第5話 5
その夜は火を焚き、集まって来た人たちとひと固まりになって休んだ。焚火は大人たちが交代で見守ることになった。
わたしがサーデグとゾランの間に寝そべるとーデグが外套をかけてくれた。二人に挟まれてまどろんだ。右にゾラン、左にサーデグ。食べるだけ食べると、瞼が重くてしょうがなかった。誰かと眠るなんて初めてだった。ゾランからは汗の匂いが、サーデグからは花の香りがして、不思議な温かさが体を包んだ。それは二人からの体温だと気づいた。小さなわたしの体は麻布の外套にすっぽり包まれ、サーデグの胸に頭をつけると、心臓の音がした。
「俺たちがついている、なんて言って」
ふふっとサーデグが小さく笑っている。
「ほっとけないだろう。もう乗りかかった舟だろうが」
もごもごと答えるゾランの声にまたサーデグの忍び笑いが重なる。
「ありがとうございます。頼りにしていますよ」
「恩義を感じているならさ」
ゾランがわたしごと、サーデグを引き寄せた。サーデグの足にゾランの足が絡まる。わたしは二人に挟まれて窮屈になり、身動きできなくなった。
「ちょっと! せっかく寝たのに起きてしまうじゃないですか」
サーデグがゾランの腕を押し戻しているが、なにせか弱い腕はゾランの力には敵わない。
「この子を誰か信用のおける人にあずけられたなら。そうしたら」
「そうしたら?」
ゾランは腕の力を抜いて、オウム返しにサーデグに尋ねた。サーデグが、ぐっと息をこらえるのが聞こえた。
「それなりの礼を……心づくしの」
「心づくし! ほんとうだな、サーデグ。約束だからな」
「声が大きいです」
サーデグの声はどこか気恥ずかし気だった。それからようやくゾランはサーデグを解放した。
「しかしな。どこへ連れて行けばいいのか。今日はまだ門が開けられていなかった。そのせいもあってか王宮の前は、ひどい騒ぎだった。敵兵に食ってかかったなら、殺されもするだろうに。オアシスの民があれほど集まるとはな。驚きだ」
「よほど慕われていたのでしょうね、潘将軍……いえ、潘王は」
サーデグの声はどこか親しみをこめているように聞こえた。サーデグは父を知っているのだろうか。
「街並みや商店は壊されてしまっていますが、西の者でも店を出して商売ができると、知り合いの手紙には書かれていましたよ。だから、ジャマールの一座も王宮にいられたのでしょう」
ふたりは声をひそめて話している。
「援軍が来なかったのか、間に合わなかったのか。なあ、あれから、ここに来たことはあったのか?」
「一度だけ。王の私的な宴に呼ばれました。皇女の一歳の誕生日の宴だったかな。数曲、歌わせていただきました」
皇女、という言葉にわたしの眠気は飛んだ。
「何か話したか?」
サーデグは首を左右に振った。少しの間、沈黙があった。
「宴が終わったあと、姫が暮らしていた部屋へ通されました。あの時のままでした。黒檀の調度も、並べられた櫛や簪も。わたしの手を叩いた物差しも。あの人がここを攻めたとき、数に任せて王宮を破壊しなかったのは、できるだけ姫の思い出を残すためだったのかもしれません」
サーデグが、『姫』と口にしたけれどわたしには思い当たる人物はいなかった。
「まあ、殺しすぎはあとが大変だからな。余計な怨みを残すとやりづらい。火種を残したまま、新しく始めるには。潘将軍の兵士たちは統率が取れていたから、無意味な殺しや略奪は今回よりずっと少なかった」
略奪と聞くだけで、体がふるえる。
オアシスは、以前西の者たちが勝手にふるまい、戦をしかけて来たから東が取り返したのだと聞いていた。それからは【ウレイ国】と名乗っていた。
こたびの戦は、その時に追われた王の血を引く若者が西に散らばるオアシスと手を組み、襲いかかってきたと。
「姫のことを聞かれるかと思いましたが、潘王は紛れもなく、あの姫の兄ぎみでしたよ。口数が少なくて、何もおっしゃらない。ただ、月琴を弾いて下さいました。姫がおっしゃっていたように、見事でした」
