第3話:魅了

 アンドレイ=ラプソティにとって、アリス=アンジェラの取る行動は不可解であり、同時に不快であった。まるで赤子の手をひねるが如く、自分を圧倒てきるとでも言いたげなアリス=アンジェラなのである。アンドレイ=ラプソティは頭をぶんぶんと左右に振り、これはただのこけおどしだと強く心に命じるのであった。


 アリス=アンジェラの周囲には1000本を越える赤色の羽根が舞い続けている。それと同時にアンドレイ=ラプソティはレオン=アレクサンダーの亡骸がこれ以上、弄ばれないようにと神力ちからをもってして、位相転換天使術の対象にならないようにこちらも天使術を施している。レオン=アレクサンダーの亡骸はほのかに光っており、それを視認したアリス=アンジェラはまたもや短く嘆息する。


「ボクが同じようなことをすると思われていること自体が心外なのデス」


「ならば、これを防いでからほざいてもらおう!」


 準備が整ったアンドレイ=ラプソティは宙に舞わせていた紅い羽根群を一斉にアリス=アンジェラに向かって放つ。それに対して、アリス=アンジェラは両手を黄金こがね色の神力ちからで包み込む。そして、その場で舞い始め、次々と襲い掛かってくる紅い短剣ダガーを両手で軽々と払いのけてみせる。


 紅い短剣ダガーの軌道を変えていく。まるで大海を泳ぐ魚群のように短剣ダガーを集めたかと思えば、次の瞬間には蜘蛛が張る糸の巣のように広げてみせる。アリス=アンジェラにとって奇襲になるように短剣ダガー群を一点集中させたように思わせた瞬間には四方八方から襲いかかるかのように仕向けた。


 アリス=アンジェラは天使の羽衣を纏っていたために、まさに『天女』と称されても良い舞をアンドレイ=ラプソティに披露した。アリス=アンジェラは最初、両手のみを黄金こがね色のオーラで覆っていたが、今や足先にも両手と同様に黄金こがね色のオーラで包み込んでいた。自分の身に迫りくる紅い短剣ダガー群を右手で払い、左手で裏拳をかます。そうしたかと思えば、その場でバク転しつつ、両足の先で自分の身に迫りくる紅い短剣ダガーを蹴っ飛ばしてみせる。


 アンドレイ=ラプソティはグヌヌ……と唸る他無かった。レオン=アレクサンダーの仇であるはずのアリス=ロンドが舞うのを見ていると、その見事な舞に心が奪われてしまいそうになる。天界に属する者たちの舞は地上に住む者たちを魅了してしまう神力ちからを持っている。だが、アンドレイ=ラプソティ自身は天界の住人である。同じ天界に住むアリス=アンジェラの舞によって『魅了』状態に陥ることはほとんどないと断言してもよかったのだ。


 しかし、『魅了』に対する耐性を持っているアンドレイ=ラプソティをもってしても、天使の羽衣を着込み、次々と襲い掛かる紅い短剣ダガー群を舞いながら蹴散らしていくアリス=アンジェラの姿は美しいとさえ思えてしまう。


(何故だ!? 何故、こうも私の心をかき乱す!? 胸は絶壁。尻の肉付きも貧相。天鈿女あめのうずめが魅せる舞いに比べれば、私が心奪われる理由など、ひとつも見つからぬはずだというのにっ!)


 天鈿女あめのうずめとは、天界の住人のひとりである。まさに『天女』とは、かの女性のためにある言葉でもあった。天界の住人が心奪われるほどの舞を見せるのは天鈿女あめのうずめのみといっても過言ではなかった。彼女は普段から豊満な乳房が零れ落ちそうな服を好んで身に着けていた。それだけで、天界に住む男たちは零れそうなよだれを服の裾で拭わなければならない。


 そして、彼女が肌が空けてしまいそうな天女の衣を纏った上で妖艶に舞うことで、ようやく天界の住人たちが生まれながらにして持つ『魅了』への耐性を突破できるのだ。なのにだ、そんなアンドレイ=ラプソティの心の壁とも言ってもよいその耐性を貧相このうえない体つきのアリス=アンジェラがアンドレイ=ラプソティの心をかき乱しまくってくる。


(わからぬっ! あいつはレオンの仇なのだぞっ! いっそ、反応しはじめている私のおちんこさんを自らの手で叩き折ってやりたい気持ちになってしまうっ!!)


 アンドレイ=ラプソティがレオン=アレクサンダーの守護天使となってから、心が大きく動かされたのは、これで3度目である。雌性を強め、シエル=ラプソティとなった時にレオン=アレクサンダーの大きすぎるおちんこさんを膣道で受け入れたことがひとつ。そのレオン=アレクサンダーが眼の前で舞い続けるアリス=アンジェラに無残にも殺されたことがひとつ。


 そして、憎くてたまらないはずのアリス=アンジェラの舞を見ることで、自分が魅了されはじめているという事実を突きつけられている今この瞬間であった。アンドレイ=ラプソティはアリス=アンジェラに対する『否定』を強めれば強めるほど、アリス=アンジェラが放つ『魅了』の神力ちからに引き込まれそうになる。そのせめぎ合いゆえにアンドレイ=ラプソティの心はどうしようもなく動揺してしまう。


 それゆえにアンドレイ=ラプソティが魔の手に絡め取られてしまうことになるのは、アリス=アンジェラにとっても計算外であった。アンドレイ=ラプソティは宙に放つ羽根の数を増やしに増やした。宙に舞う紅い短剣ダガーの数は最初の1000の3倍の数まで膨れ上がっていた。アンドレイ=ラプソティがアリス=アンジェラの存在を否定するほどに、アリス=アンジェラを囲む紅い短剣ダガーの数はその感情に比例して増えていく。


 しかし、アンドレイ=ラプソティ自身がその身から噴き出していた銀色の光は弱くなっていく。アリス=アンジェラはただ単に神力ちからを使い過ぎたアンドレイ=ラプソティが衰弱の一途を辿っているだけだと思っていた。アンドレイ=ラプソティは片膝をつき、さらには肩で息をしなければならないほど、消耗していたのである。


 それもそうだろう。アンドレイ=ラプソティがアリス=アンジェラと戦闘を開始する前に、すでにアンドレイ=ラプソティはまともに戦う神力ちからを有していなかったのだから。それゆえにアリス=アンジェラはその状態でどうやって自分に傷ひとつつけられようかとアンドレイ=ラプソティに問うたのだ。だが、自分の身を省みることなく、さらに身体と心を削るように6枚羽から神力ちからを放出し、アリス=アンジェラに攻撃をしかけてきたのだ、アンドレイ=ラプソティは。


 だからこそ、アリス=アンジェラは『魅了』の神力ちからでアンドレイ=ラプソティを止めようとした。右手の親指と人差し指をパチンと鳴らしたことで、アンドレイ=ラプソティの心の壁の一枚を破壊した。そして、もう一度、パチンと鳴らしたことでアンドレイ=ラプソティの魅了に対する耐性を一気に落とした。その上で舞ってみせたのだ。アンドレイ=ラプソティは確かにアリス=アンジェラの手により、陥落寸前になっていたはずであった……。

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