幸せの交換

森戸 詠士

第1話

「え?あれっ?ちょっとー、これ『そば』じゃないじゃん!」

 12月31日、午後11時30分。間もなく新年を迎える。

 彼女とはこれまで3回、一緒に年越しの瞬間を共にしたが、家でのんびり過ごすのは初めてだ。

 来年は二人でどんな一年にしていこうか、年越そばを食べながら語り合いつつ、新たな年を迎えるつもりだった。

 …が、何やらキッチンで騒がしくしている。

「どうした?早くそばを用意しないと年が変わっちゃう…って、それ『赤いきつね』    じゃん!あらら、うどんの方を買ってきちゃったのか。」

「そんなこと言われても…。だって、『赤いたぬき』を買ってきてくれって言ってなかったっけ?」

「俺は『緑のたぬき』って言ったはずだけど…。どっちがどっちかわからなくなっちゃったのか。」

「えー、そんなわけないよ!わたしスマホにメモってるし!」

 こんなやりとりはしょっちゅうだ。で、結果はわかっている。

「ほら!『緑のたぬき』って書いて…、緑のたぬきじゃん!なにこれー、もう、まぎらわしいよ!」

「…。」

「…あの、…ごめん、年越そば、楽しみにしてたもんね…。」

「オーケーオーケー!俺が勝手に、『大晦日の夜には年越そばを食べるもんだ』って思ってただけで、実は全然こだわりなかったんだよね。ぶっちゃけ、そばでもうどんでもどっちでもいいよ。」

「本当に?内心は『こいつ、肝心なとこミスりやがって!』とか思ってるんじゃない?」

「そんなことないって。ほら、湯が沸いた。さっと作らないと年が明けちゃうぞ!」


 5分経っても彼女はもやもやしているようだった。

「ねえ、本当にそばじゃなくてよかったの?」

「ホントのホントのホントに大丈夫!赤いきつね、やっぱりウマいなー!」

「そうだけど…、年越そばって、『細く長く生きられますように』って意味があるんじゃなかったっけ?うどんで代わりになるのかな…。」

「じゃ、いいこと教えてあげる!はい、俺の『お揚げ』、どうぞ!」

 俺は自分のカップに入っている、汁が染み込んでホヤホヤになったお揚げを彼女のカップに入れた。

「え?私2枚もいらないよ?」

「んで、君のお揚げを俺のカップにちょうだい。」

「なにそれ。意味ないじゃん。」

「それが意味あるんだよ。思い出したんだけど、年越しにそばじゃなくて、うどんを食べるのも最近流行っているみたい。それで、うどんに入ってるお揚げを交換するんだって。」

「なんのために?」

「あなたに『幸せを“あげ”ます』って意味なんだってさ。そばアレルギーのカップルが発案したらしいんだけど、シャレがきいてて、俺は結構好きだなー。」

「へー知らなかった!お互いに『幸せを“あげ”ます』っての、なんか素敵だね。はい、私のお揚げ、あげる!」

 彼女は嬉しそうに自分のお揚げを俺のカップに入れてくれた。出まかせの嘘も言ってみるもんだな。

 …でも彼女の屈託のない笑顔を見ていると、幸せを交換できたのはまんざら嘘ではなかったみたいだ。

 違う名字で過ごす最後の大晦日。このあわてんぼうの彼女が、来年はちゃんと『緑のたぬき』を買ってきてくれることを願って、除夜の鐘に耳を澄ます。

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幸せの交換 森戸 詠士 @analoging

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