前も「並木真夜」としている。闇の地の者唯一の異世界定住者として、ここでの生活基盤もちゃんと築き上げている。そうでなければ、魔王デルガドから授かった任務をこなすどころではなくなってしまう。
異世界でのヒルダ……いや、真夜は現地の男と同棲している。しかも、5年も前から。彼との初めての出会いを起点に時間をカウントすると、もはや10年近くになってしまう。
もちろん、この男はあくまでも己の任務のために利用しているに過ぎない。男をその気にさせ、自分の思うままに動かしている。
が、そんな同棲相手はいささか無精だ。すぐに部屋を散らかす癖がある。真夜はそれをどうしても見過ごしてはおけず、気がつけば彼の部屋を掃除している。
「コウ、そろそろ起きて。掃除するから、ちょっと外して」
真夜はカーペットの上で横になっている同棲相手・松島孝介にそう呼びかけた。
孝介は固太りの身体を持った42歳で、職業はライターである。
真夜にとって、同棲相手がライターというのは極めて都合がいい。この世界——真夜にとっての「異世界」——の様々な情報を握り、しかもそれを公に発信しているからだ。その情報が、闇の地からの侵略の手がかりになるとも知らずに。
「真夜、いつもすまんな。歳を取ると、どうも掃除が億劫になっちまわぁ」
孝介は起き上がって背伸びをし、
「若い頃は、ここまで無精な男じゃなかったんだがよ」
「別に、どっちでもいいわ。いずれにせよコウの部屋の掃除は、私の役目なんだから」
「悪いな。たまには俺がやったほうがいいか?」
「ううん、私にやらせて。……何かいい情報がないか、確認しないと」
真夜は悪意のある微笑を浮かべながら、そう返した。
その「情報」とは、この世界への侵略を達成するためのあらゆる手がかりである。無論、孝介は真夜の真意を未だに知らない。知る由もない。
「情報ってのは、俺が他の女と付き合ってる証拠か?」
孝介は呑気にそう言った。そして、
「……仕方ねぇ、白状しちまうか」
「え?」
「実はな、お前にはずっと打ち明けてなかったんだが……。察しの通り、俺には女がいる。お前よりも若い、30歳になったばかりのなかなか床上手の女だ。今まで黙っていて悪かったな」
と、つぶやくように告げた。それを聞いた真夜は、
「ちょっ……それはどういうこと? コウに私以外の女がいるって、それは何? 何なの? ねえっ!」
「……落ち着けよ」
「落ち着けるわけないでしょう!」
真夜は雄大な筋肉に覆われた孝介の両肩を掴み、
「女がいるって、どういうことなの? 私を裏切るつもりなの? コウ、私は今まであなたをずっと——」
「真夜、あまりムキになるな。これは冗談だよ、冗談。気まぐれの嘘だ」
「……は?」
「俺と付き合う奇特な女が、お前以外にいると思うか」
孝介は右掌を真夜の左頬にあてがい、
「相変わらず、お前はからかい甲斐のある女だ。ここまで素直に反応してくれる35歳も珍しいな」
と、先ほどの真夜以上に悪意のある微笑を浮かべた。
それを聞いた真夜は、全身の血液がすべて脳に集まってしまうような感触を覚えた。怒りと恥ずかしさ、動揺、そして若干の安心感が血管の中で乱れ合い、真夜の神経を大いに刺激する。
「ば……ば、馬鹿っ!!」
そう叫ぶと同時に、真夜は孝介の固い胸板をゲンコツで殴った。
「馬鹿! 馬鹿! よくも私をっ! この俗物!」
真夜は力を振り絞り、何発も何発も鉄のような硬度の胸を叩く。もちろん、孝介はまったく動じない。
「あーあー、わーったよ、俺のカミさん」
と、孝介は両腕を真夜の細い身体に回し、
「こんなヤクザ者の俺に寄り添ってくれるのは、お前だけだ。他の女なら、とっくの昔に逃げてらぁな」
そう言って、優しく抱き締めた。
何を言ってるんだ、この男は。所詮は私に利用されているだけの犬に過ぎないくせに——。
などと考えつつ、真夜は孝介の胸に全体重を委ね、そして唇を重ねるのだった。
*****
「真夜、お前骸骨好きか?」
突然、孝介がそんな珍妙な質問をした。
「骸骨?」
「明日、お前何もやることがないって言ってたな? だったら俺の取材に付き合ってみないか? ……実はな、俺が記事を書いてやってる大衆文芸館の『趣味の歴史研究』が、何をトチ狂ったか紙の雑誌を作るんだと。そのための写真撮影と取材をするとか何とか編集部が言ってるんだ」
孝介はそう説明した。
経済メディアや娯楽メディアに署名記事を配信している孝介は、日本史と日本文化を取り扱うWebサイト『趣味の歴史研究』にも記事を卸している。運営会社は日本の大手出版社大衆文芸館である。
孝介は歴史の研究家というわけではないが、趣味の歴史研究は日本史をポップにライトに取り扱うメディアだから、記事の執筆者が必ずしもその道のプロである必要はない。
それに、孝介はかつて「日本文化の象徴」とも言うべき職業に就いていた。が、このあたりはまた別の話。
「首都圏に骸骨がゴロゴロ出てくる土地がある……と言ったら、オカルト好きのお前は興味を持つか?」
「それは墓場のこと?」
「そうとも言えるが、いずれにせよただの墓場じゃねぇぞ。大体、日本人は故人を火葬するじゃねぇか。アメリカやヨーロッパとは違って、人骨が綺麗な状態で出てくる土地ってのはそんなにねぇんだ」
孝介は含みのある笑みを見せながら、
「どうだ、見てみるか?」
と、もう一度問うた。
真夜にとっては、情報収集の絶好の機会である。
闇の地にも、呪いのスケルトンが存在するからだ。
スケルトンは、極めて強力なアンデッド戦士。物理攻撃を受けてバラバラになっても、数秒後には元通り復活する。魔王デルガドもスケルトンだけで構成された軍団を編成し、光の地に差し向けている。
この世界にもスケルトンが存在するとは知らなかったが、そうであるなら尚更見てみる価値はある。
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