「わざわざ会ったのに、ふたりで弾いていただけかよ」
ゾランがあきれたように言った。
「たいへんなお手並みでしたよ。ただ、ご自身は納得できなかったらしくて、何度も弾きなおして」
そうだ、父は何度も弾いた。わたしからすれば、父の手に間違いなどないように思えたのに、満足がいくまで何度でも。
サーデグが話しているのは、わたしが父から月琴の手ほどきを受け、歌を歌った部屋のことだろうか。
かつては後宮だったと言われていた、小さな庭を囲む部屋の一つ。母の箪笥よりも見事な装飾が施された調度品や装身具がたくさんあった。後宮に住む者はいなかった。しんとした後宮の中で、その部屋にだけはいつも花が飾られていた。
父は母以外の妃を持たなかったが、母は自分の侍女たちにさえ顔を面布で隠すように命じていた。万が一にも父の心を奪われないように。
だから、父が忙しい政の合間にわたしを誘って部屋から出て行くとき、母はいつでも不機嫌そうに顔をしかめた。貴重な時間を自分ではなく娘と使う。母からすれば、ないがしろにされている気持ちがしたのだろう。
別に宴や出かける用事がなくとも、母は一部の隙もなく毎日身を飾った。
艶やかな髪を結い上げ花で飾り、光沢のある絹製の衣――裾が長く、豊かな胸元を強調するものを好んで身に着けた。母の毎日は、いつ自分の夫が帰ってきてもいいようにと、そのためだけに使われていた。
わたしのことは、メイにあずけたきり。そのメイもわたしを放って王宮から抜け出す。わたしは、楽師たちの部屋のそばまで行って、演奏や歌を飽かず聞いた。
母は歌が大嫌いだった。わたしが歌を歌うのを母は禁じた。人前で歌うことは、とても恥ずかしいこと。芸を見せるのは身分の低いものの仕事だと、わたしに釘を刺していた。
だからわたしは父と二人、秘密の部屋で歌を歌うことは何よりの楽しみだった。父が月琴を弾いているときの笑顔を思い出しただけで、胸が張り裂けそうだ。
「皇女が一人行方知れずで、西の連中が探している」
ゾランの言葉に、涙が止まった。
「成人していた二人の皇子とくらべて、あまり人前に出たこともなく顔を知る者も少なくて、探し出すのに手間取っているらしい。もし火事で命を落としたなら、子どもの体など見つけられないだろう。まあ、いまのところ生死が分かっていないんだが」
「そう、ですか」
「明日から門を通してくれるようだが、きっと子どもは厳しく取り調べられる。略奪のどさくさに紛れて入れたのとは比べ物にならないくらいに」
サーデグはしばらく沈黙を続けた。わたしは激しい鼓動が二人に聞こえてしまったら、どうしようと思った。
「この子は楽師仲間の子どもで、騒動ではぐれてしまって探しに来たのだと言いましょう。こちらに土地勘のあるわたしが頼まれたのは、本当のことですし。幸い、この子は楽器を持っています。楽師の子どもだと言っても、それらしく見えるでしょう」
こんどはゾランが口を閉ざした。
「この子がどんな身分であれ、かまいません」
サーデグの腕がわたしをそっと引き寄せた。サーデグの衣からは花の香りがかすかに漂った。まるで、父とあの中庭にいるような心地になり、胸の嵐が静かになった。
「言い出したらおまえが引かないのは知っているからな」
ゾランは頭をかくと、あきらめたようにつぶやいた。
「ありがとう、ゾラン」
「あとでたっぷりと礼をしてもらう、心づくしってやつを見せてもらうからな」
ゾランは大きくあくびをしたかと思うと、じき寝息が聞こえて来た。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
サーデグは誰に聞かせるでなしにつぶやくと、わたしを抱きしめて続けた。
「今度こそ……」
と。
その時にはもう、サーデグはわたしが誰か気づいていたのだと思う。わたしが追われる身であることも承知のうえで危ない橋を渡る覚悟を決めていたのだ。
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