願ったり叶ったり

田土マア

第1話 別れと帰省


「今日はもう帰るわ」

 そう言ってあいつは自転車に乗って去っていった。日が落ちて間もない頃、自転車置き場に取り残された僕と心。


 今日はいつもに比べて暖かかった。思えばこうして仲違いするのは何度目だろうか、もう覚えてはいない。その度決まってお互いが納得のいくまで話し合う。それが僕とあいつとの関係を保ってくれていた。

 常に僕らは凸凹な関係だった。話が噛み合わないことも多く、ただ笑って済ませる。


 思い出に少しでも浸っていると、涙が頬を静かに伝っていくのが感じられた。日が沈みたての静かな駅の夜空は決して星が見えるほど暗くはなかった。雨でも降ってくれれば、少しは映画として見所のあるシーンになったかもしれない。


 上を向いて歩こうだとか、涙の数だけ強くなれるだとか、実際はそれを望んでいるだけなのかもしれない。多くの人は強くなれるのかもしれない。僕だけがなれなかっただけかもしれない。

 気持ちがどんどん沼の底に沈んでいく。この先は生きていけるのだろうか、あいつは世の中を恨んで生きるのだろうか。

 今考えてもどうしようもない問題が堂々巡りする。

 普段は気にかけることすらしないもう一度今日をやり直せたなら、何度かそう願う自分に嫌気すら抱き始めそうだった。


 後悔はしてももう戻ることは出来ない。それはあいつも一緒なのかもしれない。

 会話の途中にあった「空元気」という言葉がどうにも胸に引っかかり痰切れの悪い心地になる。あいつは二日前に彼女に振られた。相当なショックを抱えてたに違いはなかった。あいつは彼女を大切と言いつつも、忙しい。と言っては彼女よりも他のことを優先するようなやつだった。

 でも、彼女に対する愛は僕もしっかり感じていた。他のことを優先したのは将来、彼女と楽しく過ごすためという空回りした行動だった。それを隣で見ていた僕はよく知っている。たとえ口先だけと知っていても、あいつの努力に口出しはしたくなかった。

「俺、頑張ってるよな…。 少しは褒めてくれないか?」

 周りには彼女を大切にしていないと言われ、僕に慈悲を求めることも少なくはなかった。誰しも承認欲求は少なからずある、あいつはそれを表向きに出したくなかった。それでも認めて欲しくて二人きりの時に少しだけ弱さを見せたのかもしれない。でもそれはほんの少しだけで、どう思っているのか、詳細はほとんど明かさなかった。それを明かすだけの勇気がないようにも感じられた。自尊心と言ったら聞こえが悪いような物があいつの本音を邪魔していた。


 その本音を僕はどれだけ聞けたのだろうか、話し合うと言ってもどちらかが折れてこれからもよろしくと言うだけだった。今思えばそれがなんの解決になっていない事は明確だった。いつ解けてもおかしくない靴紐のようにゆるゆるとした気持ちでお互いが接していた。


 男の涙ほど見られてツラいものは無いかもしれないと思いながらも、ただただ途方に暮れ時間が過ぎる。溢れてくる涙を無視して既に綺麗に見えるようになった星空を眺めていた。空には無数の星が煌めいていた。最近噂になっていた冬の大三角の一つ、ペテルギウスを見つける。


「帰りたいな。」


 ふと言葉にしてしまっていた。僕の地元は今住むところから九百キロ程離れた場所でなかなか帰れる場所ではなかった。バイトも講義も普通に行われる、そんな中帰るという選択肢があるとしたら、親族の死。誰か親族が亡くならない限り帰れる距離も時間もなかった。


 誰か亡くなったらーー


 そんな良くないことを簡単に考えてしまっていた。その時ポケットが震えているのに気づく。ポケットにしまい込んだスマホを取り出し画面を見る。画面に映ったのは着信画面で、その相手は僕の姉、冬野千晴ふゆのちはるだった。

「もしもし、遥翔はると、久しぶり。 ごめんね、今大丈夫だった?」

 久しぶりの姉の声に安心してしまい、声が震えてしまう。姉には何かが伝わったようで、心配を言葉にした。

夏森なつもりと喧嘩した。」

 それだけ言うと姉は少し黙った。

「あらら、それは大変ね。 難しいよね、人間関係ってさ。 私もよく人と喧嘩しちゃってダメだったなぁ。 知ってると思うけどさ、私も色々拗らせてきたんだよね。 ツラいよね。」

 無駄な心配なんて今はして欲しくなかった。慰めは更に僕を弱くする。安心感からなのか、堪えていたはずの涙が更に溢れて止まらなくなる。ついには心を抉られたように、むせ返す。

 姉の前なのに、と思うがもう堪えるのは限界があった。

「ところでさ、急なんだけど、今日。」

 元気だった姉が急に声を曇らせ、泣き口調になる。

「おじいちゃん。」

 そこまで言うと泣き崩れ、到底話せるようではなかった。それと同時に僕は何が悪い予感を悟ってしまった。

「もしかして…」

 そう聞くと姉はうん、とだけ答えた。僕は自分を責めた。自分が誰か亡くなれば帰れるんだ。なんて思ってしまったから…。

 言霊的なものが本当にそうさせたのかもしれない。さすがに遠く離れた人の命は操れないだろう。そう思った。僕のせいじゃない、そう思い込むしかなかった。たまたま重なっただけだ。


 そう信じよう。

 偶然に偶然が重なっただけだ。

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